特集「民活」型医療・福祉を考える

<諸外国の経験から「民活」を考える(2)>
   混迷する弱者切り捨てのアメリカ医療
                光陽生協病院 医師 大 門   和

1988年の5月22日より10日間,私は,中央社保協のアメリカ医療視察団の一員として,
現在のアメリカ医療の実態に触れることができました。
 それは,世界の最強国アメリカの光と陰の部分をくっきりと際立たせてくれる興味深い旅であり,また今日本で進められている医療政策の中間報告の行き着く姿をかいまみたようで,肌寒いものも感じました。
 アメリカは自由の国であると言います。その理念は,経済活動,文化活動は言うにおよばず,医療と福祉のとらえ方にまで深く根付
いているように思いました。勝者と弱者は医療福祉を含めてすべての面で,異なった待遇を受けることが当然とされている社会なのです。
 私達は,アリゾナ大学で医療政策を研究している比較的リベラルな医師たちを訪ね,そこで,アメリカの医療の歴史と,今日の医療
政策の歩みについて講義を受けることができました。                               」■
 先進工業国の申で,国家的な医療保険制度首もっていないのは,南アフリカと,アメリカだけだそうです。65歳以上の高齢者と貧困層の人々についてはそれぞれメディケア,メディケイドと呼ばれる公的保険制度がありますが,両方合わせても6800万人(国民全体の30%)にしかすぎません。保険料が高く民間保険にも入れず,全く保険なしという人達が,3600万人(国民の14%)もいると聞いて驚きました。国民皆保険の我々日本人には理解できないことですが,こうした人々は全く医療というものの枠外にあって,行き倒れになるか,余程の時に救急外来を訪れて料金を踏み倒して去ってゆくのが現状であるといいます。そして無保険者は,民間保険の保険料の値上がりや,パートなどの不安定労働者の増加,ホームレスの増加,不法入国者の増加などによって,毎年増えています。
 アメリカでは,1970年代から,医療費が高騰し,ここ数年医療費抑制政策が,大々的に全面的に展開されてきたため,アメリカ医療の姿は,この数年大きく様変わりをしてしまいました。医療費高騰の原因は,インフレの進行,医療技術の進歩,専門医の増加,高儀令人口の増加な‘どであり,今の日本の状況とそう大きく変わりはありません。1973年にはニクソンがHMO(地域健康保険組織)法を成立させ,1斑姫年には全人口の10%近くをカバーするようになりました。それまで医療費の支払いは基本的に出来高払い制でしたが,HMOは主に大企業と定額前払い制で契約する一種の民間保険です。HMOに加入する企業の労働者は,毎月の保険料を納め,医療をうけ
ると、割ま殆ど自己負担の心配がありません。しかし,この保険の入院審査は厳しく,入院中の患者の治療状況を詳細に審査す’るため,
40%もの経費削減をやってのけ,医療費削減を目指すアメリカ医療の主流となりつつあります。
 政府は一方で,1983年よりDRG/PPSをメディケアに導入し,大幅に入院日数を短縮させることに成功しました。このシステムは,あらかじめ病名に応じた入院治療費や入院日数を規定しておいて,その病名に応じて支払うというもので,それを越える日数や治療費に関しては,病院の持ちだしになるか患者の負担になります。長期入院ほど病院に指失を与えるために患者は早期に退院を迫られます。
 私達はその事例を,ロサンジェルス郊外のある民間病院の訪問看護を見学して知ることができました。私達が病院を訪問したとき,入院患者や看護婦の姿がまばらなので,病棟改築か何か特別な事情でもあるのかと思いました。ところが,これはここ数年以内の変化
で,DRGが実施されるまでは常に満味であったというので,現在占沫率は40%にも達しません。この病院の平均在院日数は4.9日だそ
うです。日本の平均が42日ですから随分違います。
 「65歳以上の老人患者がふえている。かつてこれらの患者は長く入院していたが,現在病院としてはその患者の支払いが問題となる
のでなるべく早く退院させる方向に向かっている」と看護主任ははっきり言います。早期退院と在宅管理がこの病院の経営を守るため
の現在の基本方針であり,生き残り戦術なのです。こうした事情もあって,アメリカでは民間の在宅ケア会社(訪問看護会社)が,病
院や.患者と直接契約を結んで,急成長しているそうですが,ここでは病院付属の在宅ケアシステムをもっており,70名の患者を管理
していました。50%が心不全や呼吸不全の患者,15%が脳卒中後遺症,15%が術後管理です。また25%の患者は独り暮らしです。在宅
ケアは,訪問看護婦を中心として,理学療法士や言語療法士,作業療法士など数多くの職種が係わりをもって,進められていました。
 私達視察周は,訪問看護婦に同行してそれぞれ数件の患者宅を拘ることができました。まず驚いたのは,その訪問している範囲の広さです。最初の患者宅まで車でアメリカの広い道を飛ばしながら45分かかりました。半日に回れるところは,3〜4件とのことです。
最初の訪問患者は,70才の女性で,小腸切除術後2週間で退院し,手術傷が感染し十分塞がらないために,毎日看護婦が消毒処理に通っているのです。2軒目はエイズ患者で,面会することはできませんでしたが,中心静脈管理で1日2画抗生物質の投与を受けていました。3軒目は100才の寝たきりで大きな裾傷をもった黒人女性でした。何回も肺炎になって入退院を繰り返しており,今回も重症肺炎に確患しているため入院させようかどうか検討中とのことでした。この患者の家族が語った,「在宅システムは,ありがたい。何故なら,入院するよりも医療費が安いからだ。しかし本当は,もう少し長く入院治療が受けられたらよいのだが」という言葉がアメリカ型在宅医療の本質をひかえめながら端的に物語っているようでした。他の訪問チームも,さらに劣悪な条件で管理を受けているケースを見聞し,その夜のミーティングは決して明るい雰朗気ではありませんでした。
 しかし,私達を案内してくれた看護婦さんは,誇りをもってこの仕事に励んでいる素敵な女性でした。行き帰りの車の中で,彼女は,アメリカの医療福祉についても多く語ってくれました。「レーガンは,医療費の削減のことを言っているが,多くの人は,低賃金や失業で食べるものにも因っている。もっと社会保障に金を出すべきである。DRGは全くおかしな制度だ。医者は患者よりも制度の基準にはずれないように心がけて治療をしている。」と手厳しいものです。
 医療が,医師の自由裁量権を侵害して,厳しく審査されているというのもアメリカ医療の特徴であると感じました。1977年にすでにメディケアを対象とした審査機構PROがつくられましたが,現在では他の分野もカバーする民間の医療審査会社が幾つも作られています。こうした会社は医療のKGBと呼ばれているそうです。私達が訪れたWMRもそんな護いがを入点を藍療のKGBと呼ばれが訪れたWMRもそんな民間審査会社の一つです。ここの所長は弁護士で,医療訴訟の多い国楓 なるはどと思いました。ここでは,PROよりも審査基準が厳しく,それを売り物にして大企業と契約を結んでいます。例えば,契約企業の患者が入院する場合その必要性が審査され,不審な点があれば,主治医はもちろんとして患者立ち会いの上でカルテを審査するのです。
 入院の適否を判断するのは医者ではなく審査会社であり,もし入院不必要と判断されれば,患者が自己負担で賄うしかありません。
 ここに医療費削減医療の究極の姿を見て背筋が寒くなる思いでした。
 よく,アメリカには,症状固定の慢性疾患患者をケアするナーシソグホームがあるために,病院の入院日数が日本と比べて少ないのだと言われますが,アメリカの老人にとって,この施設は恐怖の代名詞なのです。入院患者を減らして,医療費を安く抑えるためにナーシソグホームの建設が奨励された時期があったのですが,ついにはこの施設に対しても公的補助が削滅されるようになり,多くのナー
シソグホームが経営の危機にひんしています。必要人員が削減され,スタッフの質が低下し,ケアが不十分で老人患者の虐待がいまアメリカでは問題となっています。患者負担も次第に増えていると言います。
 私達は,公的なナーシソグホームをアリゾナで見学しました。レーガンの福祉切り捨て予算によって公的補助が削減され,今年,250床から150床に削減したところでした。痴呆性老人や,重症の手のかかる患者さんは,民間のナーシングホームから回されてくるため,頭を痛めているとのことです。それでも,この施設は,地域の在宅患者の家族援助も行うなど質の高い活動を展開し,専門職種を多く揃え,設備は整っているように感じました。
 同じアリゾナの地で,私達は,地域医療に情熱を傾けるヘルスセンター(診療所)を見学しました。こうしたセンターは,1960年代後半から,民主党の政権下でおもに貪困層のヘルスケアを充実するために全国で900施設はどが作られたと言いますが,これもレーガン政権のもとでは閉鎖が相次ぎ,600施設に減っています。選挙によって選ばれた地域代表者の理事会によって運営され,年次総会がもたれていました。私達が訪問した日はちょうど年次総会の日で,その夜は,パーティに招かれ,陽気なアメリカ入らしい熱気につつまれて非常に楽しいときを過ごすことができました。
 このクリニックは,1日患者数400〜500人で,その半分は小児患者,残りの半分が妊娠可能な若い女性ということで,内科医,小児科医,家庭医を中心にしてプライマリーケァが行われています。所得に応じて,医療費を減額する制度などがあり,患者負担が少なくて質の高い医療を提供するために出来るかぎりの努力を行いたいと話してくれした。患者の苦情処理係のおばさんがいて語るには・医者の声が小さいとか,看護婦が木親切だとかいう苦情が多いのだそうで,いずこも同じであると感じて苦笑しました。
 「医療もビジネス」の国アメリカに,このように患者や地域に開かれた医療が存在することに,この国の大きさを感じました。心通い合える素晴らしい医療人に出会えた喜びは,今回の旅の一つの忘れがたい思い出です。
 アメリカ医療は,今その余りに非情な医療福祉政策の変化に揺さぶられ,荒海の小舟のように羅針盤をなくしてあてどもなくさまよっ
ているようでした。そして,ますます老人や貧困者などの弱者はきり捨てられ,小舟からいまにも振り落とされそうに見えました。
 今日本でも,医療費抑制の政策がいよいよ具体的に示されっつあります。
 国民医療総合対策本部「中間報告」の措く未来像が,まさに現在のアメリカ医療の姿ではないだろうか,という思いが今も頭も離れません。