2009年梅雨明け宝達山登山
文責:道見 藤治
ここからスタート!
藪の中も無言で突き進む
「山の龍宮城」からの眺望
記念撮影
合歓の木。「小野さん、まつ毛につけたら?」と神田さん。
浄専寺境内にある、鶴彬没後70周年記念碑。これは鶴彬が最後に詠んだ句。「身ごもった赤ちゃんの胎動がわかって生まれてくる日を予告していたというのに、父親は戦死してその遺骨が届く。子は父を失い、母は夫を失う。戦争をみごとに突いた句です」(澤地久枝談)
 今年の梅雨明けは遅かった。8月6日のことでした。当初、医療・福祉問題研究会の仲間を誘っての夏山登山は8月1日を予定していました。どうにも梅雨が明けないことには話にならない。1週ずらして8月8日の土曜日にしたら、天の女神は微笑んでくれました。無事、宝達山登山を挙行できました。その前の日は金沢はどしゃ降り、次の日も雨模様。間の登山の日は雨が降らず、晴れ男の面目躍如です。参加者は神田さんと仕事のキャンセルで都合のついた小野さんと私の3名でした。どういうわけか、倉ヶ岳ハイキングと同じメンツ、きっと登山の神様がもっときつい登山を実証せよとのことだったのかなあと思いました。そこへもってきて、私の夏山登山の企画は、私の鍛錬のフィールド、能登最高峰宝達山に徒歩で登ることにしておりましたので、ちょうどうまくはまりました。山頂まで車で行けますが、歩いてとなるとチョット粋でしょ。

 今日の朝、神田さんの車に小野さんと私が同乗させてもらい、金沢から一路宝達志水町へ。私の道案内で、9時半前に東間(あずま)という宝達山の玄関口に着きまして、車を駐車しました。公衆トイレで用をたし、準備体操をして、9時半より「こぶしの径」という登山道を歩き始めました。これを選んだ理由は少々きつい上りもあるが、時間的に短く上れるので採用しました。

 先導は私が務めました。急坂も随所にあるので、ゆっくりとしたペースで行きました。25分後、最初の休憩を取りました。45分後、2回目の休憩を取りましたが、それでも一つの目印としてきた鉄塔の下に出ません。ムムもしや道を間違えたか?心細くなりましたが、5分後、そこに着きホッとしました。しかし、これからがまだ遠いのでああシンドイ。ここまでは上りあり、平地あり、下りありと変化に富んでいるので面白い。でもみんな辛くて、声も出なくなって必死に上っていく。最後は道の傍らに付けてあるロープを頼りに急登を上りきったところで、やや広くて傾斜も緩やかな道に出る。

 これまで、1時間25分かかりました。ここまで来れば一安心。うまい具合にベンチがあり、腰掛けて休憩すると楽であるとは、同行者2人の弁。でもそううまくは問屋が卸さない。山の神様は私たちに苦しみを与えたのだった。しばらく行くと「こぶしの径」はこちらと標識があるも疲れるだけと広い道を私は選ぶ。すると、草が生い茂っているではないか。草刈がしてありません。しかたなく、ヤブこぎをして進むも精神的に疲れました。幸い道に迷うことなく「こぶしの径」と合流しました。もう大丈夫と思ったところでまたガーン。道が途切れていました。エエここまで来て〜と思いましたが、下へ行く道があり、通る車が見えたのでそちらを進む。

 すぐにアスファルトの車道に出ました。この先はしれている。ほどなく山頂駐車場、売店「山の竜宮城」に着きました。標高637m。お疲れさま〜。ここまでは曇り空、日差しに照りつけられることなく、楽でした。上り始めて2時間10分。予想タイムより20分速い。11時40分になっていました。お二人さんは昼食を希望。売店のテラスでオニギリを食べることにしました。

 このテラスからは見晴らしが良好ですが、小野さんのデジカメにはうまく収まらない。ややご不満。でもガスが立ち込めていないため、下界を見下ろし、遥か遠くに千里浜も見えました。やはり山、涼しいです。

 食事後、神田さんと私は売店のホットコーヒーを注文し、小野さんはアイスキャンディーを買いました。そんな仁義をきって、トイレを使わせてもらいました。歩いて上る人はおろか、車で来る人もいなくて、売店はガラガラ。帰り際には、売店の人に頼んで、3人が山の竜宮城の看板をバックに記念撮影。そこにはおよそ1時間居て、12時35分に帰路につきました。
 これからは楽勝です。今度は車の通る道を行き、傾斜が緩く、ルンルンです。倉ヶ岳ハイキングの気分を思い出しました。程なく伏流水が出る清水で、咽喉を潤し、神田さんは空になったペットボトルに水を入れて帰りました。途中、赤いまつ毛のような花が咲く木を見つけ、神田さんはそれは合歓の木と教えてくださり、小野さんがデジカメで撮る。

 下りはホントに楽チン。休憩は2回入れただけでした。でも山の凄さもお二人に示しました。えぐれている所から山頂を見上げてもらいました。遥か遠くで、標高差もあります。ここを歩いて上るのは気が遠くなりそうです。だから、今日のコース設定はベリーグッドでした。駐車した麓まで下りで要した時間は1時間50分でした。下りでは日差しもあって、やや日焼けしました。

 2時25分に車に戻り、駐車してある別の車が1台、もう一つのパーティーがあるみたいです。また公衆トイレを利用して、私のツアーコンダクターのお役目は終わって、この日のオプショナルツアー、反戦川柳作家、鶴彬(つるあきら)の句碑を巡る旅を、神田さんが案内してくださいました。かほく市、高松にある3つの句碑を訪ねました。

 まずは浄専寺。鶴の最後の句、
 「胎内の動き知るころ骨がつき」
がありました。

 次は生誕の家。ここには、
 「可憐なる母は私を生みました」
がありました。

 最後は歴史公園。ここには、
 「枯れ芝よ団結をして春を待つ」
がありました。

 帰りも神田さんの運転で、金沢まで戻り、小野さん、私の家の近くまで送って頂きました。ありがとうございました。

 この夜は、粋な私は「観能の夕べ」を鑑賞し、その後、このエッセイの大半をまとめました。馬力ある〜、気が短い私でした。
会の紹介 活動内容 研究誌目録
研究誌最新号 会報の紹介 リンク
会員の著作物 入会案内