総合社会福祉研究第34号・現場実践レポート 自分にふさわしく生きる 金沢市障害者施策推進協議会委員・道見 藤治 |
はじめに 私は精神に障害のある身であります。ですがいろんな活動をしています。もしこの文章を読まれた方のなかに、精神に障害のある方々と接する機会があるという方がいらっしゃったなら、当事者に自信と勇気を注ぎ込んでもらいたいと思います。 私の場合はレアケースでしょう。しかし当事者でもこんな生き方もあるという実績を残したいのです。決して諦めることは必要ないと思います。歴史づくりの担い手になり得ることを表します。 私が活動をするときには、頭のモヤモヤや、身体の疲労感はどこかに置いています。そうでないと馬力が出ません。 そうなると、当事者とかそうでない人との隔たりはすっ飛ばしてしまい、当事者性が薄らぐこともあります。このことは大変デリケートな取り扱いを要します。私の支援者は私の頭の片隅に当事者であることの意識を置くように言っています。これは永遠の課題として捉えておきましょう。正解は見つけ難いものです。あるいはないのかもしれません。 ここでは、私の実践活動の紹介を主にしますが、研究についても少し触れておきます。私たち当事者は社会との接点が狭いのです。私の研究活動それ自体が実践であると捉えてみたいのです。 T、U章は私の人となりを述べてみました。本稿の主眼としてV章で金沢市障害者計画について詳細にわたり報告します。W、X章は更に私の研究活動を紹介します。Y章は私の一番述べたい主張であります。おわりにではこれまで私の研究活動を支えてもらった方々への感謝の意を表します。 T.研究会活動 私は金沢市を中心にした「医療・福祉問題研究会」(以下、研究会と記す)に加わっています。この研究会は様々な職種、立場の方々が参加する、保健・医療・福祉について考える自主的な研究会であります。私は事務局員(世話人)の一人です。事務局会議はおよそ月1回開かれます。私は企画することが得意で、好きです。会議では時として効果的な発案をしています。 研究会ではおおよそ年1回「医療・福祉研究」という雑誌を発行しています。私はここ6回連続で何らかの投稿をしました。それを次に列挙します。 2001年第12号精神障害者保健福祉手帳の問題 2002年第13号精神障害関係サンフランシスコ研修報告 2004年第14号自分にふさわしく生きるということ 2005年第15号精神保健福祉における改変 2007年第16号「紅茶の時間」と水野スウさん 2008年第17号障害者自立支援法と不平等 きちっと決まった論文は書けていませんが、致し方ないと思います。 研究会では年数回研究例会を開催しています。私が担当した研究例会として、2002年に「精神科リハビリテーションの昨今」と題して、病院関係の施設の職員を招いて開催しました。また、2007年に「障害者自立支援法−完全施行1年を経て見えてきたもの−」と題して様々な立場の方々を招いて開催しました。 2006年の20周年記念座談会である若手会員が話しました。 「精神障害の当事者の方が、会員としてだけでなく、事務局に入って、一緒に会を作っていくというのは、全国的にもそんなに例がないのではないかと思います。ここ数年の時代の流れのなかでは、道見さんの存在というのは特徴的なことだと思います。」(医療・福祉研究第16号19頁)。 2001年、研究会が発足して15周年が経ちました。記念グッズを出せないものかという話があり、私は飛びつきました。精神障害の小規模作業所の協力により、そこで製作した革製品の印鑑入れと小銭入れを記念グッズとして数十個初めて販売しました。 2006年には20周年記念グッズを手掛けました。精神保健ボランティアの方に依頼して布製品のブックカバーとCDケース入れを製作して数十個販売しました。経済効果が大きく、東京の精神の当事者が立ち上げたNPOに寄付できました。 モノ相手のしごとは私の得意技であり、いろいろな分野の研究会員がいてもいいだろうと思います。私でしかできない芸当をやることに意気を感じています。 私のもう一つの得意技は文章を書くことです。研究会の会報に記事を度々投稿して重宝がられたときもありました。 タイムリーな話題として、2007年度の金沢まちづくり市民研究機構(金沢市を世界都市として、世界のオンリーワンをめざす政策を、金沢を愛する市民の手で調査・研究し、提言しようとするもの)の福祉のテーマとして、私は「障害のある人の就労環境整備」を提案してそれが通り、1年間、8名の市民研究員とディレクターが研究されました。私は市民研究員に加わりませんでしたが、今秋、研究成果報告書が提出され、なかなかユニークな提言も出され、それを更によく議論しようと画策しております。障害に関係する方々で、就労を考えていく任意の研究会に持ちかけ、学習していくことが決まりました。 これからの私の課題として、研究に与したいと思っています。そのような環境におかれることは、安心できる棲家(ニッチ)を得ることになります。 U.ピアカウンセリング はじめに当事者は社会との接点が狭いと書きましたが、その意味は、選択肢が限られているということです。私の回復過程で幸運だったのは、ピアカウンセリング事業と関わりを持てたことでした。それがもしもなかったとしたら、現在の私はないでしょう。それしか選択の道がなかったわけです。ピアカウンセリング事業について紹介します。 発端は、1996年の暮れのことでした。当時石川県の精神保健福祉センター(現こころの健康センター)が全国の地方自治体に先駆けてピアカウンセリングセミナーを開催しました。セミナーはその後約10年、毎年開催されました。私も出席しました。それをきっかけに精神保健分野における私の活動が始まりました。 数年後ピアカウンセラー養成研修を経て、ピアカウンセラーに2002年秋から任命されました。しかし2006年度まででこころの健康センターにおける電話相談事業は終わりました。また、ピアカウンセリングセミナーも終了しました。つまり、ピアカウンセリングは市町村の事業として位置づけられ、石川県は手を引いたのです。実にもったいないことであります。 私にとってはピアカウンセリングが命綱であったわけでなく、セミナーの副産物である、人との交流を活かして多方面で活動していて助かっています。 ピアカウンセリングの特徴を述べます。ピアとは「仲間」、「対等」という意味ですが、いまさら言葉の定義は言うまでもないほど浸透してきたと思います。基本は傾聴と情報提供です。素敵なのはその精神であります。問題を解決するのは、相談者自身です。皆、その力を持っていると言えます。そして尊重されるのは自己決定です。またピアカウンセリングで要求されるのは、相手の権利を尊重して自己主張することであります。 余談になりますが、私が会社に在籍していたときは偉い人の言うことは絶対守らなければならず、無理難題を出されるのに対応して下請けメーカーに対し横暴なやり方を取っていました。退社して針のムシロに座っていた状態から開放され、会社のやり方がおかしかったと納得し安心できるようになりました。 而して、私はピアカウンセリングを広め、現代のストレス社会を変える一助になればと考えています。これは実践だと思います。 V.金沢市障害者計画 金沢市障害者計画は1998年に策定されました。障害者基本法に基づき、市に障害者施策推進協議会(以下、推進協議会と記す)が設置されています。それは「障害者計画」の策定、実施と評価のための組織であり、3つのワーキンググループにて、プラン体系の10項目を分担して日頃活動しています。委員の数は14名で、その半数は当事者・家族で占めているのも珍しい例ではないでしょうか。 要すれば全体ワーキングを開き、全体会議で承認を得てプラン遂行にあたっています。更に外部の方も含めて、外出支援専門委員会、苦情解決等専門委員会、災害安全対策専門委員会を立ち上げ、協議会委員はどれかに加入して、障害のある方々の生活と権利を守る活動を実施しています。 また金沢市においては、法制用語を除き「障害者」という言葉は使わず、「障害のある人」という言葉を用いるのが慣例になっています。 私は2005年度より金沢市「障害者計画」(以下、市プランと記す)の障害者施策推進協議会の委員に着任しました。 私が市プランに関わったのは1999年度、計画が始まった次の年からです。精神障害関係の推進協議会委員より加勢を依頼され、オブザーバーとしてワーキングの会議に出席するようになったのです。 2001年度より年複数回、市民フォーラムが開催されるようになりました。実行委員を当事者および家族が務め、私も加わりました。市民フォーラムは市民の意見をくみ取る場であります。それを聴いて計画に反映することになります。 2002年度にはフォーラム実行委員を一般公募で募り、当然私もなりました。前年度の経験から第2回目フォーラムの統括責任者となりました。 またこの年度には推進協議会に置かれた外出支援専門委員会の委員にもなりました。私が選択した仕事は、精神障害関係の全国の交通費割引一覧表をまとめることでした。それをやり遂げ、次年度は退きました。 その後、長年の運動の成果として、精神保健福祉手帳所持者の金沢市の私鉄バスの運賃半額化が2006年春より実施できました。おかげで手帳所持者も増え、外出する機会も多くなったようであります。 私のこの数年の実績から、2005年度から晴れて推進協議会委員に任命されたとも言えましょう。その経緯におきまして、精神障害の場合、本人と家族で異なる要望があることを金沢市が認めました。つまり当事者本人の参加が最も大事ということであります。 私の提唱する「住まい」の課題は2つあります。1つは単身アパート入居支援です。もう1つはショートステイの利用の仕方です。 2005年、推進協議会委員になった当初から、私は単身アパート入居支援構想を提案しました。主に精神に障害のある人でアパートに入居したいが保証人の問題などバリアがあって実現は難しいのです。一方市街地の古いアパートは空きが目立ちます。原因は大学が郊外に移転したことによるものです。障害のある人は利便性の高い市街地に住む希望があり、利益が合致した、この構想は「まちなか居住支援」と称せられるようになりました。これについてその年度末にプレ調査を行ない、改めてアパート入居のニーズが高いことを認識できました。だがこの提案、制度づくりの根幹となるものであるので頓挫しています。しかし、退院促進を唱えられることから、重要な視点と思われます。 次の課題を述べます。ショートステイの利用の仕方は、家族と同居する場合に困難が生じたときでしか利用できない現状があります。私が希望するショートステイは精神に障害のある人が少し動揺したとき、日常を離れて気分を休めるためのリハビリとして利用できたらよいなと考えています。そのような利用の仕方の例を、石川県以外で見学してきました。しばらく休養することによって入院を逃れることができ、急激な増悪を回避できるものと思っています。また他県では様々な利用の仕方を実現しています。法制度に乗らなくとも、そういったサービス提供の土壌を醸成していけたらと思います。 更に私が提唱する課題があります。バス運賃の半額化の前に福祉タクシーチケットが精神に障害のある人にも交付されるようになりました。初乗り運賃がタダのチケットが交付されています。しかし多くの当事者はバスに乗れるため、必ずしも有効な制度ではないとも思えます。タクシーチケットかバスの運賃助成の選択ができるよう訴え続けていました。今は情勢が変貌してきています。 全体会議やワーキングにおける私の効果的かつ積極的意見を発していることから2007年度から、私は一つのワーキングの座長を務めています。ワーキングのメンバーは5名です。 総じて国の施策に翻弄させられているのが実情であります。福祉がよい機能を見せ始めた2000〜2005年あたりの流れを障害者自立支援法が断ちました。それでも福祉は発展させねばならないのです。推進協議会が踏ん張る必要があるのは言うまでもないと思います。 W.メンタルヘルスボランティアとの関わり 私の生きがい、やりがいの一つはコーディネートすることです。それに特化した形で、メンタルヘルスボランティアのグループとの付き合いがありますので、紹介します。 以前、私は自助グループの代表を務めていました。その勉強会を開きたいが、先立つお金がないのです。そこで思いついたのは、自助グループとメンタルヘルスボランティアのグループがタイアップして勉強会を開くことです。講師の謝礼金は全面的にメンタルヘルスボランティアのグループに肩代わりしてもらい、当事者は無料で勉強会に参加できました。 勿論、メンタルヘルスボランティアの方々にも学習してもらい、資質向上を目指して勉強会を開くこともありました。講師は知人の研究会仲間であったり、当事者であったりもしました。 そんなコーディネートの中から、意義ある出逢いもありました。人と人を結びつけることが楽しく、ネットワーク形成にも効果がありました。 私は個人的に前々から幅広いネットワークを画策したいと思っていました。ある方から意識しなくとも自然とネットワークはできるものと諭されていました。今現在、私の周囲には多くの方々とのつながりがあります。私がAさんとBさんを知っていたとします。AB両者を結びつけに成功すれば、そこで一つのネットワークが形成されます。それを基にどんどん人がつながっていくことが分かりました。 X.各団体との関わり これに関しては胸を張れます。私の付き合う、精神保健の団体は東京都のJHC板橋とさいたま市のやどかりの里を初めとしていくつかあります。JHC板橋のほうは、石川県がピアカウンセリングの導入を図ったときにお世話になり、JHC板橋でセミナーがあれば私も参加して、顔なじみになりました。 JHC板橋の企画でアメリカ・カリフォルニアへ研修旅行をよく行なっているようでしたので、2000年秋にサンフランシスコ研修があり、私も参加させてもらいました。アメリカ型福祉の縮図を目の当たりにさせてもらいました。精神保健システムにおける資金は連邦政府から地方政府の負担に変わってきており、さらに民間の団体の力を使うようになっています。公共のものは緊急の場合とか、リスク、費用の高いものに対応しています。視察した随所で、精神に障害のある人の課題として(1)職業、(2)住居、(3)社会との接点があることが浮き彫りにされたと思います。ただ経済の成長が止まった現在はアメリカ型福祉は危ういものと考えます。 やどかりの里とはいろいろな研修に参加する形で付き合いがあります。そこで、タイムリーなキーワードを得たり、ものすごく頭を使って、頭の活性化に役立っています。こことも顔なじみです。 上記両者から丁重な扱いを受け、人間を尊重する意義を噛み締めています。 Y.講演・講義の際の主張 私は1998年秋より人前で話をするようになりました。その頃のテーマは「人との交流」でした。退職し心細い状態の私が人との出会い、人生の諸先輩からいろんな指針を与えて頂いたことで、しっかり地に足のついた行動を取れるようになりました。自信もついてきました。 その後、現在に至るまで、ピアカウンセリングについての講演や大学における精神保健についてのゲスト講義の依頼があり、人との交流やピアカウンセリングの良さを語っています。 そのような講演・講義などで、いつも私の経験を話しました。題はたいがいは「自分にふさわしく生きるということ」です。そこで私は次のような主張をしてみたいと思います。 私は多大なストレスを呼び起こす会社組織の論理によって押しつぶされ、精神疾患を得ました。最初は、会社は是、私は非と考えました。しかし、私の病気の回復過程で新しい価値観として得たものは、回復に大きく寄与しました。それは繰り返しになりますが、他人の権利を尊重した上で自己主張することであり、活動のいい結果による自己効力感であり、自己決定の保証であります。 翻ってみますと、一般社会に効率向上の名の下に、よく考えるということなく大量の物が流れ、人への締め付けの病巣があり、それがどんどん人と仕事を失わせ、いつかは滅亡への道につながるのではないでしょうか。裏を返せば、自己決定を保証し、「これがいいな」と思える感性を大切にすることが歴史の発展にかなうのではないでしょうか。物事を強弱の力関係ではなく、正邪を判断基準とさせたいと思います。 おわりに ストレス社会の根絶を目指して、Y章で私の主張を強調してみました。そこに至るまで、私という当事者の発言は貴重なこととして論点を述べました。研究者の方々にこのレポートが響けば幸いです。 また、私がこのような回復に至るまでに、多くの方々から大きな支援があったからこそ到達できたことで、周囲の方々に感謝の意を表します。 末筆ながら本実践レポート作成にあたり、金沢大学地域創造学類の井上英夫教授にご助言を賜りましたことに感謝致します。 (どうみ ふじはる) |