地域からの発信
高齢者グループホームの実践 ◎
槻谷 和夫
 はじめに
 高齢化社会に対応する老人ホームの在り方への一つの問題提起として、1987年4月に島根県出雲市の市街地でモデル的実験的に事業を開始し、1997年度から公的制度化された高齢者グループホームことぶき園は「小規模老人ホーム」と呼んでいます。

 これからの高齢化社会で必要とされる老人ホームは、「小規模型」を中心に展開されるべきではないかとの思いで出発しており、これまでの原則、「大規模型」老人ホームの在り方への大きな疑問を含んでいるとも言えます。

 この小塙では、小規模ホームとは何か、11年間の実践で何が証明されたのかを中JL、に記述していきたいと思います。それは、小規模老人ホームが地域の隅々に建設され運営されることへの強い願いをこめてのものです。


◎ 理念について
 「小規模老人ホーム」ことぶき園は入所定員は8名です。私自身の特別養護老人ホーム11年間の勤務の中で、原則50名以上の入所という制度がいかに全体として個別のケアを障害し、管理的で、人間らしい生活を送るには困難か実感してきました。それは定員に対する職員の数という問題もあるのですが、大規模制の組織そのものがもつ問題として現れるとも思っています。具体的に述べれば、職員にとってみれば、結局50人から100人以上の人々をお世話する為、実際に「相手を理解する」という前提が難しいこと。入所者にとっても、職員の名前を覚えることさえ困難(ましてやおそろいの制服を着用しているところは)と言える中で「人間らしい生活」をつくろうとする基本が成り立たないのではと思うのです。老人ホームは「生活の場である」と厚生省も老人ホーム関係者も一致して語り続けています。それならば、より家庭に近い、多くとも入所であれば定員10人位の老人ホームが本当は必要なのではと思ってきたのです。

 大規模制の二つめの問題は、必然として広い土地を必要とし、且つ、その取得費の関係で、いきおい「人里離れた場所」に建設され易い。土地代の安い島根においてさえ、山の頂上を切り開いたような、あるいは山の奥といった住民のあまり住んでいないところにより多く存在しています。「地域交流」と言えどもそもそもが地域から隔離されています。

 そこで小規模制の利点の一つめは、土地が少なくても建設可能となり生まれ育った地域の中に老人ホームがつくられることを可能とし、又、結果として量的に小学校区、あるいは、公民館単位につくることができるでしょう。

 どんな障害を抱えようとも、そして、家庭での介護が困難であったとしても、住み慣れた地域であれば、精神的な落ち着きが、家庭や知人、友人のいる地域、あるいは、見慣れた場所にいる安JL、感からもたされるでしょう。

 小規模制がもたらす二つめは、そこに住む入所者同士、又、入所者と職員との人間関係、あるいは、職員間の人間関係等や、ホーム管理運営システムについて大規模制に比べて大きな変化をもたらすでしょう。

 私自身、最初の長期入所100名定員、職員を合わせれば、140名の集団の特別養護老人ホーム勤務から50人定貞、職員とあわせて80名の特別養護老人ホームに変わった時の、あの「ホッ」とした感情を忘れることができません。140名から80名になってのことですが、これが入所者、職員合わせて14、5名となれば、もっと大きな気持ちの安らぎを覚えるに違いありません。それは、大規模制における人間関係の「広くて浅いもの」から、小規模化による、より家庭に近いものにつながり、同じ人間同士としての連帯意識も高まるでしょう。小人数であるが故に共に喜びや悲しみを共有することがより可能となり、いつもくるくる変わる個性の違う多人数の職員のケアを受ける状況と、いつも同じ、あるいは、よく顔を覚えている職員のケアを受けるのとでは精禅的ストレスを受ける可能性は恐らく比較にならないでしょう。精神的に弱い立場にある(介護を受ける立場〉であればある程、この小人数での職員ケアのあり方は大切ではないでしょうか。

 もっともそこで言われる「小人数の職員」の質の重要性は、ある意味で大規模に比べてはるかに高いものとなってきます。一人の職員の言動と共におこなわれるケアが、一人の高齢者の意識を大きく変化させる可能性をもつからです。その点で、「小人数の職員」の教育は徹底して実施される必要があるでしょうし、又、小人数であるが故に、その教育もより高いレベルで可能となるでしょう。個々の常時のケアの質が、互いの学びあいへと作用するシステムが確立される必要があります。又、小人数における個々の連絡体制、様々な教育効果、人間関係はより団結して、そして専門化、統一化されたケアをつくり出すよりよい条件をつくり出すでしょう。

 又、そのためにも「施設長のあり方」が問われてくるでしょう。そして、他の多くの施設職員との協力、共同関係の場もより一層必要となるでしょう。
  ◎ 実践内容について
    以上の理念を基本に実践してきた「ことぶき園」の実践経過をいくつかに分けて記述したいと思います。

   1.地域密着について
    一つめに小規模なるがために町の中心部(駅より車で約3分)に建設可能とし、近くには出雲市民会館、島根医科大学官舎などの共的建物があり、同時に民家やアパートも密集しています。又、近くには公園もあり、建物自体が一般の民家を少し大きくしたようなものであり、周りの建物との違和感もなく、およそ老人ホームのイメージとは違い、ガラス張りのホールからは道行く人々がほぼ同じ目線で見えるようになっており、例えば、朝、幼稚園へ行く子供達が見え「いってらっしゃい」と声をかける入所者もおられます。又、近所の子供達が夏休みになると毎日のように遊びにきたり、近所のご婦人達からは「芋がたくさん取れましたから」とか「家の庭で咲いた花ですけど」と季節ごとに色々な品物を持ってきて下さいます。又、天気の良い日には100m先の公園へ散歩に出掛けることも多く、そこで乳児を連れたお母さんといろいろなお話をしたり、お茶を飲んだりと「地域交流」と声高に叫ばなくとも毎日の生活の一部として自然な地域交流が可能となっています。
 二つめは、町中にあるということから面会がたいへん多いことがあります。当園では、面会時間は決まっていない為仕事の帰りに寄られたり、園より300m離れた家から入所されていた85才のAさんのところには毎日夕方には83才の奥さんがシルバーカーを押してこられます。その他にも土・日曜日になると必ず会いにこられる家族も2〜3組あり、お年寄りさんも家族の顔を見ると「あ、きたきた」と顔をニツコリとされます。このことは、本人の精神的安定面で重要なものとなっています。もちろん「面会簿」のようなものは置いておらず、いつでも気軽に一緒にお茶を飲んだりしておられます。

 三つめは、近所の30〜40才代の主婦30名位の人々が、自主的にことぶき園の昼食づくりグループ「麦の会」をつくられ、毎日月〜金曜日まで交代で、昼食づくりをしてもらっていることです。その中には、調理師資格者6名もおられ、既に10年が経過しており、毎日2人ずつ来られ、園内の行事食の時などは4〜5名来られます。

 会の全く自主的な運営で実施されているところに、これからの高齢者福祉のあり方への問題提起を含んだ住民運動としてのボランティア活動になっていくのではないかと思え、その力強さを感じています。ただ一言付け加えておくならば、ボランティアのあり方の原則として、「無償性」ということが言われていますが、当園は、昼食を1回作って頂くことに対し、お礼の形でいくらかのお金を払っています。これは園への通勤費等の実費とほんの気持ちだけのお礼を込めたものです。

 2.小規模制について
 一つめは、現在入所定員が8名であり、たいする職員は実数として昼間2.5名、夜1名です。この職員数は、特別養護老人ホームの50人に対して、昼間5名、夜間2名の実態の2.5倍以上の配置となっています。

 そのため、ケアの内容についても自己決定を尊重できるという点があります。それは、全体に十分目が行き届き、入所者1人1人の身体的、精神的状況をしっかりと把握できる面からきているものと思っています。

 入所者1人1人に対してもさることながら対職員との関係も、職員の名前が覚えられる程の数であり、いつも同じ人の介護を受けているような状態であり、安心して任せられる条件をつくり出しています。

 3.生活規則について
 小規模制により、規則らしいものは全くと言っていいほど必要ないことがあります。起床・就寝はもちろん、酒・タバコも自由です。持ち込みも自分のスペースに入るものなら何でも可能です。タンスやテレビなどはもちろん電話や冷蔵庫も可能です。敢えて、「スケジュール」として決まっているのは、食事の時間で、朝食は7時30分、昼食は12時頃、夕食は6時頃より始まります。それも「ごろ」であって事情により遅くなることもしばしばあります。

 4.食事・入浴・排泄・離床について
 食事は、原則全員がホールにて3食とも食べて頂くことにしています。それも、50人100人といった大食堂のイメージではなく、若干多めの家族に近い雰囲気です。

 全員が一緒で小人数であることは、何かの異常の発見がいち早くできて、大事に至らないことが多くあります。それと、自然と座る場所が決まってきて、隣同士互いの挨拶をしながら食べておられます。又、自ら進んで配膳や下膳をされたり、食事の介助をされる方もあります。それが自らの役割となっており、生きるカとなっていると思います。もちろん食器はすべて陶器です。この6年間お年寄りが割られたことはごく希で、洗う時の職員の方が圧倒的に壊すことが多いのです。昔から慣れ親しんだ、陶器による食事は、目で楽しみ、触れて喜ぶ食事の「文化性」を大切にする取り組みの一つだと思っています。

 入浴は、通常週二回、夏期は週三回実施しています。
 入浴介助は普通2名が入り、午後2時〜5時迄の3時間位かけています。2人ずつ入ってもらっているので、一人当たりの所要時間は平均30分です。又、廊下に並んで待つことは必要ありません。更に、少ない介助者と入浴者との間で会話の弾むことも多く、時には浴槽内で歌の一つもでることもあります。小人数の為、介助者の負担も軽いし、入浴者の精神的負担も全く違ったものでしょう。又、本人の自立度を尊重した介助で、すべての行為が本人のペースででき、それが、重ねられることによって、自立度は高くなることはあっても低くなることは少ないと思われます。それが「楽な介助」へつながり、他の生活へも波及していくと思われます。

 排泄については、当園の場合、排泄感覚のある人はオムツは当然しないこと。又、今ない人でも感覚を取り戻す為、時間による定期誘導を促すようにしています。

 小規模の良さから言えば小人数による小人数の介助となり、状態の変化の把捉がやりやすいことがあります。

 離床については、昼間は全員が原則であり、朝食時の7時〜8時半頃、10時から昼食をはさんで1時前まで、午後2時半頃から夕食をはさんで7時頃までが離床の時間となり、少なくとも8時間位は起きてもらっています。とは言っても、本人の日常の生活スタイルや当日の気分、体調によって、いろいろ変わる面もあります。大切なのは離床自体が目的なのではなく、それをして何をするかであると言えます。

 当園では、食事以外の時間は、午前中は体操やリハビリテーションも含めた体を動かすことを中心にし、午後はゲームや手芸、習字など頭や手先を使うことを中心に実施し、その他に、天気さえ良ければ近くの公園に散歩やドライブ、ショッピングなどをしています。このように、その日の天気や利用者の顔ぶれ、職員の特技等によって柔軟に多くのプログラムの中から選択され、実施されています。

◎ 今複の課題について
1997年度から厚生省によって公的制度化された高齢者のグループホームは「痴呆性老人」を対象としていること、又、痴呆の程度を中程度として、終の住処とはしていないこと、委託料も年間1,700万円弱であり、一人当たりの単価は特別養護老人ホームより随分低いこと、等々、私共が考えるグループホームのあり方と若干の違いがあることは確かです。しかし、グループホーム(小規模ホーム)そのものが、はじめて高齢者の分野の中で公的制度化されたことの意味と意義が今は何より重要であり、施策の中味を良くしていくというのは、まさに今後の課題です。

 いずれにせよ、これまでの大規模施設をお金のカや政治の力等々によって、一部の人々の金儲けや地位や名誉や一族のためにつくっていく今日の一部分をつくっている時代は終わりにすべきと思うし、それを実現するのは、主権者としての国民の力であると思うのです。これからは、住民自身が必要とする老人ホームを住民自身が組織し、協力し、行政の支援を受けつつその地域の実情に合わせてつくり上げていく時代と私は思うのです。


      つきたに かずお/
                                  l
      社会福祉法人ことぶき福祉会理事長
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