国際高齢者年と介護保険 井 上 英 夫 |
|
---|---|
はじめに 私は、現在金沢市の「介護保険事業計画等策定委員会」の委員をしています。いわゆる基盤整備が重要であるという観点から、介護保険事業計画だけではなくて、老人保健福祉計画もあわせて策定するということで、「等」と入っています。 7月末から8月にかけて、市ではなく委員会が主催するというかたちで、市民のみなさんにご意見をうかがう市民フォーラムを3回開きました。担当の介護保険課だけではなく、福祉保健部長を先頭に多くの職員が参加しています。 行政の姿勢もだいぶかわってきました。自治体としていかに介護保険制度をつくっていくのかが問われている。私は介護保険制度は、自治体の自治、住民の自治、それを推し量る試金石であると考えています。住民の力も問われている。自治体のカだけではないわけでして、介護保険は非常に重要であると思います。 介護保険に対してどういう方針、姿勢を見せるかが、自治体のありよう、そしてそこに住む人びとの力をあらわしている。こうした意味で、今、すこし時代はかわってきていると思います。 1 介護保険事業計画策定にあたって 現在、介護保険の中味を作り上げるもっともだいじな時期になっています。ご存知のように10月1日から要介護認定の申請・受付が始まる。そして来年の4月1日から実施されるわけです。 今、みなさんが大きな声を上げることによって、まだまだ介護保険の中味はかわっていくし、よくなる。介護報酬についての厚生省案が何日か前に発表されました。少し高めに設定して、事業者の参入を促進するねらいがある。また地域格差にも一定配慮する。とくに離島等についても配慮するということもいわれています。施設の自己負担部分について、低所得層に配慮して、減額するという方向も出ている。 これらはいずれも市民が声を上げてきた、自治体が国に要請してきた、そういう動きのなかで出てきたものです。介護保険の中味は、これからまだまだ動くということです(11月になって、保険料の徴収猶予、利用料の減額そして家族慰労金の支給等、制度の根幹にかかわる変更が自自公・政府によって行われています)。 細かいこともだいじですが、基本方針が定まらないとほんとうは中味がつくれない。基本方針が定まらないところで計画をつくろうとすると、どうしても財政的観点が前面に出てきます。お金を節約しようということになってくるのです。 あらためて、今、介護保険とは何か、あるいはどうあるべきか、介護保険を本当の意味での介護保障にしていかなければいけないという議論をしていく必要があると思います。その際に、参考にすべきは、国連の国際高齢者年の考え方で、とりわけ今日お話ししたいと思っている「高齢者のための国連原則」です。この原則を確認して、それに基づいてそれぞれの自治体で介護保険の中味をつくりあげる、そういう発言をしていっていただきたいということです。 はじめにお断りしておきたいのですが、私は介護保険については反対論者です。とりわけ現在のような介護保険はない方がましだという意見を持っています。従来の「措置」制度を改善して、もっといいものにすれば、権利性も選択の自由も保障できる。それはスウェーデンやデンマークがやっている。北欧の制度は日本で言う「措置」制度に他ならない。「措置」制度なのに選択の自由もあるし権利性も保障されている。日本の場合は、制度が悪いというよりも運用とサービスの量、質が問題だと思います。 しかし、やる以上はよりましなものをつくることがだいじだろうと思って、委員になっているわけです。放っておいていいものができるわけがない。「介護保険反対」と言う立場とは矛盾しますが少しでもよくする努力をする。これが私の基本的立場です(委員会活動については『住民と自治j1999年11月号参照)。 2 国際高齢者年のあゆみと趣旨 まず国際高齢者年の歩みと趣旨を、簡単にお話ししておきたいと思います。最初に、国際高齢者年の出発点だけ確認します。国際高齢者年は1999年という、「20世紀最後の国際年」です。ということは、21世紀最初の国際年につながるもので、2001年は「国際ボランティア年」と設定されています。 国連が人権保障の活動を展開す為ために設定する国際年、これをみていると世界の人権保障の動きがよくわかるわけです。例えば国際婦人年(1975年)、児童年(79年)があり、「障害者」年(81年)があり、そして高齢者年とつらなっています。また、人種差別など差別された人びとの人権保障を提起して、地球上のすべての構成員が人権を享受できる社会をつくる、これが国連の考え方です。 人権をすべての人が享受できる社会は、それこそ本当の意味で平和な社会である(積極的平和)。人権保障を徹底することが平和を実現していくことになる。そこで人間の尊厳が確立される、あるいは確保できるという考え方です。 第二次大戦後、1948年、戦争の悲惨な経験への反省にたって人権保障の出発点としての世界人権宣言が発せられる。その前年には、日本国憲法が施行されていますが、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(憲法第97条)としての人権保障を、国民主権、平和主義と並ぶ三本柱として規定したわけです。世界人権宣言が地球のすべての人びとのグランドデザインとなったのと同じ流れに立って、日本の戦後世界をつくっていくグランドデザインとして憲法が制定されたといえるでしょう。国の方向を示した、あるいは国民が生きていく方向を示した、そういう憲法だったと思うのです。そのことをあらためて確認する必要があるでしょう。 同じ48年、アルゼンチンが、「高齢者の人権保障についての決議」を国連に提案し、採択されます。48年ですから高齢者人口はまだまだ少なかったのです。しかしそういう時期に人権宣言が発せられ、高齢者の人権保障をしなければいけないという決議が採択された。 当然、このとき反対がありました。人権保障を普遍的に誰にでも保障するとうたっている世界人権宣言があるのだから、さらに高齢者だけ特別に扱う必要はないというのです。こうした意見がずっと底流にあって、高齢者年あるいは高齢者の人権保障の活動が表だって出てくるのは1970年代未から80年代までのびてしまうわけです。 もちろん、人口の高齢化が進んでいなかったということはありますが、しかし考え方の基本に、人権の普遍性と個別(特別)性ともいうべき問題がある。」これは現在でも考えなければならない問題です。人権保障はすべての人びとに保障されなければならない。しかし他方で、すべての人びとに一般的に保障すればそれですむというわけではないでしょう。高齢者には高齢者としての、年をとることによって出てくる障害、困難、これを解決する必要(specialneeds)がある。そうするとむしろ、一般の人よりも手厚く保障しなければならない。 障害をもった人はどうでしょうか。差別されている女性には、人間として普遍的な人権保障だけでは足りない。この差別を取り除く、あるいは侵害を埋めるプラスアルファーの手だて 〈アフアーマティプ・アクション等)が必要です。これが人権保障です。その意味では、子どもの権利、障害をもつ人、女性と続き、ようやく20世紀の最後に高齢者が取りあげられたわけです。80年代に入って、ようやく高齢者だけ特別扱いすることはないといった意見ではなくて、高齢者には高齢者に特有のニーズがある、それに村応する必要があるという考え方が強くなりました。82年にウィーンで国際会議が開かれ、そして92年になって1999年を高齢者年にするということが決められました。そういう意味では、大きな歴史の流れをみると、今ようやく、活動展開期というように私は位置づけていますが、世界中で高齢者の人権保障が課題とされ、具体的な活動が展開されるようになったといえるでしょう。(国際高齢者年について詳しくは、井上『国際高齢者年と国際行動計画』日本高齢者運動連絡会(03−3384−6654)、98年、「国際高齢者年と日本の課題」『賃金と社会保障』、98年6月下旬、8月上旬、10月下旬、12月下旬号等参照)。 3 国際高齢者年(InternationalYearofOlderPersons)の基本的考え方 ここで強調しておかなければならないのは、日本政府の活動が実に消極的なことです。日本政府、高齢者運動など国際高齢者年についての日本国内の動きについては、『住民と自治』 9月号をみていただきたいのですが、政府関係の動きと、政府関係に近い団体でつくったNGO(非政府組織)の活動も書いてもらいました。それから高齢者運動団体のNGO、石川県でも国際高齢者年石川NGOも結成されましたが、NGOが地域ごとにつくられています。そういう動きもようやく出てきました。 しかしまだまだ動きとしては政府はとくに弱い。それだけではなく、政府は国際高齢者年の趣旨を正しく国民に伝えていない。したがって、本来の国際高齢者年の趣旨や考え方をしっかり確認しておく必要がある。政府はめだった活動をしていないのですが、総務庁が中心になって、関係省庁連絡会議をつくってパンフレットを出しています。 (1)「世代」から「すべての年齢の人々」へ 国際高齢者年のテーマは、英語でいうと、”towards a society for allages”、これを政府は、「すべての世代のための社会をめざして」と訳しています。間違いではないでしょう。しかし、”allages”の意味をもう少し考えるべきだということで、私たちは「すべての年齢の人びと」と言っています。「世代」という言葉を使わないようにする。なぜか。 最近、「世代」が出てきたら何かこわいでしょう。とくに年金では、若年世代はお先真っ暗、高齢者の現在の年金を払うために、すごい負担をしている。自分たちのときには払った保険料も返ってこないのではないかという宣伝がしきりにされている。つまり「富める高齢者」村「苦しい若年世代」というような図式で、世代間村立があおられている。そういう意味ではこの「すべての世代のための社会」というのは、世代間村立を解消しようといっているようでありながら、実は高齢者の人権保障というプラスアルファ保障に消極的ないしは否定的方向に作用し、若年世代も我慢しているのだから、高齢者も負担すべきだというような議論を誘導することになっているのではないでしょうか。 さらに、「世代」は使わないほうがよいと思うのは、人間をひとくくりにしないでほしいということです。私などはすぐに言われます。「団塊の世代」と。しかし、「団塊の世代」なんて冗談ではない。もう一つの呼ばれ方は、「全共闘世代」です。仝共闘の人々は何をしていたかを問いたい。私は非暴力主義者ですから、彼らのように暴力をふるえばいいという考えはもっていない。そういう人たちと否応なくひとくくりにされる。冗談じゃないといいたいわけです。 同じように、「老人」とひとくくり、「高齢者世代」とひとくくりにし、「対策」の必要な「問題」(高齢者問題)を抱えた存在として見る。年をとって老人になると、みんな哀れなもので、最後だ。社会の役に立たないから早く成仏せよ、あの世へ行ったほうがいい、そういうことをいわれるいわれはない。世代とひとくくりにとらえるのではなく、一人ひとりの個性、一人ひとりの年をとってきた歴史をだいじにする、個人を尊重するというのが、人権保障の基本でしょう。 (2)「老人」観の転換 そうなると、国際高齢者年のなかで非常に重要なのは、高齢者観、あるいは老人観のコペルニクス的転回ではないかと思います。 @加齢も個性 「老人」という言葉と同時に、歳をとると、みんなが社会にとってはお荷物であり役に立たなくなるという見方をやめましょうということです。年のとりかたは人によって一人ひとり違う。90歳だって元気な人はいる、18歳の大学生だって「死んだような人」も多い。若いだけが取り柄じゃない。加齢にともなう障害も一人一人違う。一人ひとりの人を一人ひとりだいじにみていく、ケアする、そういう考え方です。 A発達の可能性 もう一つは、歳をとるとどんどん体力的にも落ちてくるし、人間としては能力が落ちて、あとは死ぬばかりというような見方ではなく、歳のとり万が一人ひとり違うのと同じように、年をとっても人間は発達をしていくのだという考え方です。あとでも話しますが、発達の可能性は年をとっても失われない。老年学などの成果でいえば、高齢期になればなるほど経験が蓄積されて豊かになる、判断力が増すといわれています(「高齢者のための国連原則」前文を参照して下さい)。 B主体者として−forからofへ それと連動しますが、高齢者年は、英文で”InternationalYearofOlderPersons”です。”of”という言葉を使っている。国際「障害者」年のときこのことがいちばん議論されました。「障害者のための国際年」という”for”ではなく、障害をもつ人々が自ら創り上げるという意味で,,of(による)”を使ったわけです(高齢者年と「障害者」年の関連については、拙稿「国際高齢者年と『障害者』の人権保障の課題」障害者問題研究第27巻3号、99年参照)。 日本語だと、Ofでもforでも、「国際高齢者年」と別に違いがわからないのですが、英語でこの一字に込められた思いは、歳をとったら「弱者」として保護される、客体ないし対象者ではなく、「高齢者こそ主体者である」「高齢者が主人公となって、社会をつくりかえる」、そういう年だということです。 (3)政策決定過程への参加 総務庁パンフには、具体的な活動として社会参加活動と世代間交流がもっともだいじであると書いてあります。ここでは社会参加活動の例として、地域活動、町内会・自治会活動、趣味、健康・スポーツ、教育・文化、老人介護、ボランティア活動、シルバー人材センターにおける生産就業活動があげられています。要するにいわゆるボランティアをやって、あるいは福祉のにない手になってみんなで頑張ってください、私たちは何もしません、パンフレットつくるだけですと、政府はいっているということです。 後でもふれますが、国連は、以上のような社会参加の重要性を認めたうえで、もっともだいじなものとして政策の決定過程への参加を位置づけています。 (4)政府・自治体の義務と責任 高齢者年の目的とする高齢者の人権保障は、基本的には、個人と政府の関係でなりたつ。国民と政府(国と地方自治体)です。人権を保障するのは政府の義務であり責任であり、基本的人権を保障されるのは国民の権利です。国民が義務を果たしたら、その引き替えに政府が権利を保障するというのではない。 しかし人権保障という言葉は、総務庁のパンフレットのなかには、「高齢者のための国連原則」を訳した部分以外には出てきません。みんなでお互いの人権を尊重しましょう、高齢者の人権を尊重しましょうなどといって、問題をすり替えている。人権は、政府、自治体が基本的に保障しなければならないのに、その責任を回避し、転嫁している。そのことをしっかり確認する必要があるでしょう。 もちろん現代社会は、政府や自治体だけでやれるわけではない。たとえば企業についても人権を保障させなければならない。しかし、させるのは誰か。国民の付託を受けた政府が、必要なら立法し、あるいは行政的に指導して人権を守らせる。これが政府の役割です。国連はそういう活動を各国政府に対して要請しているわけです。国連の文書が宛てられているのは「みなさん」ではなくて、日本国政府です。 (5)「同額」なのは高齢者ではなく社会である 最後に、国際高齢者年の目的は、社会変革にあると言うことです。よく「老人問題」とか「高齢者問題」とかいわれますが、問題のあるのは高齢者ではなく社会の方である。したがって、高齢者を社会にあわせる、あるいは「対策」の対象として社会から排除・抹殺するのではなく、社会を高齢者にあわせ、人権保障を実現できるように変革していく。そのための活動が国際高齢者年で提起されているのです。あらためて、高齢者を閉め出すような社会は「貧しい社会」であると認識する必要があると思います。 4 高齢者の人権と介護保険 国際高齢者年の基本的な考え方と、日本国政府の考え方を対置してお話ししました。さらに国連は、91年に人権保障を徹底するために「高齢者のための国連原則」を示しています。18の原則を、5つにまとめています。 人間の尊厳を理念とし、5つの原理を掲げ、それを具体化した18の原則を掲げていると言ってよいでしょう。これらの原則を具体化するシステムをつくりあげるということ、制度としての人権保障が課邁となるわけです。 そこで、現在焦点となっている介護保険を例に、制度の中にどう生かしていくか、考えてみましょう。介護保険をつくりかえる、介護保険をよりよくする指針、それがこの原則だということです(なお、あわせて人権としての社会保障の諸原則から検討した拙稿「国際高齢者年と社会保障の『構造改革』=介護保険」賃金と社会保障98年12月下旬号をご覧下さい)。 (1)独立(Independence) @「自立」から「独立」へ 最初に「独立」が掲げられています。政府の訳は「自立」です。’’Independence Day”といったら独立記念日です。どうして「自立」というふうにわざわざ訳すのだろうか、むしろ素直に「独立」と訳すべきだと思います。 「自立」も本来悪い意味ではない。しかし、日本では「自立」というと、人のお世話にならないで生きていくこと、とくに福祉の世話になってはいけない、これが自立だということでしょう。介護保険でも給付の必要ない人を「自立」と呼ぶわけです。「自助・自立」とセットで使われる。社会保 障を後退あるいは削減する、その枕詞として「自立」という言葉が使われる。生活保護でいうと「自立助長」という言葉が、生活保護をうち切る、生活保護を受けさせないという意味になる。 ところが、6月11日に金沢地裁で高訴訟の判決がありました。原告の勝訴判決です(高訴訟については本誌の奥村、高両氏の論稲をご覧下さい)。その判決文をみると、「自立」という言葉を少し現代的にかえて、生活保護を受けないで頑張ることではない、生活保護を受けて、しかもお母さんがかけてくれた扶養共済の年金も受けて、そして人間らしい生活をしていく、それが自立だといっています。 つまりは生活保護や社会福祉・社会保障、あるいは他のいろいろなサービスを受けて、そのうえで人間らしい、人間の尊厳に値する生活をすること、それがだいじだといっているということです。大事なのはサービスを受けても人に支配されないということです。それはまさに「独立」ということでしょう。 金沢地裁では一歩進めましたが、日本ではまだまだ公的なサービスを受けたら、生活の面倒はみてやるから行政のいうことを聞けと、こうなるのではないでしょうか。生活保護を受けている人は、お金の使い方はじめ生活は行政が指導するから、その通りにしろと。「福祉」と引き替えに自由を奪われる。これはおかしいということです。「自立」よりも「独立」という考え方を強調しておきたい。 「十分な食料や水や住居、衣類、健康へのケア」(第1原則)を受けて、人に支配されない、自分で自分の生活を築いていく、これが原則の1〜6でいうところの「独立」という考えです。 A「もう一つの過疎化」と住み続ける権利 そして重要なのは第6原則で、高齢者は「できるだけ長い間、自宅に住むことができなければならない」とうたっていることです。 「できるだけ長い間、自宅に」。能登半島で私たちがいろいろ調査していますが、過疎地域では年をとると住めなくなってしまう。元気なうちは一人暮らしでも何とかやっていける。ところが医療機関がない、福祉のサービスを受けられない。となると、体が弱くなると、金沢にきたり東京にいったり、速くの土地に行かなければならない。自宅に住めない、生まれ故郷に住めない、こんなことが起きているのです。私たちは「もう一つの過疎化」と呼んでいます(拙著『増補版 高齢者の人権が生きる地域づくり』自治体研究社、99年参照)。 自分で生まれ育った土地に、自宅に住み続けるというのは、人間の基本的な願いではないでしょうか。だから、それは基本的人権の一つとして保障されなければならないということになる。憲法22条は、「居住、移転の自由」をうたっています。移転する自由は今まで議論されてきましたが、移転しないでそこに住み続ける自由が保障きれなければならない。何もそうぜいたくなことではないでしょう。たとえばその地域に診療所が一つあれば、あるいはなくても病院からちゃんと往診や訪問看護等の在宅医療、あるいはヘルパーがきちっと行って、サービスをすれば住み続けられるのです。 スウェーデンで調査をしたのですが、離れ小島が四つある人口1万5千人の市(ショーン市)で、ちゃんとその島に船でヘルパーが行っている。24時間体制で。やればできる。ただ財政的な閉篭でいうと、やはりそういう島に行くのはお金がかかるから、市の中心にケアつき住宅をつくって、診療所をそのとなりにつくって、そこに住んでいただけば安心だという、そういう政策を進めていました。 しかし移るについては本人に意見を開いています。本人がいやだといったらどうするのかというと、「本人が島に住みたいのだったら、島に住んでいただいて、そこにサービスを提供するしかありませんね。しかし行政の立場としては、経済的な面よりも診療所のそばにすんでいただいた方が何かと安心できるということです」と診療所の所長はいいました。 本人に選択の自由、自己決定が保障されてのことです。自己決定が、人間の尊厳のもっとも核になることではないでしょうか。自分で自分の生き方、住み方、暮らし方を決めるということです〈本誌10号の特集「北欧の医療・福祉視察」参照)。 (2〉参加(Participation) さて、二番目が「参加」ということです。先ほどいいましたように日本でも社会参加が強調きれ、進んで来たことは確かです。しかし参加の第1番目に位置づけられているのは、「高齢者の福祉に直接関係する政策の立案および実施に積極的に参加すべき」(第7原則)だということです。行政の政策をつくる立案から決定過程、さらには実施過程、運営そのものに参加できなければならないということです。 @介護保険づくりへの参加 金沢市は介護保険事業計画等策定委員会で公募委員を募りました(以下金沢市の例については、住民と自治11月号参照)。全部で委員が25名です。そのうち3名を公募委員にしました。18名の応募がありました。作文を書いていただいて、それをみて選びました。そういう意味では、住民参加に一歩踏み出しました。しかし25名のうちのたった3人です。まだそんな段階です。ただ金沢市が優れていると思うのは、その委員会のなかに介護保険事業計画と老人保健福祉計画をつくる二つのワーキングチームを置きました。それぞれ委員会の委員4名と公募で漏れた方2人で構成しています。そして事務局と議論をして具体的な計画の案をつくる。公募の方は2つのチームで4人、そして親委員会に3人入っていますから実質的に7人入っている。29人中7人が公募ということになる。ワーキングのレベルで見れば3分の1です。全国的にいっても相当な比率だと思います。 さらにフォーラムというかたちで、高齢者、市民に意見をいっていただく。このときに公募委員や公募で漏れた方にも発言していただくよう工夫しました。できるだけそういう意味での参加を促進する。そして現在、計画を推進していくための運営委員会なり協議会なりをつくるというかたちで、住民参加をもう一歩進めるという方向で議論がされています。 A金沢市「障害者」計画と住民参加 昨年、金沢市の「障害者」計画をつくりました(『ともに創り ともに生きる ノーマライゼーションプラン金沢』)。全国的にみても、住民参加とくに障害をもっている方本人の参加を重視してつくってきました。「障害者」ではなく「障害のある人」と呼ぶこと、表題として「ともに創る」を先に掲げたこと等いずれも障害のある人、家族の声を反映したものであることが象徴的だと思います。 さらに、計画をつくる以上にだいじなのは、計画を実現していくための組織だと考えて、「障害者」計画推進協議会をつくりました。そこでは今までのやり方をかえました。それなりに団体を代表する方にも入ってもらいましたけれども、肩書きをもった偉い人、当て職といいますが、会の会長、委員会に出てきても一言も発言しないで「ごもっともです、ありがとうございます」といって帰っていかれるような方たちにはご遠慮願いました。 計画を実現していくためにどんどん発言して、行政の進行度をチェックする、評価する。これが仕事ですから、意見を言わないでただきている人は、意味がない。税金の無駄遣いです。ということで、発言し実質的に動ける人に参加していただく。その結果、本人、家族、福祉関係者が過半数を超えました。そして四つのグループにわけて、それぞれにテーマを設定して、計画の進行を委員がチェックしていく。そして新しい計画づくりに備えていくというやり方です(グループの活動はボランティアです)。 これは住民参加という視点でいえば、全国で私の知る限りいちばん進んでいるのではないかと自負しています。この経験も生かして、前に述べたように介護保険事業計画も計画をつくっておしまいではなくて、きちっとその計画を実現しフォローする、あるいは介護保険の問題点を再チェックしていく、こういう組織〈介護保険運営協議会)をつくることになっています。それもこれも政策の立案・実施過程への参加を重視するということです。 第8原則は、先ほどのパンフレットがいっているような、社会参加−ただしボランティアを強調していますが−をとりあげています。そしてさらに第9原則、これも日本的発想では軽視されていますが、高齢者自身運動をし、団体をつくることができなければならない。個人として参加すると同時に、高齢者自身が官製の団体ではなくて、自主的に自分たちで自分たちの要求を実現するために団体をつくる。当たり前のことです。NGOというのはその一つですね。こういう参加のとらえ方をあらためて確認する必要があるということです。 (3)ケア(Care) 三番目は、ケアです。高齢者は各種のケアを受けられなければならない。これは介護保険に直接かかわる問題といえるでしょう。地域社会のケアというように、このケアは広い概念であって、介護だけではありません。看護あるいは世話を受ける、そしていわゆる施設か家か、それを問わない。ここに掲げられた第10原則から13原則までをあらためてみておいていただきたいのですが、第14原則がとくに重要だと思います。ケア施設、治療施設あるいは自宅に住もうと、尊厳あるいは信念、プライバシー等が尊重されなければならないし、自分が受けるケアや質について決定する権利が最大限尊重きれなければならないといっています。 高齢者が、自分が受けるサービスについて 自分が発言し決定できるという「自己決定の原則」をのべている。このなかに福祉施設や医療機関の方がいらっしゃるでしょうが、今までの立場を逆転させたといってもいいでしょうか、コペルニクス的転回です。高齢者自身が決定するのであって医者や看護婦、施設、行政の職員が決定するのではない。 こういう話をすると、「施設は成り立っていかない」とすぐいいます。「やっぱり、規則があってそれを守って、集団生活をやってもらわないと、とても施設はやっていけない」、「自己決定できない人もいる」。さらに職員も「人が足りない、施設の条件も劣悪で苦労している」と続きます。 ここでとりあげているのは基本原則です。しかし原則をどう日々の実践のなかに、あるいはどう施設づくりに生かすかということが問われている。現実にはできないからといって原則を否定してしまったら進歩はないと思います。しかし日本の多くの施設、病院等では、「原則を無視するか、目をそらすか、お蔵人り」にしてしまう、それが日常的におこなわれているのではないでしょうか。そうではなくて原則にできるだけ現実を近づけるというのが大切なのではないでしょうか。 今年6月、金沢では国際高齢者年の企画として、函館の旭ケ岡の家総合施設長グロード・フイリップきんに講演をお願いし、「すべての人々が自己決定できる社会を」というシンポを開催しました(グロードさんについては『おとしよりに太陽を』旬報社、96年参照)。 その、グロードさんの活動は、まさに原則を実践に生かしている。今年、全室個室化を実現しました。個室の中でできるだけ自由な生活を送っていく。個室は、少なくともその中では自分で決定して生きていける場です。さらにその個室を家(ホーム)にしていく。施設ではなくホームです。こういうことを一生懸命やっています。 また、あしや書楽苑でやられていることもそういうことです。完全個室というわけではない。しかしそこでは一人ひとりの生き方を尊重していく。そういうところではお酒は自由に飲める。酒が飲めること、たばこが吸える事は自己決定と自由の象徴です(その実践については、市川憩子「入居者のふつうの生活をめざしたとりくみは国際高齢者年の理念の実践に重なった」『ゆたかなくらし』99年9月号参照)。 2,3日前、知的障害の人の施設、愛知県設楽福祉村にいってきました。一泊ですが、一緒にご飯も食べて、作業もして暮らしてきました。短い期間ですが。そこは個室でグループホームです。そして鍵をもっています。重度の障害をもった人たちがそこで自分で鍵をかける。老人ホームだと、職員が外から鍵をかける。これが普通でしょう。しかし、家庭を考えれば、鍵は中からかけるのであって外から誰かがかけるのではない。これこそ自分の生き方なんです。自分の生活を決定しているということです。本当に重い人たちは、自分で鍵は管理できないのですが、鍵をもっている人たちは実に誇らしく、「私は鍵をもらったよ」といって、見せてくれます。 5人が一つのグループホームで暮らしています。だいたい職員がパートの人を含めて2人で世話をしています。実に楽しそうに暮らしています。まさに暮らしです。規則のための規則がないのですから。酒も飲みたければ飲みます。そういう生活が実現できるのです。 すぐそばには川があります。池まであります。 みなさんの発想でいえば、とてもではないけれども危なくてしょうがないと、すぐ埋めてしまうでしょう。でも別にそれで死にはしません。グロードさんの特別養護老人ホームでも30年間で2人、俳掴して行方不明になったそうですが、別に何事もなかったという話をしてくれました。出ていくなというから出ていくのです。ぼけた方は鍵をみると開けたがる。本当にほけを理解されて、そのぼけた方に吋する人間としての尊厳を尊重する接し方をすることによって、「異常」行動も問題ではなくなる。これが最近の実践から明らかになっていることです。グロードさんも、「全然問 題ないよ」(no problem)といいます。 石川県では、内浦町という金沢から自動車で2時間半くらいのところに、日本海クラブという知的障害の人たちの施設があります。 ここも全室個室でグループホームということですが、去年オープンしました。ここは地ビール工場をもっています。皆さん地ビール工場、農場や牧場で働いています。レストランがあります。そういうような生活が、今全国に広がっているのです。 でも国基準では、全室個室になっていないですね。それを個室化していくという努力をしています。廃品回収したり、お金を集めて、施設もそれで建てています。 金沢の「やすらぎホーム」という特別養護老人ホームは、市民のみなさんの運動で建てた施設です。福祉行政・政治の貧困と費任を問う一方で、自主的運動を積極的に展開すべきではないか。これが自己決定の問題にもつながると思います。 (4)自己実現くSelf−fdfillment) そして「自己実現」です。第15原則は「高齢者は、自分の可能性を最大限伸ばすことのできる機会を追求することができなければならない」と述べています。 つまり前文でも指摘しているように、「高齢に伴う不可避で不可逆的な減退に関する多くの固定観念」は誤っているのであり、高齢者は発達の可能性のある存在であり、その発達を保障しなければならないという考えです。 (5)尊厳(Dignity) そして最後に「尊厳」です。ここでいわれている「尊厳」は狭い意味での尊厳といってもいいでしょう。搾取されたり虐待を受けたりしてはならない、そういう意味での尊厳を保っていかなければならない。 そして、最後の第18原則。高齢者の経済的寄与と人間としての評価は別物だということです。お金が稼げるから大切にされるのではなく、人間であることそのことが価値のあることで、だいじにされなければならない。これが尊厳の基礎でしょう。尊厳すなわち個人のそして民族の自己決定の権利を徹底的に踏みにじったのがナチス・ドイツであり、大日本帝国だったわけでしょう。ヒットラーがやったことは、障害をもった人や病人、社会的、経済的に寄与できない人たちから最初に抹殺していく。それがだんだんエスカレートして民族抹殺、ホロコーストになっていくわけでしょう。日本やドイツ等の過去の歴史の反省の上に人間の尊厳の内容を具体的に考えてい かなければならないと思います。 (6)「選択の自由・権利性」と介護保険 介護保険でも「利用者の人格の尊厳及び選択の自由」の尊重がうたわれています(「基本指針」)。権利性の保障もくり返し説かれてきました。 @「選択の自由」 介護保険で保険料を払うのだから、介護は利用者が選択できる。こういうことでしょう。でも本当に選択ができるのか。このままでは自治体がどれだけ努力しても、なかなか選択できるだけの十分なサービスが提供できるものではない。むしろいちばん危惧されるのは、「選別の自由」だと思います。これを介護サービス提供事業者・施設、行政に与えてしまうことにならないか。民間の産業の参入を認めると言うことは、お金になる人を選別してサービスしてもうけることを認めるということです。 選択の自由より「選別の自由」が保証される。となると、とりわけ民間の事業者が提供するサービスを、コントロールしなければならない、その質のコントロールという問題が、量の問題以上に大切だと思います。尊厳を守るサービスを提供しているかどうかを保険者としての自治体が監視しコントロールしなければならない。そういう仕組みをつくるべきだと思います。 残念ながら、現在の介護保険法では、ほとんどそういうことにはなっていません。せいぜい苦情処理だから、賢い消費者になって苦情をどんどんいってくださいという、こういうレベルです。これは金沢市でも検討している最中ですが、どんなかたちでやるか、自治体はこの量の提供と同時に質のコントロールの責任から逃れることはできない。保険者としてはもちろん、自治体は、「住民の福祉の増進を図る」(改正地方自治法第1条の2第1項)責任がある。そういうことからしても、何らかの自治体独自の仕組みをつくりあげる必要があると思います。 (多種利性 もう一つは、権利性ということがいわれています。お金を払うから介護を受けるのは権利だという。しかしこういう権利概念は、実に接小化され、発想が貧困なものだといわねばならない。金を払って介護が受けられるのだったら、ものの売買、八百屋に行って野菜を買うのと同じことです。しかし社会保障や社会福祉の制度がつくられたのは、お金がない人、払えない人でも人間としての尊厳を守られる、そういうサービスを受けられるということでしょう。金と切り離したところに権利が成立する、これがいちばんだいじなことです。 金を払ってもの(介護)を買うということなら、放っておいても企業がやります。しかし、市場に任せておいたら暮らせない、充分なサービスが受けられない人が沢山いる。だからこそ国や自治体が税金あるいは保険料を集めて、お金のない人にもサービスを提供する、これが社会保障・社会福祉でしょう。その人たちの権利が保障されるというところに意味があるわけです。保険料や利用料の減免制度等を充実させ、誰でも必要な介護を受けることができるようにする必要があるでしょう。 ちなみに、介護保険制度はドイツの介護保険制度を参考にしてつくったとされています。しかし、保険という名前は似ていますが、似て非なるものだ。ドイツは、介護保険とそれから介護保険を受けられない人、介護保険に加入できない人のため連邦社会扶助法による社会扶助制度があるのです。だからお金のない人でもサービスを受けられるような制度がきちっとある。日本はその真ん中が抜けてしまって、いきなり生活保護です。実は決定的にシステムが違う。そういうことも参考にしながら、とりあえずは介護保険を充実するということしかないでしょう(瀧澤仁唱「ドイツ介護保険の現状と課題」本誌第9号、97年、参照)。 おわりに 最後に、原則を貫くにはどうするか。グロードさんに学んで二つあげておきましょう。 @「冗談じゃない」 「冗談ではない」ともっと怒るしかないだろうということです。それこそ自治体の職員も過労死しかねないような状況に追い込まれている。怒らなければいけない。冗談じゃない、こんな仕事やってられないと、介護保険を放り投げたいんで、本当は。でもそうはいかないからみなさんやっていますけれども。でも人をよこせ、お金をよこせと国に主張することはまだまだできる。そういう意味では自治体の職員も怒らなければならない。市民も、介護不安はますます増大しているのに、こんな介護保険におとなしく払うというのは信じられない。もっとよくしようと怒りの声をあげましょう。グロードさんは、日本の高齢者は本当にひどい目に遭わされている、とりわけ障害をもった高齢者についてはひどすぎる、先進国なんて恥ずかしくていえないといって怒っているわけです。 A日本だからできる 同時に、このグロードさんが非常にいい言葉を金沢に残してくれました。北欧や世界の先進例を話すと、「北欧だからできる、日本では無理だ」と必ず日本の人はいいます。日本では無理だ、百年たってもできないのではないかといいますが、グロードさんにいわせると「日本だからこそできる」。どこがそうなのかというと、お金があるのはもちろんです。日本ほど金持ちの国はあまりありません、世界で。また、日本は民族的な緊張が少ないまれな国だ。そして、それ以上に日本だからできるというのは、日本には誇るべき文化があるというのです。人生の最後のバカンスとしての高齢期を送る老人ホームの暮らしのなかでいちばんだいじなのは文化を楽しむことだ というのです。 日本には、お茶がありお花があり、そのほか蓄積された多様な歴史的文化がある。アメリカの独自の歴史は二宮年ちょっとしかたっていない。それに比べれば、日本では2千年をこえ培われた文化があって、その文化をいかすというのがホームの生活だ、高齢期に入っていちばんその文化を享受する、さらにはその文化を社会に提供できる、それが高齢期であり高齢者である、そう考えると、日本だからこそできるというわけです。そのことを私たちは胸に刻んで、これから介護保険をもっとよくし、真に高齢者原則に則った介護保障に発展させ、高齢者の人権保障をすすめていく必要があるのではないかと思います。(本稿は、99年8月27日から29日に開催さ れた第5回総合社会福祉研究所地域研究交流集会における市民公開講座講演に加筆したも のです)。 資料1991年高齢者のための国連原則 一人生を刻む年月に活力を加えるために一 総会は、 高齢者が、社会に貢献していることを評価し、国連憲章において、加盟国の人々が、とくに基本的人権と人間の尊厳および価値と男女および大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、一層大きな自由の申で社会的進歩と生活水準の向上とを促進する決意を宣言したことを認識し、 世界人権宣言と経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約ならびに市民的及び政治的権利に関する国際規約と特定の集団に対する普遍的基準の適用を確保するその他の宣言における諸権利の詳細な規衰に留意し、 高齢化に関する世界会議において採択され、1982年12月3日の37/51決議において総会によって支持された高齢化に関する国際行動計画に従って、国家間だけでなく国内そして個人の間において、高齢者の状況に多様な政策的対応を要する非常に大きな違いがあることを認め、すべての国でこれまでにないほど多数の人がよい健康状態で高齢期を迎えていることを意識し、科学的研究によって、高齢に伴う不可避で不可逆的な減退に関する多くの固定観念が誤っていることが証明されていることを承知し、 高齢者数およびその割合の増加によって特徴づけられている世界において、意欲と能力のある高齢者に社会の進行中の活動に参加し貢献する機会が用意されなければならないことを確信し、先進国および途上国における家庭生活への重い負担が、虚弱な高齢者に村してケアをしている者への援助を求めていることに注意し、高齢化に関する国際行動計画や国際労働機関、世界保健機関および他の国連機関の条約、勧告、決議によってすでに設定された基準を想起し、 以下の原則を国の計画に可能な限り取り入れるよう各国政府に奨励する。 独立 1高齢者は、所得の保障と家族および地域社会の支援と自助を通じて十分な食糧、水、住居、衣類、健康へのケアが得られなければならない。 2 高齢者は、働く機会または他の所得を得る機会をもつべきである。 3 高齢者は、職場から引退する時期と退職するペースの決定に参加できなければならない。 4 高齢者は、適切な教育・訓練計画を利用できなければならない。 5 高齢者は、安全でかつ個人の選択や変化する能力に適合する環境において生活できなければならない。 6 高齢者は、できるだけ長い間、自宅に住むことができなければならない。 参加 7 高齢者は、社会との結びつきを維持すべきであり、高齢者の福祉に直接関係する政策の立案および実施に積極的に参加すべきである。また、高齢者の知識や技能を若い世代と共有すべきである。 8 高齢者は、地域社会に役立つ機会を見つけ、広げることができるべきであり、高齢者の関心や能力にふさわしいボランティアとして役立つことができなければならない。 9 高齢者は、高齢者の運動あるいは団体をつくることができなければならない。 ケア 10 高齢者は、文化的価値に関する各社会の制度にしたがって、家族や地域社会のケアと保護から利益を得られなければならない。 11高齢者は、身体的、精神的および情緒的に最高水準の状態を維持しまたはその状態を回復し、発病を予防しまたは遅らせるように高齢者を援助する健康へのケアを受けられなければならない。 12 高齢者は、自主性、保護およびケアを増進する社会や法律によるサービスを受けられなければならない。 13 高齢者は、思いやりがあり、不安のない環境において、保護やリハビリテーションや社会的・精神的刺激を提供する適切な水準の施設ケアを利用できなければならない。 14 高齢者は、ケア施設や治療施設等いかなる所に住もうと、その尊厳と信念とニーズとプライバシー、そして自分の受けるケアと生活の質について決定する権利を最大限尊重されることを含む人権と基本的自由を享受できなければならない。 自己実現 15 高齢者は、自分の可能性を最大限伸ばすことのできる機会を追求することができなければならない。 16 高齢者は、社会の教育的、文化的、精神的そしてレクリエーションに関する資源を利用できなければならない。 尊厳 17 高齢者は、搾取ならびに身体的あるいは精神的虐待を受けることなく、尊厳を保ち安心して生活できなければならない。 18 高齢者は、年齢や性別、人種的または民族的背景や障害またはその他の地位にかかわらず公正に扱われ、高齢者の経済的寄与とは関係なく評価されるべきである。 (1991年12月16日第74回全体会合決議/井上英夫訳) 〈いのうえ ひでお/金沢大学法学部) |
|
トップページへ戻る | 目次へ戻る |