●特集/国民生活の変容と医療・福祉
不況下の国民生活から見た「自己責任追求型社会」の矛盾
 一勤労者世帯の生活格差の分析から−
唐鎌 直義

はじめに
長引く平成不況の下で、企業の倒産やリストラ解雇による失業者が増大し続けている。「戦後最大の不況」という言葉に些かの誇張も感じられない現状だが、某超大国の大統領の怪しい造語のとおりに、今次不況を「誤過少評価」(“mis−underestimate”、誤“misunderstand”と過少評価“underestimate’’が無意識に合体された造語)してはならないだろう。
 この社会が市場経済で組み立てられている以上、そしてまた「市場経済の再市場経済化」が所々方々で追求されている以上、長引く不況の先行き不透明感は、後述するように、勤労者・国民の生活にあまねくその影響を及ぼさざるを得ない。しかし、なかでも今、不況のシワ寄せを集中的に受けているのは、いわゆる「低所得不安定階層」に属する人々である。今次不況は、これらの人々の生活問題を先鋭化する方向に作用してきた。なぜならば、これらの人々は本質的に「不安定な雇用」に従事してきたために、真っ先に「失職」というかたちで不況の影響を被らざるを得なかったからであり、また本質的に生活が「不安定な雇用」の上にかろうじて成り立ってきたために、「生活の崩壊」というかたちで不況の直撃を短期間に露呈することになったからである。戦後50年近くに捗って、曲がりなりにも持続してきた経済成長は、これらの人々の雇用と生活の破綻を表面的にマスクする役割を長く果たしてきた。しかし、今次の長期不況によって、これら人々から雇用が剥奪されたとき、そこに残されたのは、どこまでも「生活の自己責任」を追求されるバラバラでむきだしの弱い個人であった。「平成13年、失踪者は10万2,130人、ホームレスは2万4,090人、重要犯罪(殺人、強盗、放火、強姦、略取誘拐及び強制わいせつ)は2万1,530件にのぼる。・‥また自殺者は3万1,042人である。」
 これは作家・風樹茂氏が近著で指摘したわが国の一断面だが、年間の自殺者が交通事故死者の3倍以上にも達している現況は、やはり異常と言わねばならない。わが国の自殺率は人口10万人あたり24.4にも上昇しており、アメリカの2倍、アルゼンチンの3.7倍にもなる。エジプトとの比較に至っては、エジプトの自殺率が0.0なので、倍率すら計算できない。自殺や路上生活は、究極の「生活の自己責任」の取り方であろう。ここまで国民は追い込まれているのである。
 このように、生活の破綻はすでにさ凄ざまなかたちを取って出現している。一般にそう深く認識されていないことだが、現在のわが国は自殺大国であり、路上生活者大国である。そして戦慄すべきことだが、かつてのアメリカのような犯罪大乱自己破産大国へと加速度的に向かっている。こうした現象は、今次不況が一過性・循環性のものではないと目されている以上、今後も継続し累積するであろうわが国の本質的な矛盾である。それらは特殊な境遇の人を襲った特殊な不幸ではなく、また「豊かな社会」が抱える根の浅い病理現象でもなく、わが国の経済構造、社会構造にビルトインされた深刻な矛盾として捉えられなければならない。
 本論文は、「家計収支」というミクロの視点から国民生活に対する不況の影響を分析することを目的としているが、同時に低所得層が今日抱えている生活の問題とその原因をマクロに追究することも狙いとしている。社会保障の後退の穴を埋めるために、次から次へと個々人に強要される「生活の自己責任」が、最終的に社会に何をもたらすのか。今はこれを真剣に考え、警鐘を鳴らすべき時期であると思われる。

1.不況下の所得格差の拡大

1)景気循環と所得格差
 不況期には社会の経済活動が総体的に沈滞するので、人によって程度の差はあれ、国民全体が何らかのかたちで不況に耐えているかのように思われがちである。確かに国民の大部分を占める一般勤労大衆にとっては、雇用機会と賃金額が停滞または減少する。しかし、市場経済は景気の好不況を問わず優勝劣敗の原則が支配する自由競争の世界であるから、不況下でも所得格差は着実に進行する。冒頭で述べたように、好況期には雇用と賃金の拡大によって、低所得層に集中している矛盾がマスクされる結果、市場経済の本質がわかりにくくなっているだけである。所得格差の拡大に関して、景気の好不況はほとんど影響を及ぼさないと考えてよい。要は所得格差を是正するようなシステムを社会が常時具えているかどうかがポイントとなる。

2)分析方法をめぐって
 所得格差がどのように拡大し、国民の生活にどのような影響を及ぼしているかを探るには、いくつかの統計的な手がかりがある。ここでは総務省r家計調査年報」に掲載されている「勤労者世帯・年間収入10分位階級別」の数値を用いることにしたい。本来、所得格差の影響を見るためには、勤労者世帯だけでなく、働いていない世帯を含めた全世帯の状況を見る必要がある。勤労者世帯では、公的年金を主たる収入源として生活している高齢者世帯の多くや生活保護の受給世帯の総体等が、その対象から抜け落ちてしまうからである。総務省の『家計調査』は、「全世帯・年間収入10分位階級別」の数値も掲載しているが、それは支出に関する項目だけであって、収入の内訳については実収入の額さえ記載されていない。全世帯の実収入の平均を算出してみても、それは意味のある数値とはならないからであろう。そうした統計上の制約があることから、分析対象が狭いことを認識しつつ、以下、勤労者世帯について年間収入10分位階級別に見ていくことにする。ただし、勤労者世帯を取り上げることは、分析対象が狭くなる代わりに、世帯員数や世帯主年齢など世帯の属性の散らばりがかなり小さくなることから、いわゆる「一人あたり経済厚生」の問題を重視しなくて済むというメリットがある。
 ちなみに「年間収入10分位階級」とは、『家計調査』が対象とした勤労者世帯について、年間収入額の最も低い世帯から最も高い世帯まで順に並べていって、世帯数において10%のグループごとに10区分したものを意味する。「第T10分位」が最も年間収入の低い10%の勤労者世帯を意味し、「第]10分位」が最も年間収入の高い10%の勤労者世帯を意味する。この2つの両極端の階層の家計収支の変化を比較検討することにより、「働いている低所得不安定層」への不況の影響を読み取ることにしたい。

3)所得格差の拡大
表-1と表-2は、勤労者世帯の実収入について、1995年から2001年までの6年間の推移を便宜的に3年間隔で表示したものである。所得格差の拡大を把握するために、先に述べたように、勤労者世帯のなかで最も年間収入の低い「第IlO分位層」(以下「T階層」と略す)と、最も年間収入の高い「第]10分位層」(以下「]階層」と略す)を取り上げた。参考として勤労者世帯の平均値を最左欄に示した。これら2つの表は、実額の変化を示しているので、やや繁雑に過ぎて傾向を読み取ることが難しいかも知れない。そこで6年間の増減幅だけを示した表−3を作成した。またこの論文の後半部分に掲げてある表一8は、1995年の勤労者世帯平均の数値を基準値に据えて「100」とし、各分位の数値を経年的変化として指数化して表示したものである。あわせて参照して頂きたい。
 まず初めに実収入の推移を見ると、勤労者世帯平均ではこの6年間に実収入が月額約2万円弱減少している。3.4%の減少である。年間収入としては、それぞれの勤労者世帯から24万円近くが喪失したことになるから、これは総体として見ればかなり大きな国民所得の減少と言える。家計調査史上、実収入の減少は1994年に初めて経験され、新聞等でかなり大きく報道された。しかし現在では、そう珍しいことではなくなってしまった。この傾向は最下位の「T階層」にも大略該当し、6年間に実収入が月額では9千円強、減少率では3.2%減少している。しかし最上位の「]階層」を見ると、その実収入は逆に月額で7,500円ほど増加しており、約1%の増加率を示している。このように、最近の6年間にマクロ的には所得が減少したにも拘らず、高所得層だけは反対に所得を増やしており、結果的に勤労者世帯間の所得格差が拡大することになった。
 この間の途中経過に目を転じると、勤労者世帯平均では1998年に実収入が一旦増加し、その後3年の間に急落している。1998年と2001年を比較すると実収入は実に月額3万8千円近くも減少している。年間では45万円もの一気的減少である。不況の影響がここ数年間に鋭さを増してきたことがわかる。しかし、この傾向は勤労者世帯平均に関して指摘できることであって、上下の10分位を比較すると、全く異なる傾向を示している。「T階層」では、この6年間に実収入が漸減してきており、不況の影響がこの数年の短期間のことではなく、傾向的に長く続いてきたことがわかる。反対に「]階層」では、1995年から98年にかけて実収入がかなり大きく増加しており、最近3年間の不況の影響もそれほど強くは被っていない。このように、長期不況の影響は、
 どの所得階層にも平等に作用してきたのではない。不況で得をする階層と揖をする階層、あるいは安定を維持できる階層と不安定化に向かう階層とに二極化を推し進めてきた。特に低所得層に対しては、真綿で首を締めるような影響を与え続けてきたのが特徴である。これが小泉首相のいう「痛みを伴う政治」の現実なのだろう。

4)強まる世帯主収入の格差
所得階層間の格差の拡大をもたらした最大の要因は、勤労者世帯平均で実収入全体の82%を占めている世帯主収入の変化である。勤労者世帯平均では世帯主収入は6年間に4.0%(月額で1万8千円余)減少した。しかし「T階層」では、その減少率は6.9%(月額で1万6千円余)にも上っている。反対に「]階層」では、世帯主収入が6年間に1.8%(月額で1万3千円余)増加に転じた。
 このように、世帯主収入の格差の拡大は、実収入の格差の拡大をリードする最大の要因である。その他諸々の収入は、金額それ自体が小さいこともあり、変化に対する寄与度が小さいので、そう重く見るべきではないが、気づいた点を特記するならば以下のとおりである。
 勤労者世帯平均で見た場合、世帯主収入の減少にともない配偶者収入、他の世帯貞収入も減少している。不況が主婦のパートや学生のアルバイトといった雇用機会をも奪っていることがわかる。つまり、今や世帯主収入の減少を他の世帯貝の収入でカバーする途も徐々に狭まってきている。「T階層」において他の世帯貝収入が増加しているが、これは元々金額的に重視するほどのものではない。ただし、世帯主収入が月額22万円余と低く、しかもそれが漸減してきているので、家計の破綻を防止するために、若い世帯員によって何とか勤労収入が確保されていると見なすことは可能である。しかし何と言っても、相対的に高い世帯主収入に加えて、高い配偶者収入、他の世帯貝収入を確保しているのは「]階層」である。減少率も平均より低く、金額的にも高い水準を維持している。最上位の階層は、世帯貞の雇用機会の点でも恵まれている。
 不況下で増加している収入は、社会保障給付金と仕送り金収入である。勤労者世帯のなかには年金受給者もいるので、全体としてこのような金額になるのだが、興味深い点は増加率が「T階層」において低くなっていることである。本来、社会保障制度は所得の垂直的再分配の機能を果たすためのものだが、そうなっていないことがわかる。金額で見ても、どの階層もフラットな給付額になっており、日本の社会保障制度の再分配機能の脆弱さを物語っている。また仕送り金収入は低所得層ほど多く、親からの経済的擾助が行われいることを暗示している。

2.生活格差の強まり所得格差の拡大は、勤労者世帯各層の消費生活にどのような影響を及ぽしたであろうか。実支出とその中身の変化について分析した表−4から表一7までの各表を参照しながら、以下、上下の所得階層でどのような変化が生じたか、その動向を検討することにする。
1)低所得層で強まる自律的消費部分の節約90年代後半に入って、おしなべて消費額が大きく減少してきたのは表中の@食料費とA被服・履物費、B家具・家事用品費、C交際費、Dこづかいである。特徴的な費目に関して、以下、順に特徴点を述べることにする。


@ 食費格差の拡大
 節約は、勤労者の肉体の再生産に直結している@の食料費にまで及んでいる。勤労者世帯平均で見ると、1995年から2001年のあいだに7%強減少している。実額で示すと、月に5,767円の減少である。 しかも、所得の低い階層ほど金額の落ち込みが激しく表れている。「T階層」ではこの間に約8%(月に4,335円)の減少であるのに対して、「]階層」では3%(3,009円)の減少に止まっている。
「T階層」の世帯貝1人当たりの1日の食料費を計算すると、3食でわずかに571円に過ぎない。1食に換算すると、190円という低さである。一方、「]階層」の1人1日当たりの食料費を算出すると、870円になる。「T階層」と「V階層」とでは、1人1日3食の食料費で299円もの格差が生じている。これは「T階層」の1食分の費用を優に100円以上も上回る金額である。
 かつて100年以上前に、ドイツのエルンストエンゲルは、家計費に占める食料費の割合(食費率)の高低で、貧困か否かを判定する方法を編み出した。いわゆる「エンゲル係数」である。これは他の費目に比べて、食料費が貧富の差をあまり反映せず、一定である
ことを前提に、所得の低い世帯ほど食費率が高くなることに着目した理論である。現代の日本では、もはや「エンゲルの法則」は通用せず、食料品という人間にとって最も基礎的な生活物資において、消費の階層化が進みつつある。日本は表面的には「豊かな社会」だが、その内部では新たなデプリベーション(相対的剥奪)が進んでいる。

A 被服・履物費の激しい落ち込み
 A被服・履物費の減少はさらにすさまじい。勤労者世帯平均で見ると、1995年から2001年までの6年間に23%も減少している。実額で示すと、月に4,893円の減少である。1世帯あたり年間支出額に換算すると平均5万8,716円の落ち込みであるから、日本全体の世帯数(4,555万世帯)を考慮すると、この間に2兆6,742億円分の被服・履物需要が消失した計算になる。/ト売業界がかつてない消費不況に見舞われていることも容易に理解できる。これでは長崎屋やそごう、マイカルが倒産に追い込まれ、有名デパートの支店が次々に撤退を余儀なくされたのも当然であろう。
 食料費と違って、被服・履物費はどの所得階層でも減少している点に特徴がある。「T階層」で20%、「]階層」で28%減少している。「T階層」の被服・履物費は、1998年にはついに月額で1万円を割り込むまでに減少し、2001年では8,279年となった。世帯員数3.02人、世帯主年齢43.4歳の世帯で、月平均の被服・履物費が8千円強に過ぎない。年額に換算すると9万9千円余に過ぎない。1人当たり年間消費額が3万3千円に達しないのである。これでは新しい靴も洋服も当分の間買えないに違いない。必需品である下着や靴下、ワードロープを買い替えるのが精一杯だろう。こういう状態を「貧困」と言わずして、何を貧困と言うのであろうか。当節の庶民には、価格破壊の商法で急速に台頭してきた「ユニクロ」を利用することでしか、新しい服を新調する途は残されていないようだ。
 この被服・履物費は、あらゆる消費支出費目のなかで最も階層差が著しい費目である。「T階層」の支出額は勤労者世帯全平均の半分に過ぎない。逆に「]階層」の支出額は「T階層」のそれの3.5倍である。かつて高度成長以前の日本社会では「服装で生活水準がわかる」と言われたが、そういう昔の状況が復活しつつあるに思える。
 なぜ食料費や被服・履物費の節約が進むのか。その理由は他の消費費目が持つ性格との相対的な関係のなかに発見することができる。
結論を先取りして述べるならば、食料費や被服費は、わが国の国民に残された数少ない自律的・選択的消費部分であり、他の費目に比べて、強制的性格・固定的性格が少ないからである。

2)生活格差を強めている要因・その1
  一社会的固定費の圧迫一
 低所得層にとって、所得額の減少を伴いながら所得格差が拡大するなかで、自律的消費部分の節約がアンバランスに進んでいる理由は、どうしても節約することが不可能な固定的に支出される費目が、自律的消費費目を圧迫しているからである。
 表−4と表−7、表−8に示されたC住居費、D光熱・水道費、E保健医療費、(F交通・通信費は、いずれも1995年から2001年にかけて支出額が概ね増加傾向を示す費目である。これらはいわゆる「社会的固定費」と呼ばれる費目であり、通常の生活を送るためには欠くことはできない。これらの費目を節約しようとすると、路上生活者にならざるを得ない。事実、路上生活の人々の生活には住居費、光熱・水道費、保健医療費、交通・通信費がほぼ完全に欠落している。これらの4つの費目は、勤労者世帯平均と比較すると、「T階層」の支出額が相対的に高めであり、「X階層」の支出額が相対的に低めである。低所得層ほど負担が重くのしかかっている点に、これらの費目の特徴がある。


@ 低所得層ほど住居費の負担が重い
 なかでも、所得の低い階層ほど絶対的に高い金額を支出しているのが(C住居費である。表−8の指数表示で見ると明確だが、2001年現在、「T階層」の支出額が最も高く、「]階層」の支出額は平均水準に収まっている。まさに逆進性を持った費目である。これは所得の低い階層ほど家賃の高い住宅に入居しているためではない。所得の高い階層ほど「持ち家比率」が高いために、平均的に家賃負担が低くなるせいである。
 『家計調査』では、持ち家層が負担している住宅ローンの返済金は、「土地・家屋借金返済」として「財産形成」のための支出(「実支出以外の支出」という)と見なされているので、消費支出の一費目である住居費には含まれない。最終的に土地と家屋という財産が残る、という見解に立っている。土地はともかくとして、家屋を耐久消費財ではなく財産と見なすこの発想は、中古マンションの価格が値崩れを起こしている現在、普通の生活感覚とは相容れないものであろう。月々支払う家賃と住宅ローンの返済額とを比較考量しながら、持ち家の取得機会を伺っているのが庶民の生活感覚である。ローンを返済し終わった後の「築30年」の中古マンションの価値が一体どれほどあると、総務省は考えているのであろうか。そもそも分譲マンションは30年以上持つことを想定して建てられていない。減価償却の対象と考えなければならない
 マンションを、それでも多くの人々が購入したのは、1970年代後半までインフレーション(貨幣価値の下落)が激しく進行していたために、貨幣を持つことよりも土地に象徴されるモノを持つことの方に、人々が信頼を感じられたからに他ならない。2001年になって、勤労者世帯平均と「]階層」において住居費の支出額が減少に転じているのは、住宅ローン減税の実施や公庫金利の低下によって、持ち家取得へと誘導されたせいであろう。しかしそうした政府の政策も、「T階層」にとっては何の恩恵にもならなかったことがわかる。「T階層」は依然として高い家賃を払い続けなければならない勤労者である。

A 家計を圧迫する公共料金の上昇
 D光熱・水道費とE保健医療費、F交通・通信費は、どの所得階層でも支出額が増加の一途を辿っている。この3つの費目は、いわゆる「公共料金」と呼ばれるもrのであり、価格の下方硬直性が強い。これらは、電力、ガス、鉄道、道路、通信と、どれを探っても寡占的大企業によって供給されているモノやサービスである。高い収益が上げられていると同時に、「天下り」等を通じて所轄の省庁との癒着疑惑が繰り返し指摘されてきた産業分野である。経済企画庁r国民生活自割によれば、日本の公共料金は欧米に比べて、購買力平価で換算しても1・6倍もの水準にあるという。どのように価格設定が行われているのだろうか。ブラックボックスの世界である。所得が増えない状況下で、これらの費目が支出額を徐々に膨らませている結果、食料費や被服費が節約されざるを得ないのである。現在の不況が「政策不況」だと言われるのも、こうした理由のせいである。「民間活力」の信奉者は市場経済の価格競争効果を信じて疑わないけれども、これらの分野では固定資本の初期投資に膨大な資金を必要とするから、そう簡単に企業が新規参入できる分野ではない。現在、官民癒着のブラックボックスのなかで行われている価格決定を、政治の力によってオープンにしていくことが、何よりも庶民生活にとって重要なことである。

 3)生活格差を強めている要因・その2
  一税・社会保険料の圧迫一
 低所得層にとって、食料費・被服費などの自律的消費部分を節約に向かわせている第2の要因は、本来、収入の減少に比例して減少してよいはずの税・社会保険料が、独立変数的に増大し続けている点に求められる。 表一3と表−6は、税金(消費税は含まれていない。所得税と地方税の合計で、いわゆる直接税のこと)と社会保険料、およびその両者を合計した「非消費支出」の推移を見たものである。これまでに検討してきた諸費目と違って、「T階層」と「]階層」の差が大きいが、これは税が累進制を採っているからである。問題点は公租・公課負担額の階層差にあるのではなく、階層別の負担状況の推移にある。勤労者世帯平均で見ると、1995年から2001年にかけて、2.5%とわずかながら非消費支出が減少している(月額では2,207円の軽減)。これは減税政策の効果による。しかし、階層別に見ると、「T階層」ではむしろこれらの公租・公課がこの間に3.2%も増加しているのに対して、「]階層」では1,6%負担が軽減されている。不況下で減税政策の恩恵を受けているのは所得の高い階層である。


@ 低所得層ほど減税の恩恵が薄い
 この状況を、税金と社会保険料とに区分して見ることにしよう。まず@税金の推移から見ると、どちらの階層もほぼ等しい割合で減税政策の恩恵を受けてはいるが、受けた恩恵の額が異なっている。「T階層」が受けた減税の効果は、この6年間にわずかに年額にして14,676円の負担減に過ぎない。これに対して「]階層」が受けた減税の効果は年額にして169,776円もの負担減に達している。何と11倍以上もの開きがある。もともとの所得額の違いを考慮しても、この差は大きい。
 この点を詳しく見るために、実収入に占める直接税の割合を「租税負担率」として算出すると、「T階層」では1995年の3.4%から2001年の3.1%に、ほんのわずか軽減されただけである。「]階層」ではこの間に、12.3%から10.9%に、かなり負担が軽減されている。ちなみに勤労者世帯平均で見ると、この間に7.8%から6.7%に軽減されている。このように、軽減の帽が高所得層ほど大きくなっていることがわかる。とくに「]階層」における租税負担率の低下が目立つ。


(A低所得層ほど可処分所得が減少している
 次にA社会保険料の推移を見ると、驚くことに、この間、所得が減少しているにも拘らず、どの階層も負担額が増大している。勤労者世帯平均で見ると、この6年間に9.7%も社会保険料負担が増えた(年間51,000円の負担増)。この増加率は公共料金並の引き上げ幅である。階層別に見ると、「T階層」では勤労者世帯平均よりも増加率がやや高く、10.5%(年額にして25,932円)の負担増となっている。また「]階層」では15.4%(年額にして132,396円)の負担増となっている。このように、社会保険料の増加率は高所得層と低所得層で目立っている。
 しかし、社会保険料の負担増が勤労者の可処分所得に与えた影響は、所得階層によって大きく異なる。わずかしか減税政策の恩恵を受けていない「T階層」では、社会保険料の
 負担増が減税効果を奪い、最終的に「非消費支出」の額を押し上げ(年間で11,664円の負担増)、可処分所得を減少させた。反対に「]階層」では、大幅な減税が社会保険料負担の増大幅を緩和し(年間で36,756円の負担減)、トータルでは可処分所得が増える結果となった。こうして、豊かな階層はいっそう豊かになり、貧しい階層はいっそう貧しくなるという不平等化が、税と社会保障という国の政策を通じて増幅されてきたのである。先に見たように、所得の第一次分配が不平等化を強めつつある今日、国家は税と社会保障という第二次分配政策を通じて不平等化を是正するのが、その本来の役割である。
 わが国の社会保障制度による再分配効果は、あくまでも高齢者を対象とした世代間の所得再分配に関して認められる事柄であって、所得再分配が本来目指している「垂直的再分配」(所得階層間の再分配)に関しては、今見たように、社会保障制度は効果を発揮しているとは言えない。
 このように、前項で指摘した社会的固定費の支出増と併せて、税・社会保険料負担の増大が、今日、低所得層の可処分所得を減少させ、所得格差を拡大させ、自律的消費部分を圧迫する大きな要因となっている。また直接税と社会保険料以外に、間接税としての消費税が各階層の消費支出に対して課せられていることを忘れてはならないだろう。間接税は、所得が低い階層ほど負担割合が重くなるという逆進性を持っている。今日、「T階層」の自律的消費部分が萎縮していくのは、国の政策の当然の帰結なのである。

3.資産格差の拡大

@ 政策的に促された貯蓄性向の高まり2年前までは、生活格差の拡大帽は所得格差の拡大幅よりも小さかった。生活には「履歴効果」(aftereffect)というものが作用しており、収入が減少しても消費生活の水準はそう急には下げられない。しかし、今や生活格差の拡大幅は、所得格差の拡大幅を超えて広がりを見せるようになっている。低所得層にとって、食料費など生活必需品の節約には
自ずから限界があるはずだが、食料費の減少率を最も高めたのは「T階層」である。また実支出、消費支出ともに、高所得層ほどそれらの減少率は小さくなっている。たとえ徴増であっても実収入が上昇し続けることは、生活の「安定」を意味する。こうして高所得層の消費活動は、低所得層ほどには低下していないのである。不況の長期化を背景として、また政府の経済政策、社会保障政策を通じて、生活水準の格差は確実に広がっている。表一9は、「実収入以外の収入」のなかの「借入金」と、「実支出以外の支出」のなかの「借入金返済」とを同時に表示したものである。先に述べたように、これらは「財産の形成」と見なされて、消費支出とは別に扱われているのだが、この6年間に「一括払購入借入金」とその返済とを除いて、それ以外の借入金とその返済が抑制される傾向にある。利
子を支払う借金(ローン、クレジット)を組んでまでモノを手に入れることが選択されなくなってきている。この現象は、実収入が低下する中で、勤労者世帯が家計の破綻を防止するために採用している抵抗策のひとつと見なすことができよう。
 大小の差はあれ、消費支出の抑制傾向は勤労者世帯全体に広がっている。その結果、「貯蓄性向」は高まらざるを得ない。以下、この点を検討することにしよう。
 表−9には、「預貯金」から「預貯金引出」を差し引いて算出された「純預貯金」の額と、「財産購入」から「財産売却」を差し引いて算出された「純財産」とが表示されている。勤労者世帯平均で見ると、1995年から2001年までの6年間に8%純預貯金額が増えている。この間、所得が減少していることを考え合わせると、所得の大きさにもよるが、勤労者が相当な無理をして貯金に励んでいることがわかる。ゼロ金利に象徴される超低金利政策が採り続けられるなかで、本来、貯金に励む経
済的なメリットはないに等しい。それにも拘らず勤労者世帯が貯金に励んできたのには、
利息以外の理由があるからである。
 その理由は、まず第一に、長期の不況と高失業率が勤労者生活の先行きを見通しの暗いものにしているためである。また第二に、社会保障・社会福祉の構造改革が進行するなかで、国民の多くが、とくに現役世代の勤労者が、老後生活を保障するはずの公的年金や医療・福祉に関して、大きな不安を抱くようになったからである。将来の生活防衛のために、食料費や被服・履物費、こづかい等を削ってまでも貯金に励んでいるのが、現在の勤労者生活の実情である。政府や厚生省の教えどおりに、「自助・共助・公助」のうちの「自助」を、国民は堅実に遂行している。弱まっているのは国の「公助」だけである。

G 猛烈な預貯金格差の拡大
 しかしこうした趨勢は、あくまでも平均値での話に過ぎない。所得階層別に見ると、大きく異なる対応が展開されている。「T階層」では、純預貯金額は1995年から1998年にかけて高まったものの、2001年には大きく低下している。勤労者世帯平均と対比すると、その金額は12分の1程度のものに過ぎない。ちなみに、2001年現在の「T階層」の年間の純預貯金額は5万円余に過ぎない。
 他方、「]階層」の純預貯金額は、この6年間に24%も上昇した。2001年現在の「]階層」の純貯蓄額は、年間で183万円余にもなる。これは「T階層」の約37倍である。家計の収入と支出の全費目を通じて、これほど大きな格差を見せている費目は他に見当たらない。「]階層」の純貯蓄額は勤労者世帯平均の純貯蓄額の3倍以上にもなる。こうした傾向が今後も継続していくならば、その行き着
く先には、言うまでもなく、途方もない預貯金格差が生まれるだろう。一見、わずかに見える所得格差の拡大が、増幅された預貯金格差の拡大として立ち現われることになる。
「]階層」のように、「自助」を実行できる高所得の上位10%の階層に属する勤労者には問題がない。高所得層の「消費性向」が減少して「貯蓄性向」が高まったところで、困るのは高額商品を扱っている高級百貨店くらいなものであろう。消費不況からの回復が若干遅れる程度のことだろう。問題は「T階層」に代表される、食料費の支出さえ節約していような、生活費に逼迫の度合いを強めている下方10%の低所得層である。これらの人々に、不況が長引く昨今の経済環境のなかで、なおかつ「生活の自己責任」を強要することの是非が問われなければならない。わが国の政府の、誰に対しても「自立・自助」を求める基本姿勢が、最終的にこの階層から路上生活者を析出し続けることに繋がっている。「自助」は高所得階層に対して求められるべきである。国民全体を対象とした闇雲な「自助」の強調は、結局、資産格差の拡大をもたらすことに帰結するのであり、低所得層の人々の人生に対する努力さえも諦めさせる結果を導くことになるだろう。そうした低所得者への配慮がほとんど全くなされていないのが、わが国の社会保障政策の大きな問題点である。
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