特集/在宅医療・福祉を考える
在宅医療を考える
石川勤労者医療協会城北病院 佐 藤   清

はじめに


 わたくしの勤務している病院は石川県民主医療機関連合会(4病院、2診療所加盟)のセンター病院として位置づけられています。その概要は1日外来患者数460名、病床数250床、職員数300名、診療科は内科、小児科、産業医療科、精神・神経科、外科、整形外科であります。今では金沢市北部の中規模病院でありますが、開設時は診療所としてのスタートであり、35年間の地道な第1線医療の展開により、地域の人たちからの支持を得、発展し現在に到っています。したがって在宅医療には開設時より重視し、取り組んできた歴史があります。今回、在宅医療について日頃考えていることを話してみてはとのお話しがありました。浅学を顧みずにお引き受けしたしだいです。そこでここ3年間の在宅医療の経験を中心に述べ、責を果したいと思います。


1.在宅医療に対する基本的な考え


 当院の90年代における医療活動方針は一口で言えば「総合的な医療活動」の展開であります。そのように考える根拠はこの「総合的な医療活動」が地域の人たちの切実な要求であるからですが、さらにこの「総合的な医療活動」を追求する中でわたくしたち医療に携わる者が専門家としても1人の人間としても成長できると確信しているからであります。この「総合的な医療活動を展開しよう」の具体化として現在入院診療、外来診療、在宅診療という3つの診療形態の
総合的な医療活動を展開しております。その中でややもすると病院の医療活動の中で軽視される傾向にある在宅医療については特に重視しています。そしてこれら3つの診療形態が有機的に連携、機能してはじめて病院全体の医療活動が発展すると確信しております。これが在宅医療に対する基本的な考えの第1であります。
 第2は患者さんの立場からみた場合、特に老人にとって永年住みなれた環境の中で日常の生活を送りながら医療を受けるということは大変望ましいことで全ての人たちの切実な願望であろうかと思います。ところが現実には介護者の問題、住居環境の問題、ホームヘルパーなどマンパワーの不足の問題、さらには在宅医療に必要な医療技術の面での遅れなど、今後解決しなければならない問題が山積しているという認識であります。
 第3はだからといって在宅医療に取り組まないのではなく、入院患者さんにとっては退院時の選択肢の1つとして在宅医療を位置づけ、条件のあるところでは積極的に取り組んでいこうという考えであります。そして在宅医療を取り組む中で明らかとなった問題点に対しては患者さんや家族の方々と力を合わせ、制度の改善のために頑張ろうという展望をもった視点であります。


2.1988年度在宅医療の方針から


 すでに述べたことですが、当院の在宅医療はかなりの歴史を持っています。しかし開設以来在宅医療の担当部署が外来看護婦が兼務するという形態であったため、外来診療が忙しい時には訪問看護ができなかったり、また担当看護婦がしばしば変ることもあり、在宅医療の経験を積み重ねていくという面でも弱さをもっておりました。この年、患者さんの要求に応えて、在宅医療に対する基本的な考えを病院全体で確認し、これに沿って在宅医療の方針を作りました
。その方針を紹介しますとつぎのようになります。(1)在宅医療室の確立、(2)訪問看護婦の専任化、(3)在宅医療に必要な医療技術の開発、(4)医療機関、福祉施設、保健所、福祉事務所などとの連携の強化。少し説明をいたしますと、(1)の在宅医療室の確立は病院の3つの診療形態、すなわち外来診療、入院診療、そして在宅医療をそれぞれ重視して総合的な医療活動に取り組もうとする方針の具体化にとってどうしても必要な課題でありました。片手間で出来るものではないという考えであります。そして在宅医療室確立の保証として、(2)の訪問看護婦の専任化を方針に掲げました。現在大きな社会問題にもなっている看護婦不足の中で専任化ですのでこれには特に看護婦集団での合意が必要でありました。方針の(3)ですが、これは今の医療技術のほとんどが入院医療中心に発展しており、在宅医療の視点から考える点で弱点をもっているのではないかという反省に立っものでした。そして方針の(4)ですが、いろいろ困難な面はありますが、在宅医療をすすめる上で連携は大切な課題であり、この連携を出来るところから行っていこうと考えました。
 以上の方針に治って、ここ3年間在宅医療を行ってきましたので、その活動内容をつぎに述べたいと思いますが、その前に在宅医療に対する要求があるのかどうか、この点について少し言及しておきたいと思います。


 3.在宅医療に対する地域の要求


 金沢市は医療機関が過密状態にあるといわれる地域です。この地域における在宅医療に対する要求について具体的な事例を紹介しつつ考えてみたいと思います。
 事例1は63才の男性です。1980年K大学付属病院でベーチェット病と診断されました。それ以後、継続して治療を受けましたが病状は徐々に憎悪し、1983年には全失明となりました。1985年には寝たきりの状態となり、尿閉(尿が膀胱より出なくなる)も出現したため、膀胱にバルーンカテーテル(先端に風船のある内腔を有する細い菅)を挿入し留置されました。また褥創(床ずれ)も出来るようになりました。この時点から家族は月に1度患者さんを寝台車に乗せて病院に連れていき、まず内科を受診、つぎに泌尿器科を受診してバルーンカテーテルを新しいものに換えてもらい、最後に皮膚科を受診して褥創の治療を受けることになります。このような状態が1年ほど続いた後、口こみで当院の在宅医療を知り家族が相談にこられ、1986年6月より当院で在宅医療を行うようになっております。わたくしがはじめてこの患者を往診し、膀胱内にあるバルーンカテーテルを新しいものに換えたところ、介護者の妻が「先生は泌尿器科の先生ですか」といい、つぎに褥創の処置をしたところ「先生は皮膚科の先生でもあるのですか」と質問されました。「内科の医師です。この程度のことは医師・ ナしたら誰でも出来るのですよ」と答えましたが、臓器別専門分化の弊害と言いますが、本当に驚いたしだいです。この患者さんは在宅医療を5年間つづけ、今年の5月肺炎のため亡くなられました。この事例は妻が中心となりお嫁さんが手伝うという複数で介護ができたこと、患者さん専用の部屋が確保されていたことなど在宅医療を行う上で比較的条件が整っていたと思われます。しかし、それぞれの地域に医療福祉のネットワークと申しますか、それがないばっかりに約1年間、毎月1回寝台車で病院に通院し、それも3つの診療科を受診し、患者さん本人はもちろんのこと家族の方にも大きな負担を強いたわけであります。
 事例2は85才の女性です。1986年6月老人牲痴呆と診断され、某精神病院に1991年2月まで入院しております。この間、1990年に胃癌の診断を受けました。退院の理由は「最後は家でみたい」という家族の希望によるものでした。当院に往診依頼があったのは退院12日後でした。背中から腰部にかけて皮膚が黒くなってきたのが往診依頼の動機でした。患家を訪問して診察いたしますと、背部から腰部にかけての巨大な褥創(床ずれ)がみられ、その部位より細菌が血流に侵入(敗血症)したためと思われる高熱、血圧低下の状態でした。手の施こしようもなく、翌日亡くなられました。この事例での問題は退院後どこの医療機関が診ていくのかが明らかでなかったこと、また介護者に対しての最低限の在宅で診ていく際の教育がされていなかったことなど在宅で診ていくための準備が全くなかった点でした。地域での医療福祉のネットワークづくりの必要性を痛感した事例でした。
 事例3は81才の男性で、すでに肺にひろがった腎臓癌の方です。血尿のためA病院に入院、上記の診断を受けています。すでに転移しているため外科的治療の適応とはならずに対症的な治療をおこない、また排尿が困難なため膀胱内にバルーンカテーテルが留置されました。しかし、環境の変化などにより精神錯乱状態がつづき、そのために家族が終日付添う日が続いたため、20日目に自宅に退院し、その後は2週間に1度通院することになりました。しかし自宅に帰っても錯乱状態が続き、家人が夜、はとんど眠られず、困って当院に相談された例であります。早速A病院の先生と連絡をとり、その後は当院で在宅医療をおこないました。錯乱状態はどうもバルーンカテーテルが気になるためかと考え、患者さんからみえないように工夫したり、また薬物療法もおこない、軽快しました。その後、約5カ月間在宅で診ることが出来ました。衰弱が進み、どうしても在宅で診るのが困難となった時点で入院してもらい、約1カ月の経過で亡くなられました。本人にとっても最後まで永年住みなれた家で過せたことで、幸せだったと思いますし、家族の方も、お店をしながら、心置きなく介護できたと・ 「う満足感があったことと思います。
 以上、最近経験した3つの事例について述べました。潜在的に在宅医療への要求が高いことを示していると思います。しかし現実は医師をはじめとする医療従事者の中にも、またそのために当然ですが、一般の人たちの中にも在宅医療という医療の形態が定着していないことを示していると思います。したがって地域での医療福祉のネットワークづくりもこれからという状態であります。なお、これらの事例は介護者がいることや部屋が確保されているなど比較的めぐまれた例であります。今の制度の下では在宅医療を受けたくてもその条件のない人が非常に多いことを付記しておきます。


4.在宅医療の現状


(1)在宅医療10カ月間のまとめ
 在宅医療室を発足させ、訪問看護婦を専任化した1988年9月から10カ月間をまとめた資料が手元にありましたので、この資料にもとづいて述べてみたいと思います。在宅医療に対するイメージがすこしでもつかめるのではないかと思います。
 在宅患者数は月平均で42名であります。性別は男30名、女34名、年令別では70才代24名、80才代23名と70才代以上が全体の73%を占めています。疾患名では脳卒中後遺症が30%を占めて最も多く、つぎに心疾患7%、痴呆6%、糖尿病5%であります。患者さんの日常生活動作(ADL)の程度をみますと、はぼ寝たきりが29名(45%)と全体のはぼ半数を占めており、介助で室内動作可能が17名(27%)であり、室内自立可能な人は18名(28%)にすぎません。以上のように在宅医療を受けている患者さんは高齢者が多く、疾患は脳卒中でそのために日常生活動作(ADL)の程度がきわめて低いということが特長であります。
 つぎに医療、看護の内容について少し述べておきます。医師は病状が落着いていれば月に1度往診いたします。訪問看護婦は病状に応じて1週に2回ないしはそれ以上から、週に1回、2週に1回、月に1回訪問いたします。訪問でおこなう仕事は一般状態の観察、理学療法(歩行訓練など)、全身清拭、服薬管理、褥創処置、膀胱内バルーンカテーテル交換、介護者の健康への援助などであります。この10カ月間に13名が亡くなっています。死因としては呼吸器系の感染症(肺炎など)が6例と1番多く、脳卒中、心不全それぞれ2例、悪性新生物、窒息、老衰がそれぞれ1例でありました。病状が悪化して入院した数は月平均在宅患者数42.9人のうち9.5人(22%)でありました。以上のように在宅医療をおこなう際、いっでも入院できる体制をとっていることが必要ですし、その入院の時期の決定が大変むずかしい例にしばしば出くわします。その入院の時期をいっして不幸な転帰をとる可能性のあることを常に頑に入れておくことが必要です。その意味で訪問看護婦の観察カが問われるわけであります。


(2)在宅医療の診療報酬 1991年5月分から
 医療機関が医療行為を行い、その結果受けとる報酬は厚生省告示の「健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」によります。そこで5月度の在宅医療より得られた診療報酬額を調べてみました。その目的とするところは在宅医療を経営の面からみた場合、どうであろうかという問題意識であります。在宅医療の場合、診療報酬としては、(1)在宅療養料、(2)投薬科、(3)注射料、(4)処置料、(5)検査料などの合計したものになります。この中で在宅療養料のみが真の技術料となります。と申しますのは(2)以下は全て何らかの医療材料を用いての医療行為に対して材料費を含めた報酬額であります。在宅療養料の中には医師が行う行為と訪問看護婦が行う行為とに分けられます。往診医の場合は寝たきり老人訪問診察料や指導管理料、処置指導管理料などがあり、訪問看護婦の場合は寝たきり老人訪問看護指導科などがあります。これら純粋の技術料としての在宅療養料の合計は623,570円でありました。そしてその他の投薬料、注射料、処置料、検査料などを加えた総合計は1,025,480円です。単純にこの金額の12倍を1年間の在宅医療費の総額としますと約1,230万円となりま・ キ。一方支出ですが、その中でも5割以上を占める人件費でみてみますと、看護婦に対して病院が支払う平均的な給与は毎月の給与、ボーナス、社会保険使用者負担分、福利厚生費を合計したもので年間444万円であります。現在訪問看護婦は2.8人おりますので合計で1,243.2万円となります。今の収入では訪問看護婦の給与を賄うのに精一杯で往診医やその他の職種の人件費も薬剤などの医療材料費もでてこないというところが実態です。こういうところにも厚生省の掛け声が大きい割にはなかなか在宅医療が発展していかない理由の1つがあるのではと思います。


5.在宅医療の難しさ


(1) 主として体制の面から
 厚生省の掛け声が大きい割にはなかなか在宅医療が拡がらないのが実情のようです。その原因はいろいろと考えられます。今までの経験からまとめてみたいと思います。
 わたくしは在宅医療を選択肢の1つとして患者さんに勧めています。しかし、出来たら在宅で医療を受けたいのはやまやまだが在宅ですごすのは無理だという患者さんが圧倒的に多いのが実情です。その理由の1つは介護者の問題です。1人暮しの高齢者にはもちろん介護者がいません。夫婦2人暮しの高齢者の場合、一方の高齢者が介護者になるわけですから多くの場合、在宅医療へとはなりません。それでは2世代、3世代家族の場合はどうでしょうか。共稼ぎ、孫は学校という場合が多くあります。日中は患者さん1人あるいは配偶者との2人ということになります。以上のように介護者の件で在宅医療へとならない場合が多くみられます。それでも本人の強い希望とさらに高齢な配偶者が1人で介護者として頑張るということで在宅医療をすすめる場合があります。しかし、しばしば高齢の介護者が過労のため倒れたり、倒れないまでも充分な介護が出来ずに再入院となることがあります。介護者は少なくとも1.5人が必要です。在宅医療をおこなってよかったと思われる例は多くの場合、介護者は複数であります。2つめの理由は患者さんの部屋の確保でありますが、地方都市のためか、大都・ sの場合に比べて、これが在宅医療への移行を妨げる例は少ないように思われます。3つめの理由は経営的な面であります。すでに述べたように今の診療報酬では訪問看護婦の人件費しかでてきません。これでは医療機関の中に積極的に取り組むという流れは出てこないと思います。4つめは医師に代表される医療従事者や患者さんや家族に代表される一般の人たちの考える在宅医療のイメージが貧弱なような感じがいたします。まだ往診医が診察をして注射をして帰るという急性疾患に対応した昔の往診というイメージからぬけ出されていないようであります。以上、在宅医療の主として体制の面からみてきましたが、体制上の準備がはとんどなされないままに、在宅医療が声高に叫ばれているわけで、ことばは悪いですが、地域からみますと、病院からの患者の追い出しと言わざるをえない事例もあります。現在は患者さん本人はもちろんですが、介護者である家族と赤字覚悟の地域の第1線医療機関の犠牲のもとで、在宅医療がなんとかおこなわれているのが実情と思います。


(2)医学的な面から
 事例を2例ほど御紹介して在宅医療のむずかしさを医学的な面から述べたいと思いますが、その前にむずかしいからこそ、ぜひとも必要と考えていることを2点述べておきます。1つは在宅医療に限りませんが、患者さんの人権を、医療権を守る、医療に差別をもちこませないという強い信念であります。2つは在宅医療から入院医療へ円滑に移行できることであります。
 事例1は92才慢性リウマチ様関節炎の男性です。定期的に往診していたわけですが、家人から最近食欲が落ちてきて元気がなくなったという連絡があり、往診に行きました。確かに少し元気がないようだが、診察をしても特に異常というものはみつかりません。家族の方は「もう年だし、年寄り弱りですかね」と質問をされます。こういう時、医師としてどう判断するか、大変むずかしい局面に立たされます。わたくしはこう答えました。「皆さんのおっしゃるように年寄り弱りかもしれません。ただお年寄りというのはあまり訴えませんし、診察しても異常がみつからない場合が多くあります。ですから、この食欲がなく元気がないのは何か重篤な病気が隠されているかもしれません」。そして本人と家族とも相談し、翌日入院してもらいました。いろいろ検べてみますと、案の定、重篤な病気が隠されていました。虫垂炎でした。直ちに手術をおこなったのはいうまでもありません。この事例からいろいろなことを学ぶことができます。しばしば言われる「年寄り弱り」という考えが誤診につながることがあるということです。一種の年令による医療差別に連がるおそれがあります。また・ V人の病気を診断するのがむずかしいという点です。とくに在宅での聴診器1本の診断はなおさらむずかしいという点であります。
 事例2も同様な例であります。80才の男性で今までに何回も脳梗塞をおこしているため、両手両足に麻痺がみられます。事例1と同様、食欲がなくなり、いつもの元気がないというのが介護者である妻の話しでした。往珍に行きまして診察しますが異常なく、そこで血液や尿の検査もしましたが異常ありません。このまま在宅で珍ていては衰弱する一方という判断で入院してもらいました。諸検査の結果、再び脳梗塞をおこしたことが判明いたしました。すでに手や足に麻痺があるため、新しい脳梗塞による症状が元気がなくなり食欲も落ちたという全身の症状としてのみ出たわけであります。以上、在宅で患者さんを珍ておりますと患者さんの小さな変化をもみのがさないするどい観察力と患者さんの立場に立ちきった患者観がぜひとも必要と思います。なお感心することは素人の介護者がしばしばわたくしたちにその小さな患者さんの変化をずばり指摘することであります。まさしく在宅医療は患者さん、家族、そして医療従事者の共同の営為であります。


6.今年考えて試みていること―地域の医療福祉のネットワークづくり


 今から述べることは在宅医療という一分野のことではなく、これも含めた老人医療を病院全体としてどう実践しようと考えているのかについてであります。今年度わたくしたちは病院として老人の健康を守るにはどうあるべきかなど老人医療のあり方を追求する目的で「エイジングセクション」をつくりました。構成メンバーは在宅医療や老人医療に携わっている医師、病棟看護婦、訪問看護婦、医療ケースワーカーであります。週に1回半日を使って以下に述べるような活動を行っております。まだ活動を開始して間がないので成果を述べる段階ではありませんが、エイジングセクション今年度の方針から、その活動内容について述べておきたいと思います。


 サポートします老いの安心を守るために
(1)院内における高齢者の状態を知るために老人患者の入院退院にかかわる問題に対応します。具体的には、@入院退院に際し困難な事例の検討をおこないます。また相談日を設け患者さんや家族との相談に対応いたします。A痴呆・せんもうの頻度と程度ならびに入院診察上発生している問題などの実態調査を行います。
(2)高齢者をサポートするネットワークづくりをすすめます。具体的には、@石川県民主医療機関連合会(4病院2診療所)内での連携をはかります。A紹介病院、医院、老人保健施設、保健所、老人ホーム、デイサービスセンター、老人福祉センターなど医療、福祉、行政機関、施設関係者とのコミュニケーションづくりをします。
(3)地域ケアーのシステム化に結びつく活動をすすめます。具体的には、@外来通院が困難と思われる高齢者・家族のために相談コーナーを設置します。A浅野校下の寝たきり、1人暮し老人のマップづくりをします。寝たきり療養者の実態調査を行い、高齢者が地域で暮せる在宅医療づくりをすすめます。
(4)老人が豊かに安心して暮せるために情報室として機能します。具体的には、@医療、福祉、高齢者の暮しに関する情報、文献、技術を収集します。A1人暮し、寝たきり家族の人たちの願い、要求をキャッチします。
 以上、エイジングセクションの方針について述べたわけですが、在宅医療という分野の発展は老人医療全体の発展の中で保証されるものと考えております。その意味でこのエイジングセクションの活動を重視しているわけであります。


7.これからの在宅医療、在宅福祉


 人は誰でも日頃住みなれた自宅で医療の質を落さずに療養生活がおくれたら、この上もないと考えております。しかしながら自宅で医療の質を落さないで療養生活がおくれないのはつまるところ経済的な問題のためであります。質の高い在宅医療を行うためにはお金がかかるという認識が大切と思います。厚生省のこの在宅医療に関する考えは全くこの逆であります。医療費を削減するために入院医療から在宅医療への流れをつくりだそうとしています。換言すれば、質の低い在宅医療をおしすすめようとしているわけです。この行為の根底には人を大切にする、全ての人の人権を守るという思想に欠けているようにみえます。価値感の根底にお金がある「金本位制」の考えであります。質の高い在宅医療を発展させるためには「人本位制」の考えがどうしても必要であると日頃声を大にしているわけであります。これからの在宅医療、在宅福祉を考えていく上でまずこの「金本位制」から「人本位制」への価値感の転換が前提として必要であります。わたくしが日頃考えていることをスローガン的にあげておきます。


(1)日常の暮しを支えるために、毎日の給食、最低でも過1回の入浴を
 これは在宅医療に限りませんが、給食制度があれば長年住みなれた家で地域で生活が可能と思われる1人事しの老人や高齢者の2人暮しの方々がおります。


(2)訪問看護の一体化
 在宅医療に携っている人たち、医師や訪問看護婦や保健所の保健婦やホームヘルパーなどが連携を密にして一体化となり取り組むことが必要です。


(3)自立を支える補助器具を豊かに
 日本の住居環境にマッチした補助器具はわれわれ独自で考えねばなりません。


(4)施設の「網の目」化
 わたくしは長年診ていた患者さんで諸事情により特別養護老人ホームで暮している方々の訪問を年に1回ほど行っております。そうしますと、よく会いに来て呉れたといってほとんどの患者さんは涙を流します。その施設の場所は病院から車で15分ぐらいのところです。健康な人なら、長年住みなれた地域を訪れることは容易ですが、ほとんどの入所者は施設から外出するということはないようです。小学校の校区ごとに施設を、常日頃考えているわけです。


(5)安心して暮せる住宅と街づくり
 往診に地域を回っておりまして、地域が老人にとって住みにくくなってきたな、と実感いたします。今まで利用していた銭湯がなくなった。八百屋がなくなった。不自由な足を引きずってシルバーカーを押しながら遠方のスーパーマーケットへ向う老人を度々みかけます。


8.終章、在宅医療から学んだこと


 病気の原因は病気のちがいにより大小はありますが、生活環境や労働環境の中にあります。ですから、その治療は患者さんと医療従事者が共同して取り組んで初めて可能となります。そのためには患者さんとの出会いの初期の段階の医療従事者と患者との関係から出発して、最終的には人間と人間との関係に発展させることが必要だと考えております。その点、在宅医療は患者さん、介護者である家族の方、そしてわたしたちが力を合せて取り組んではじめて成り立つものです。自然と人間と人間とのつきあいとなります。わたしたちの考えている医療観の典型的な実践の場、それが在宅医療ではないかと思います。長年、自宅で植物状態の御主人の介護をしていた家族がおりました。御主人がクモ膜下出血で倒れた時、お孫さんは生れたばかりでした。保育所に通うようになったお孫さんは帰ってくると植物状態のおじいちゃんに挨拶をします。おばあちゃんとお母さんが一生懸命、介護します。そしてわたしたちが時々、往診や訪問看護をします。これらのことをお孫さんはずっとみながら成長しました。きっと生命を大切にする人に成長すると確信しています。この方は残念ですが3年・ Oの春亡くなりました。御家族とわたしたちに見守られながら、その時、自然と涙があふれてきました。家族とわたしたちが同じ人間として一体感を感じた瞬間であったと思います。そういう意味で、在宅医療には医療の原点みたいなものがあります。そして医療人としての成長の場であります。今の在宅医療には間遠が山積しております。その原因はすでに述べました。これを取りのぞくためにはわたくしたち医療従事者が患者さんや家族の方々と共同して地道に取り組むことが今後ますます必要だと考えております。最後に今回当院の在宅医療チーム(大川義弘先生、山本真由美保健婦、白崎正子、宮本一美看護婦、信耕久美子ケースワーカー)から資料の提供、助言などをいただきました。厚くお礼申し上げます。
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