在宅ケアの充実と長期介護費用の関連について ―公的サービ女か営利的サービスかという供給形態に注目して― 医療・福祉問題研究会会員 河 野 すみ子 1.はじめに |
|
いま、日本では人口の高齢化が急速に進み、30年後の2020年には多くの西欧諸国と同様に、65歳以上の高齢者が人口の2割をこえると推定されている。現在、高齢化に備えるとして、医療・福祉分野ではさまざまな制度の改革と見直しが行われている。その基本的な方向は、自立・自助を強調しながら、「民間活力の導入」をすすめようというものである*1。 老人医療の今後のあり方については、1987年に出された「厚生省国民医療総合対策本部『中間報告』」に示されている。そこでは「厳しい経済情勢や財政状況」という認識のもとで、老人医療の見直しとともに、老人にふさわしい施設ケアの確立、在宅ケアの充実、地域ケアのシステム化を提起している*2。そして、充実をはかるとした在宅ケアについては、「民間企業べースでも介護保険と組み合わせた訪問介護事業が考えられており」*3、民間企業によるサービスの供給をすすめようとしている。 そして、1989年に発表された「高齢者保健福祉推進10ケ年戦略」では、施設の整備とともに在宅福祉サービスの充実を掲げている。その主な内容は、@在宅福祉対策では、ホームヘルパー10万人、ショートステイ5万床、デイ・サービスセンター1万ケ所、在宅介護支援センター1万ケ所の整備、A施設では、特別養護老人ホーム24万床、老人保健施設28万床、ケアハウス10万人、過疎高齢者生活福祉センター400ケ所を整備しようというものである*4。 こうした在宅ケアの充実について、厚生省は『中間報告』にみられるように「厳しい財政状況」という現状認識のもとに提起しているが、在宅ケアの費用について、二木立氏は「在宅ケアは費用を節減しない」と指摘している。 「医療経済学的にみて、在宅ケアは費用を節減しないのです。日本に限らず、世界中の先進資本主義諸国の政府が最近在宅ケアを強調していますが、それの背後に、施設ケアに比べて、在宅ケアの方が安いはずだという考えがあります。しかしながら、この点に関しては、特にアメリカとイギリスで、さまざまなモデル事業や実証研究が行われており、それの共通した結論として、高水準の在宅ケアを行うと、患者や家族の満足は高まるが、病院や施設への入院・入所は減らず、そのために、全体としての医療・福祉費は増えるということが明らかにされています。そして欧米諸国では、このことは、学問的にも、行政的にも、常識になっています。」*5 このように、在宅ケアの充実とその費用の問題や、公的サービスと民間企業によるサービスの関係をどのように考えるか問われている。そこで小論では、在宅ケアの充実と長期介護費用の関連について、要介護老人ケアを素材にしながら検討してみようというものである。そして、ここでは公的サービスか、あるいは営利的サービスかというサービスの供給形態に注目しながら分析する。 まず、二木氏により「在宅ケアは費用を節減しない」と指摘されているアメリカの要介護老人ケアの状況からみていこう。 2.アメリカにおける要介護老人ケア アメリカにおける医療は私的医療機関に依存しており、医療費保障も民間医療保険に依拠し、全国民を対象にした医療保険制度がない。公的医療保障であるメデイケア(65歳以上の老人、障害者、腎疾患患者の公的医療保険)とメデイケイド(医療扶助制度)の対象者は国民の23%にあたる5,410万人にすぎず、国民の14%は無保険となっている*6。このように、アメリカの医療は主に民間部門によって供給されており、要介護老人ケアに営利的サービスが提供されている。 (1) アメリカの施設ケア アメリカでは、高齢者が長期に入院するほとんどすべての施設がナーシングホームと呼ばれており*7、ナーシングホームは高度な看護ケアを提供し規制の厳しい施設と、日常的な介護サービスを提供する規制の緩やかな施設に大別されている。こうしたナーシングホームは、主に民間企業によって経営されており、その施設数は人口の高齢化に歩調をあわせて増加している。1986年には25床以上のナーシングホーム数は16,033であり、そのうち約7割は営利的経営となっている。病床数は1,618,480床であり、過去10年間に25%増加している。このため、ナーシングホーム費用が国民医療費総額に占める割合は、表1のように、1965年の5.0%(21億ドル)から87年には8.1%(406億ドル)に増加している。 このナーシングホームの費用割合についてみると、表2のように、入所者の自己負担が55.3%、メデイケイドが42.8%、メデイケアが1.8%となっている。このように、ナーシングホームでは自己負担とメデイケイドの割合が高いのは、入所後150日(88年の改正以前は100日)までメデイケアからの支払いがうけられるが、150日以上の長期滞在は全額自己負担となるので、入居者が自らの預金や年金、資産を使いはたしたあと、メデイケイドの適応となっていくためである。こうした状況は、メデイケアが老人医療のあくまで補助であり、医療費の全額を保障することになっていないからである。そのため、中流階層の老人たちも一度大きな病気をすると、自己負担が大きく、完全に破産状態に陥ってしまう人が多くなっている*8。 こうしたナーシングホームと看護を行っていない老人ホーム等を合わせた老人施設の病床数は2,259,000床*9をこえており、老年人口にたいして7.6%となっている。今後、さらにこの病床数は増加すると予測されている。 (2)アメリカの在宅ケア 在宅ケアは、近年急速に伸びている。その理由として、メデイケアが医師の在宅訪問の往診料を大幅に値上げするという誘導策をとったことや、各種の家庭治療器具の購入と治療費の保険払いを認めるようになったことがあげられる。その結果、各医療器具販売会社や家政婦団体、理学療法土師団体が積極的に家庭訪問による治療に乗りだし、例えば、患者用の電気操作ベットやイス、車イス、歩行補助器、圧搾空気ポンプ、血栓症防止ストッキング、さらには関節炎治療器や電気筋肉刺激装置、家庭人工透析器、酸素吸入呼吸補助装置、経静脈高栄養補給装置、その他ハイテクによって完成された療法が家庭にもちこまれるようになった*10。このため、メデイケアから在宅ケアに向けられた支出額は、1980年にはメデイケア予算429億ドルの4.7%にあたる20億ドルであったが、86年にはメデイケア予算748億ドルの5.3%にあたる40億ドルに増加している*11。 さらに、診断群別定額支払い方式(DRG)が1983年に導入されたことにより、在宅ケアの利用が加速している*12。DRGのもとでは同じ診断群に属する医療費は一入院当たり同じなので、メデイケア適用患者の入院期間を必要以上に長引かせた場合は病院の損失になった。逆に、還付が保証されている期間よりも入院期間を短くすることにより、病院に利益が生じるようになった。その結果、病院では高齢者をいかに早く在宅ケアやナーシングホームに戻すかを考えるようになってきている*13。また、同じ診断名の患者であれば、軽症でも重症でも病院の収入は同じなので、重症患者を敬遠する傾向が広がっている。こうしてDRGの導入後、高齢者の早期退院や未回復患者の家庭看護が多くなり、在宅ケアの利用が増えてきている。 このように在宅ケアの需要が増大しているので、在宅ケア事業所が増加している。表3にみられるように、メデイケアから支払いをうける事業所数は、1980年の2,967から、1988年には5,669に増加しており、さらに15,000の事業所が許可を申請している。供給主体別にメデイケア承認の在宅ケア事業所をみると、営利的な事業所が増加しているのにたいし、地区等の公的なものが減少している。だが、増加している営利的な事業所は、費用を個人でだせる高齢者の看護に力を入れるために、貧困な高齢者にたいする在宅ケアはあまり好ましい状態ではないといわれている*14。 (3) アメリカの長期介護費用の予測 アメリカでは、ナーシングホームの年間経費は1人当たり平均24,000ドル、在宅ケアは15,000ドルとなっている*15。こうした長期介護費用にかんして、ブルッキングス研究所が将来予測を1988年に発表している。同研究所によれば、表3に示したように、長期介護費用は1980年代後半の416億ドル(1987年貨幣価値)から、2010年代後半には2.88倍の1,200億ドルになると予測している。うちわけをみると、1980年代後半には、ナーシングホーム費用が330億ドル、在宅ケアが86億ドルであったのが、2010年代後半には、それぞれ981億ドルと219億ドルとなり、在宅ケアの費用がナーシングホーム費用とともに増加している。このため、GNPに対するアメリカの長期介護費用の割合は、表4のように、1980年代後半の0.87%から2040年代後半には2.32%に増加すると予測している*16。 このように、アメリカでは在宅ケアの費用とともに施設ケアの費用が増加するために、長期介護費用総額の急速な増大が予測されている。営利的サービスが提供されているアメリカでは、二木氏の指摘のように、在宅ケアの需要の増大は長期介護費用を節減しないことが結論づけられる。 さて次に、営利的サービスではなく、公的サービスが供給されているスウェーデンの要介護老人ケアの状況についてみてみよう。 3.スウェーデンにおける要介護老人ケア スウェーデンでは医療・福祉が公的責任で供給されており、医療は県、福祉はコミューンが担当している*17。その財源についてみると、医療費は主として県民税によって賄われ、医療保険の割合は総医療費の約10%となっている。また、社会福祉サービスはコミューンの財政支出の約20%を占めており、その約25%が老人福祉サービスに向けられている。老人医療・福祉サービスには、老人介護サービス、在宅福祉サービス、および老人福祉特別サービスがあり、その特徴は公的部門によって給付されていることにある。確かに、公的サービスが提供されているスウェーデンでは国民負担率*18は73.3%であり、日本の36.4%やアメリカの35.5%と比べて高いが、同様に、社会保障給付費の比率はスウェーデンでは40.7%であり、日本の14.6%やアメリカの16.2%より高くなっている(1986年)*19。なお、要介護老人ケアの必要量はサービスの供給形態から相対的に独立して決まるので、スウェーデンでは公的サービスの比重が高く、営利的サービスや私的な家族介護の比重が低くなっている。 (1) スウェーデンの施設ケア 施設ケアは県とコミューンにより供給されている。要介護老人ケアの施設には、長期療養病院と介護老人ホームがあり、慢性疾患や心身障害などにより自力で通常の生活を営めない老人のために24時間体制のケアを提供している。そのうち、長期療養病院は県が運営しており、重度な障害をもつ高齢者を治療・介護している。その病床数は、1973年の34,800床から1984年には49,400床、1988年には49,000床となっている(表5)。 介護老人ホームはコミューンが提供しており、自活が困難になった高齢者が入所している。入所者数は1988年には40,200人であるが、最近、表6にみられるように減少してきている。この理由は、施設での生活は老人を孤立と孤独に追いやるという反省が生まれてきたので、第2次大戦後まもなく増加した老人ホームを削減し、減少分をサービスハウス(サービス付老人用アパート)の建設によって補充しているためである。だが、老人ホームを早急に閉鎖しようという議論にたいして、「24時間体制のサービスと平和な環境を必要とする老人もいる」*20という理由により、老人ホームの必要性も見直されている。 (2) スウェーデンの在宅ケア 在宅ケアはコミューンを中心に供給されている。1970年以降、コミューンが住みなれた場所を離れることなくケアとサービスの機能しうる場所と空間を高齢者に提供したので、在宅ケアが定着していった。今日、スウェーデンでは、老年人口の21%が在宅福祉サービスをうけている。*21 1970年頃から、老人ケアと住宅の両方を解決するものとして、前述したサービスハウスの建設が始まっていった。表6のように、入居者数は1983年の24,500人から1988年には44,800人に増加している。こうした動向は、施設ケアから在宅ケアへの移行の促進策である。サービスハウスや一般住宅に住む高齢者にたいして、ホームヘルプサービスや訪問看護・治療サービス等の在宅福祉サービスが提供されている。ホームヘルプ・サービスはコミューンが提供しており、71,600人のホームヘルパーが274,000人の老人の世話をしている。また、訪問看護・治療サービスは、医療の機能をもつので県が実施しており、このサービスをうけている患者数は約44,000人である。 その他に老人福祉特別サービスとして、老人のための輸送サービス、サービスパス、および郵便配達員によるソーシャルサービスがある。 (3)スウェーデンの長期介護費用 スウェーデンでは、施設ケアと在宅ケアに公的サービスを供給しながら、サービスハウスの増設や在宅福祉サービスを充実して、施設ケアへの移行をできるだけ先へ延ばそうとしている。 こうした在宅ケアの充実と長期介護費用との関連はどのようになるだろうか。表7に示されるように、1981年の老人医療・福祉費用約200億クローナのうち、在宅ケアが2.8%、ホームヘルプサービスが18.8%、サービスハウスが5.7%、介護老人ホームが26.7%、長期療養施設ケアが45.9%となっている。さらに、1人当たりの費用を比較すると、長期療養施設の場合は介護老人ホームの場合の2倍、介護老人ホームはサービスハウスの2.5倍、そして、サービスハウスは在宅ケアの約2倍となっている。要するに、在宅ケア、ホームヘルプサービス、サービスハウスの在宅福祉サービスは、介護老人ホームや長期療養施設の施設ケアより安価になっている。このように、在宅福祉サービスの充実により、施設ケアから在宅ケアヘの移行の促進は、結果として、長期介護費用を節減することができるのである。 今日、スウェーデンの老人福祉政策の目標は、施設ケアへの移行をできるだけ先へ延ばすことである。これは、住みなれた自分の家で生活を続けたいという老人の願望と合致している。つまり、「社会的費用の節減と同時に老人の生活の質の向上」*22をめざしている。こうした政策は、「高齢者が自立した幸せな生活を送れるようにバックアップするという本来の目的に沿ったものである。それは同時に、老人福祉のための経済的負担をも軽くすることになる」*23のである。このように、「在宅ケアは費用を節減しない」という二木氏の指摘とは異なり、スウェーデンでは、在宅ケアの充実により長期介護費用を節減している。 スウェーデンのように、「高齢者の幸せな生活を実現し、かつ、社会的な経済的負担も軽くすること」ができるためには、次の3点が必要であると思われる。第1に、高齢者の需要にはぼ見合う施設が整備されているということである。スウェーデンでは要介護老人にたいする施設は、長期療養病床と介護老人ホームをあわせた89,200床である。施設ケアから在宅ケアへの移行の促進により施設数は減少しているが、それでも老年人口にたいし5.9%を占めている。これを日本の老年人口に単純に概算すると、85万床に該当している。第2に、在宅ケアも充実しているということである。スウェーデンでは、ホームヘルパー1人当たりの高齢者数は約21人であり、これを日本の老年人口に概算すると68万人に該当するのである。第3に、要介護老人ケアが公的責任で供給されているということである。スウェーデンのように公的サービスが提供されている場合には、営利企業のように利潤をあげる必要がないのである。だが、アメリカのように営利企業が要介護老人ケアを提供する場合には、社会的な長期介護費用には企業の一定の利潤が含まれてくることになる。 以上のことより、公的サービスが供給され、需要にはぼ見合う施設が整備されているならば、在宅ケアの充実により長期介護費用を節減することができる。 4.在宅ケアの充実と費用の開運 (1) 在宅ケアの充実と長期介護費用の関連 日本では、厚生省が「厳しい財政状況」という現状認識のもとで、老人医療の見直しとともに、在宅ケアの充実を提起している。 これにたいし、二木氏は「在宅ケアは費用を節減しない」と結論づけている。そして、「私は以前から厚生省の認識の甘さを批判してきましたが、最近は、厚生省の伊藤老人保健課長が、私の批判を受け入れたためか、『在宅ケアは施設ケアに比べて、効率が悪くて費用がかかるものだと考えている』と認めるようになっています」*24と述べている。 こうした「在宅ケアは費用を節減しない」という二木氏の指摘にたいして、次の2点を検討すべきである。 第1にあげられるのは、老年人口に対する施設数がどの程度なのかという点である。 日本の場合、要介護老人にたいする施設の整備が不十分なので正確な比較はできないが、1989年には特別養護老人ホームとその他の老人ホームの定員が約23.8万人、老人保健施設が2.8万床*25であり、また「寝たきり老人」が病院に25万人(1986年)入院しており*26、これらを合わせた約51.6万人が施設ケアをうけていると推測される。この数字は、「高齢者保健福祉推進10ケ年戦略」において施設の整備目標となっている特別養護老人ホームと老人保健施設を合わせた52万床に近いが、スウェーデンの老年人口に対する施設数の約60%、アメリカの約47%にすぎない。ただし、スウエーデンでは、老人ホームの部屋は個室で10畳以上の広さである等のさまざまな施設ケアにたいする質的水準を問わず、ここでは単なる量的な比較だけにすぎない。 ともかく日本のように、老年人口に対する施設数が相対的に少なく、老人ホームへの待機者が多い場合、在宅ケアの充実は施設入所を減らすことにはならない。施設ケアの整備が不十分な場合、二木氏の指摘のように、在宅ケアの充実は長期介護費用を節減しないのである。 ところで、スウェーデンのように、施設ケアから在宅ケアへの移行の促進が「社会的費用の節減と同時に老人の生活の質の向上」をめざすものであるという場合、在宅ケアの充実は施設入所を減らすことになり、長期介護費用を節減するのである。したがって、すでに高齢者の需要にはぼ見合う施設が整備されている場合、「在宅ケアは費用を節減しない」という二木氏の指摘とは異なり、在宅ケアの充実は長期介護費用を節減することができる可能性がある。 だが、アメリカでは老年人口に対する施設数は7.6%になっており、スウェーデンを上回っている。それにもかかわらず、長期介護費用は今後も急速に増加することが予測されている。そこで、検討すべき第2の問題として、公的サービスなのか、あるいは営利的サービスなのかというサービスの供給形態があげられる。 すでに述べたように、スウェーデンでは、要介護老人にたいして公的責任でサービスを供給しており、在宅ケアの充実により長期介護費用を節減している。これにたいし、アメリカでは老年人口に対する施設数はスウェーデンを上回っているにもかかわらず、どうして長期介護費用が急速に増加すると予測されているのだろうか。それは、スウェーデンと比べて年齢構成や疾病構造あるいは在宅ケアの整備の違いなども考えられるが、やはりサービスが営利的企業によって提供されていることが大きな要因になっている。アメリカのように営利的サービスが提供されている場合、在宅ケアの増加は在宅ケア事業所の利潤の増加にはなるが、長期介護費用の節減にはならないのである。 以上より、在宅ケアの充実と長期介護費用の関連について次のようにいえる。 @ 老年人口にたいして施設数が相対的に少ない場合、在宅ケアの充実は長期介護費用を節減しない。(日本) A 老年人口にたいする施設数が相対的に多くても、営利的サービスが供給されている場合、在宅ケアの充実は長期介護費用を節減しない。(アメリカ) B 公的サービスが供給され、高齢者の需要にはぼ見合う施設数がすでに整備されている場合、在宅ケアの充実により長期介護費用を節減することができる。(スウェーデン) したがって、「在宅ケアは費用を節減しない」という二木氏の指摘は、施設ケアの整備が不十分な場合や、サービスの提供が営利的である場合にはあてはまるが、公的サービスが供給され、需要にはぼ見合う施設がすでに整備されている時に在宅ケアを充実した場合には必ずしもあてはまらないのである。二木氏の「在宅ケアは費用を節減しない」という見解は、要介護老人ケアが充実し、公的サービスが供給されているスウェーデンのような形態を見落としている。 もちろん日本では、老年人口に対する施設数が相対的に少ないので、在宅ケアの充実は施設ケアの減少にはならず、二木氏の指摘のように、在宅ケアの充実は費用の節減にはならない。したがって、日本において在宅ケアの充実をはかるという場合、当然のこととして、費用の増加が伴うことになる。 では、要介護老人ケアにたいして営利的サービスが提供された場合、なぜ社会的にみて非効率なのか。これが次の間題である。 (2)医療の効率 医療における効率については、個々の医療機関の経営効率と、社会全体の医療の効率を分けて考える必要がある。営利的企業では、利潤の極大化を追求することにより、個々の医療機関内部のおいて経営効率がはかられる。それは同時に、採算にのらない部分の切り捨てとなり、医療の総合牲がそこなわれ、社会全体として医療の非効率がもたらされる。 実際、医療が営利的民間企業に依存しているアメリカでは、「世界屈指の医師数を擁し、世界一の医療水準を誇り、世界一の医療費を消費していながら、国民の健康水準は他の先進諸国にくらべて必ずしも芳しくはない。乳児死亡率は世界第17位であり、平均寿命はベストテンには及ばない」*27のである。 このように、営利的民間企業に依存した医療体制では、個々の医療機関は利潤追求のために経営効率をはかるが、社会全体の医療は非効率となっている。 医療を私的利潤の対象にした場合について、宇沢弘文氏は次のように述べている。 「人々がその基本的生活を営むために不可欠となるような財、サービスについて、もしかりに、私的利潤追求の対象として市場を通じて供給されたとすると、社会的、文化的な観点からさまざまな望ましくない結果を生み出し、ひいては、経済的な観点から非効率的となるか、あるいは分配上の不公平をもたらして、不安定的社会をつくり出してゆくことになってしまう。」*28 「医療サービスが人間の生命、健康にかんするもっとも基本的な市民の権利にかかわるということである。したがって、医療サービスを私的な利潤追求の対象として、他の財・サービスと同じように市場メカニズムによって処理しようとするときは、重大な社会的問題の発生を避けることはできない。」*29 また、宮本憲一氏は、社会的共同消費手段である保健医療施設や社会福祉施設とそのサービスの公共牲を強調し、次のように述べている。 「共同消費手段とそのサービスは、労働力の再生産あるいはひろくいって市民の生命と生活の再生産のために不可欠の財あるいはサービスであって、公共性が大きく、このために、経済的能力による差別あるいは排除をしてはならない。つまり、資本主義的経営原則にもとづいて、利潤原理だけで利用料金の決定ができず、費用負担のできぬものを排除することができない。非排除原理=公共牲が原則となるのである。」*30 このように、医療・福祉は「もともと私的な利潤追求の対象とすべきではない性格のもの」*31なので、要介護老人ケアを私的利潤の対象にした場合には重大な社会的問題が発生し、経済的観点からみると、非効率となっていくのである。それゆえ、個々の医療機関・施設内における経営の効率については、医療・福祉サービスがもっとも基本的な市民の権利にかかわるものなので、憲法で明示されている基本的人権を尊重し、公正で民主的に行うことが必要になってくる。 ところが、いま日本では、医療・福祉分野における「民間活力」の導入を推進するために、公的システムのみでは非効率的であり、医療サービスの効率的な供給が必要であると提起されている。たとえば、高齢者対策企画推進本部報告では、「公的システムのみで多様なライフサイクルに合わせたサービスをそれぞれ提供していくことは非効率であり、・・民間の創意工夫を生かした適切な私的サービスを導入」*32すると述べている。 だが、医療・福祉分野へ「私的サービスを導入」しようという方向は、個々の医療機関・施設内において経営効率がはかられたとしても、国のシステムとしては非効率な医療・福祉とならざるをえないのである。むしろ、医療・福祉を公的責任によって保障してこそ、民間医療保険等の私的サービスを真に国民生活に生かすことができるのである。*33 5.要介護老人ケアにおける営利化の問題と限界 要介護老人ケアにおける営利化の問題として、アメリカの要介護老人ケアの状況にみられるように、次の3点をあげることができる。 第1に、自己負担が大きいことである。アメリカでは、営利企業が高所得者向けから相対的に低い所得者向けまで、多種多様なナーシングホームを経営し、採算性を追求している。このナーシングホームの費用の55.3%は入居者の自己負担となっているので、自らの預金や年金、資産を使いはたしてしまう人が多くなっている。 第2に、支払い不能者が切り捨てられるということである。アメリカでは医療費の支払い不能により、毎年100万人の高齢者が貧困に陥っている*34といわれている。また、『アメリカ経済白書1987』では、病気になればあまりに多くの費用がかかり、破産か死かという耐えがたい選択に高齢者は直面している*35と述べている。営利化された医療のもとでは、採算にのらない部分は切り捨てられるので、貧困な高齢者の医療は社会問題になっている。 第3に、財政支出の増加である。アメリカのナーシングホームの市場規模は、1988年には431億ドルであり、そのうち、連邦政府が125億ドル、州政府等地方自治体が84億ドル、あわせて209億ドルがナーシングホームに拠出されている*36。今後、長期介護費用の増加にともない、連邦政府と州政府のメデイケアやメデイケイドへの支出が増加していくことが予測されている。 現在のアメリカにおいて、要介護老人ケアにたいする現行制度のままでは、多くの高齢者がスペンディングダウンに陥るリスクを負っている。ここでいうスペンディングダウンとは、「ナーシングホーム入居時には貧乏ではない人が、ナーシングホーム費用支払いのために資産を使い尽くし、メデイケイドに依存せざるを得ないほど貧困者に転落すること」*37を意味している。こうしたなかで、長期介護にたいする多様なニーズに応えるために、民間長期介護保険等の民間活力の促進に期待がかけられている。しかし、「ブルッキングス研究所は、採算確保が前提となる民宿には自ずと限界があると分析し、公的保険制度こよる長期介護費用給付拡大が不可欠であると結論付けている」*38。このように、もともと採算確保が前提となる営利的な要介護老人ケアには限界があるのである。 今日、日本では「良質で効率的な国民医療」をめざし、在宅ケアの充実をはかるとしている。これは一見、施設ケアから在宅ケアへの移行を促進しているスウェーデンの政策と似ているが、スウェーデンでは公的責任が明確なのにたいし、日本では公的責任を極力回避しながら、営利的事業に委ねていこうとしている。 だが、要介護老人ケアにたいする市場原理の導入は、自己負担の増加をともなうものであり、病院・診療所や社会福祉施設と連携のとれた総合的で、誰でも利用できる地域ケアのシステム化にはなりえない。いま必要なことは、非営利を原則とする医療*39や公共サービスとして主に行政が担ってきた福祉の見直しではなく、老年人口にたいし相対的に少ない老人介護施設の拡大をはかり、たちおくれている在宅ケアの充実を公的責任で実施することである。そのためにも、今後10年間に、あらたに120万人が必要とされている保健医療・福祉分野の就業者*40の多くを公的責任で保障していくことが必要である。このように、公的責任を明確にして、量的にも質的にも要介護老人ケアの拡充をはかることが、国民生活を向上させることになる。高齢者が安心して暮らせるためにも、世界第2位の経済力を国民の生活向上に生かすことが求められている。 1)たとえば、1990年4月に出された臨時行政改革審議会の最終答申では、「21世紀に向けて取り組むべき中心課題は、・‥本格的な高齢化社会となる21世紀にあっても、活力があり、公正で住み良い福祉社会を築くことである。公的部門の肥大化を避け、高福祉高負担型の福祉国家ではなく、国民の自立互助、民間活力を基調にした新たな社会システムをつくり上げていかなければならない」と述べている。(全国老人福祉問題研究会・編集協力『老後保障情報資料集』あけび書房、1991年、P.11。) 2)厚生省「国民医療総合対策本部」中間報告、1987年、報告の文章は『厚生省中間報告を斬る』全日本民主医療機関連合会、1987年を使用した。 3)国民医療対策研究会「国民医療総合対策本部の中間報告の内容」『厚生省中間報告を斬る』、P.49。 4)厚生省編『厚生白書1989年版』、P.210。 5)二木立『90年代の医療』勁草書房、1990年、P.27。 6)社会保障研究所縞『アメリカの社会保障』東大出版会、1989年、P.200。 7)二木立『現代日本医療の実証分析』医学書院、1990年、P.8。 8)社会保障研究所編『アメリカの社会保障』、P.205。 9)広瀬輝夫『アメリカ医療の苦悩と挑戦』日本医療企画、1991年、P.307。 10)広瀬輝夫『アメリカ医療はどこへ行く』日本医療企画、1988年、P.275。 11)同上書、P.271。 12)松山幸弘『米国の医療経済』東洋経済新報社、1990年、P.36。 13)こうした状況について、ロバートH・ビンストック教授はつぎのように述べている。 「7年前に、連邦政府が新たに病院に対して予見的医療費償還制度を始めましたが、これは出来高払いではなく、支払いを診断グループをベースにして還付する方策です。まず、465の診断グループをベースにして実施されましたが、たとえば327番の診断を受けた人が入院したとすると、7日間の還付が保証される仕組みになります。ところが実際には、なるべく早く退院させた方が、病院にとっては利益が出るわけです。これによってそれぞれの病院にとってメディカル・ソーシャル・サービスが非常に重要になりました。というのはソーシャルワーカーは、言ってみれば退院のための計画作りをするプランナーになったわけです。ですからいかに早く現実的な、在宅ケアへ、あるいはナーシングホームに老人を戻すかを考えることがソーシャルワーカーの任務になったわけです。ですからこういう意味でもソーシャルワーカーがチームに重要な意義をもち、とくに病院にとって利益を生み出す人という位置づけになったわけです。組職の財政に関与するという意味で、ソーシャルワーカーの地位が高まったという状況があります。(全国社会福祉協議会,社会福祉研究情報センター編『老人介 護の国際比較』中央法規、1991年、P.155。) 14)広瀬輝夫『アメリカ医療の苦悩と挑戦』、P.326。 15)広瀬輝夫『アメリカ医療はどこへ行く』、P.273。 16)松山幸弘、前掲書、P.95。 17)この節では、社会保障研究所編『スウェーデンの社会保障』東大出版会、1987年と The Swedish Institute,The Care of the Eiderly in Sweden”,in Fact Sheet on Sweden,1989年と竹崎孜『生活保障の政治学』青木書店、1991年を参照した。 18)国民負担率を考える場合、第1に歳入構造の問題、第2に租税制度のあり方の問題、第3に財政支出との関連で社会保障のよる還元がいかに行われているかという問題を検討する必要がある。たとえば、歳入中における公債の割合が高ければ、国民負担率は低くなる。 19)厚生省編『厚生白書1989年版』、P.223。 20)全国社会福祉協議会,社会福祉研究情報センター編『老人介護の国際比較』中央法規、1991年、P.44。 21)同上書、P.218。 22)社会保障研究所縮『スウェーデンの社会保障』、P.284。 23)同上書、P.287。 24)二木立『90年代の医療』、P.27。 25)厚生省編『厚生白書1991年版』、P.241、P.60。 26)厚生省老人保健福祉部老人保健課『寝たきりゼロをめざして』中央法規出版、1990年、P.3。 27)社会保障研究所編『アメリカの社会保障』、P.200。 28)宇沢弘文『経済学の考え方』岩波新書、1989年、P.248。 29)宇沢弘文『公共経済学を求めて』岩波書店、1987年、P.245。 30)宮本憲一『都市経済論』筑摩書房、1980年、P.73。 31)宇沢弘文『経済学の考え方』、P.244。 32)厚生省「高齢者対策企画推進本部報告」『厚生省中間報告を斬る』、P.83。 33)本間照光「民間医療保険と公的医療」『日本の保健・医療4』労働旬報杜、1990年、P.130。 34)高島 進『超高齢社会の福祉』大月書店、1990年、P.98。 35)経済セミナー増刊『アメリカ経済白書1987』日本評論社、1987年、P.18。 36)松山幸弘、前掲書、P.6。 37)同上書、P.98。 38)同上書、P.98。 39)医療法第7条の4では「営利を目的として病院や診療所を開設しようとする者にたいしては許可しないことができる」とし、第54条では「医療法人は剰余金を配当してはならない」と定めている。 40)厚生省編『厚生白書1991年版』、P.88。 |
|
トップページへ戻る | 目次へ戻る |