『医療・福祉研究』No6 Dec・1993
仰特集/保健・医療・福祉と地域づくり
沢内村の保健・医療・福祉と村づくり
沢内村社会福祉協議会事務局最 高 橋 典 成

1.豪雪、貧困、多病の村から生命尊重の村へ

(1) 故深沢村長の言葉
 沢内村は、岩手と秋田のちょうど真ん中で奥羽山脈の山ひだに開けた、標高240mから
400m程の山間地にあります。
 
 11月から4月までは2〜3mの雪に埋もれ、雪が貧困を増し、貧困が病気の原因となるという悪循環が続いていました。乳児死亡率も高く、1割以上亡くなったという記録もあります。

 沢内村の人口現在4,500、世帯数1,1000かつては生活保護受給世帯数110ぐらいで、非常に悲惨な、人が人らしく生きていけない村だったとお解りになるのではと思います。そういう村に、深沢康雄という人が村長に就任します。
 
 村の出身ですが、あちこち歩いた後、跡取りだったので村に帰ってきて、教育長、助役を
やった。その村長就任が昭和32年です。

 昭和32年頃は高度経済成長で、経済中心に目が向いた時期です。彼は、就任後の議会で「ここはニューギニアの奥地ではない。
 
 生まれてくる赤ちゃんがころころ死んでいく。病人、老人が医者にも看取られず木が朽ちるように亡くなっていく。こういう野蛮な条件をまず克服しなければならない。
 
 政治の基本は生命を大事にすることである」と言ったと言われています。


 〈2〉 医療費無料化
 具体的な政策として昭和35年12月に65歳以上の高齢者に対する医療費を無料にする制度
をつくり、昭和36年4月には65歳を60歳に引き下げ、なおかつ乳児、1歳未満の赤ちゃんも医療費をただにして、昭和40年代後半からは重度の障害者、精神病、母子家庭、寡婦の家庭と拡大して現在も続いています。
 
 村に行政視察等が見えられ、こういう形で医療費無料化をしているとお話すると、結構お金があるからじゃないか、と。事実は全く逆で、無料化しなければ医者にもかかれない厳しいことがあったわけで、赤ちゃんはもとより、老人もお金がなくて医者にかかれない。それがかつての沢内村でした。
 
 そういう中でやはり生命を大事にして、本当に人が人らしく暮らしていく基本は、体の具合の悪い時にすぐ診てもらえる体制をつくることだということで、無料化を進めていった。これは、お金があったんじゃなく、無いという状態の中で実施してきたことです。 この結果、昭和37年日本で初めて乳児死亡率ゼロを達成し、現在まで14,5回続いています。
 
 また、老人の人達が非常に明るくなった。誰でも体の具合が悪いと、しかめっ面でにが虫をつぶしたような顔になる。体の調子がいいとそうならない。自分だけでなく、老人の人達がそうだとお孫さんや別の人達みんなが健康を気遣う。老人医療費の無料化は、老人のみならず家族全員の健康管理にまで発展し、家族全体が明るくなることの引き金になっている感じがします。



2.沢内村の保健・医療の特徴
〈1〉 すべての人に保健と医療を
 そして、沢内の場合は生命行政の核に社会教育を位置づけたことが大きな住民運動を進めていく原点ではなかったかと思います。

 深沢康雄村長は、全く婦人の組織が無かった時代に、婦人のリーダーと一軒一軒雪の申を歩いて婦人会づくりに奔走した、と記録も残っています。そして、公民館を中心に地域の中での話し合い活動を一生懸命やったことが、乳児死亡率ゼロ等の大きな力になった。そういう意味では社会教育が非常に大事な村づくりの原点になると、私自身思っています。

 病院自体の考え方も、受け付けをくぐってきた人を治療すればいいというのでなく、病気になる前の段階の健康教育や予防、検診、あるいは治療後のリハビリまでひっくるめた、全部をやっていく役割が病院にある。
 
 だから、沢内には組織では病院という治療中心の所があり、その病院長が予防の保健所長も兼ねている。昭和38年から村の健康管理課というセクションの課長で、3,300市町村で同じ課長を30年間続けてるのは俺ぐらいだと病院長は言います。
 
 保健・医療の一体化が、沢内では昭和30年代中頃から実践されている。意識してというより、ある意味で必然性に迫られて始めたと言った方がいいかもしれませんが、現在まで続いて、保健と医療の一体化が福祉の分野まである程度カバー出来た。

 病院の事業そのものが、福祉の面まで含めていると言えるかと思います。

(2)報道された赤字問題
 実は今年5月下句に沢内病院の赤字問題が全国放送の「プライムテン」であって、村長と病院長の対立で沢内はどうなるんだと、沢内の人より外部の人からいろいろ心配をうけてしまいました。村長と病院長の立場の違いは、確かにある。
 
 村長はある程度いろんな政策を展開して、病院の赤字がいくら出てもいいとはいかない。病院長はそういう金より人の命をきっちりとらえていかねば、という立場です。
 
 お互いの違いはあってしかるべきですが、ただ、沢内村だけの問題でなく、これは今の医療を取り巻くいろいろな体制上の問題が沢内病院をして赤字にさせている。
 
 沢内の中に問題があると燻小化せず、ひとつの契機にして全体的に自治体病院が置かれている状況を考えていく方が、よりいいのではないかと考えます。


3.生き生き高齢社会


(1)長年培った経験を生かす社会それで、村に比較的健康度の高い高齢者が出てきた。現在沢内の高齢化率は65歳以上が22%ぐらい。年に1%づつ高くなって、あと3年程で4人に1人が65歳以上という時代を迎えます。
 
 昭和30年代後半からの取り組みで村には比較的元気な高齢者が多いのですが、自分で自分の生活を確立できない人が出てきていて、この2つを合わせて考えていくのが現在の課題です。

 でも、健康度の高い高齢者が多いのは事実で、高齢者が本当に生きがいを持って日々充実した暮らしができる状況をどう作っていくかが、私共福祉の面に課せられたひとつの課題であるかなと思っています。
 
 健康になることは、病気にならないことが最終の目標ではない。健康な状態だけじゃなく、それをベースにして豊かな暮らしを送れるかを考えていかなければと思うんです。

 今、沢内村は老人クラブの活動が活発ですが、その中で生産活動を若干紹介したいと思います。村では15ある老人クラブが、一地区一品運動に取り組んでいます。例えば、あるクラブはあけびのつる細工で、みかんが入る菓子箱みたいなもの、大きなものは買物寵、もうちょっと大きくなると脱衣籠みたいなものを作る。当初は東南アジアの藤で作っていましたが、毎日だと材料費がばかにならず、山にあるあけびのつるでやりました。

 あけびのつるはからまって実をつけますが、木にからまったつるは使いものになりませんので地べたをはっているつるをとってきます。手作りですので、二つと同じものがなく、本当に暖かみがあると言うか、ふるさとブームで結構売れ行きがでる。
 
 老人クラブの人達も生き生きと作っている。まもなく正月ですので、わら細工をやるクラブは生協とタイアップしてしめ飾りを作ります。
 
 昨年も15,000個程の注文があり、1つのクラブでは大変なのであちこちのクラブと一緒に仕上げる。
 
 また、今の時期山にはなめこがあり、自分達が栽培して缶詰にする。沢内は米がちょっとだめになって、その分、別のいろんなものに取り組んでいて、老人クラブも雑穀のひえや粟を作った
り、大豆に取り組んでいる。

 大豆を煎って粉にすると、きなこになります。最近クラブの人達は大豆を煎らずに普通の豆を粉にします。

 何に使うのか。自分達でひいた粉をお湯に溶かしてこすと、スーパー等で売ってる豆乳になる。にがりを入れるとよせ豆腐が出来て晩酌にいい。雑穀等は小鳥の餌でなく食べるために使う。 
 最近食べ物が原因のアトピー皮膚炎なんかがあって、食事が食物に影響する中で自然の物をということで、わざわざ東京から雑穀を生産してくれということがあります。
 
 これから寒さが続きますが、大根をしみ大根に、豆腐をしみ豆腐にする。15の老人クラブがそれぞれ最低1つ、何か生産活動をやろう と取り組んでいます。
 
 (2)高齢者も件害者も共に生きれる社会

 作ったその後は、沢内のまるごと自然の産物を宅配便に乗せてというふるさと宅急便事業で使う。これを現在障害者の働く福祉共同作業所で、16名の障害を持つ人達が毎日の仕事の代表的分野として取り組んでいます。
 
 作業所を作った昭和60年の2,3年前から、運動をいろいろやって、こういうイメージで作業所を作ろうと2つ考えました。
 
 1つは障害の程度や領域にとらわれず、誰もが参加出来る作業所づくりをしたい。知恵遅れの人も手足の不自由な人も、精神病院を退院した人も、どういう人達でも来れる社会参加の場を作りたいという願いでした。

 もう1つは障害者だけを閉じこめておく城ではない。やはり地域とは、いろいろな人達がいて共に支え合う社会なわけで、福祉作業所はそういうことをお互いに考えて確認し合える拠点にしたい。

 この2つをイメージとして持っていた中で、ふるさと宅急便と結びついていくわけです。
 
 具体的には、春6月にわらびやふき等のいろんな山菜を中心にした宅急便を出す。それを障害を持っている人達が山に行って取るわけじゃない。
 
 さっきの老人クラブの、婦人ボランティアの、地域の、いろんな人達が関わってくる。それを作業所で湯がいて真空パックにする作業を、一緒にするわけです。最初は、この作業は障害者の人には出来ないのではというイメージですが、実際には知恵遅れの人など、本当に気長に飽きないでずっとやる。 
 
 もちろん、お母さん達みたいにてきばきと要領よく出来ませんが、お母さん達は一時間程一生懸命やっても、すぐ飽きちゃってお茶を飲みたくなる。お母さん達が「なんか私達よりも結構頑張れるんじゃないか」と、作業所で一緒に仕事をする中で考えてこれる。
 
 作業所は役場の敷地内で、開設した当初は障害を持って いる人達が、送り迎えという手段はありますが毎日役場に来る。今まで障害を持った人達 がぞろぞろ役場に来ることはなかった。

 その意味では非常に奇異に感じられたのが、三日、一週問、半月経つと、ごく当たり前の普通になってきた。

 私達は障害者理解、国際障害者年を通じて障害者に対する関心、理解は高まってきました。いろんな形で障害者理解を深めたい。
 
 それには話よりも、一緒にそういうことを出来る場を作り、何か同じことをするのが、一番てっとり早いと思いました。作業所のふるさと宅急便は現在約520名程の会員がいます。
 
 会費15,000円で年4回の季節に合わせたものを発送する。受け手は主に東京周辺の、ふるさとを持たず、沢内村をふるさとにしたい思いの人達に会員になって頂いてます。
 
 いわば、宅配は郡帝と農村を結ぶ事業です。これは元気な人達がやるということだけでなく、私達の側からすれば障害者でも高齢者でも、その結び手、かけはしになれるという実感です。  
 なおかつ、村起こし、村づくりという面では、障害者や高齢者も担えるという実践でもある。

 どんどん高齢化が進む沢内みたいな過疎地では、そういうハンディを持った人達でも、どんどん地域の中で頑張れる条件をつくっていくことが非常に大事になってくると思っています。

 そして、こういう取り組みが次の世代担っていく子供達に、地域を理解する実を育ててくれるのではと思っています。

 よく村の小中学校の先生方と話す中で、東京を向いた教育だけでは、いい高校、大学、会社という形で一連のものを求め、全て目は東京に向いちゃう。
 
 そういう子供は親達を一流の老人ホームに入れてやるという考えになっちゃう。やはり沢内の良さ、沢内を本当に理解できる教育が必要じゃないかと思います。
 
 それは学校教育だけでなく、地域の人達とのつながりの中で出来る。その中に障害者や高齢者の取り組みへの参加もあります。事実、子供達がそういうものを通して地域を見つめていく、理解してくれるだろうという期待は持っています。高齢化が進み、寝たきり、ひとり暮しといった在宅福祉のケアをどうするか、という差し迫った問題はありますが、高齢化は高齢者だけの問題ではない。
 
 今の子供達をどう地域の中で育てていくかという視点が今必要で、トータルな村づくりが大事になってくると思います。
 
 (3)高齢者が発言する社会 

 それから、高齢社会の中で高齢者が沢内ではこういう形をとっていると若干お話します。
高齢社会とは、高齢者が遠慮している時代ではない。

 私達が老人クラブで高齢者へ話す時、誰もが高齢化社会、高齢化社会と念仏のようにしゃべる。
 
 こう言われると高齢者、私達高齢者にとって生きていくことが、罪悪まではないにしろ悪いことだというイメージを感じる、と言います。
 事実、高齢化社会というイメージからは、例えば医療費や年金にいっぱい金がかかると、暗に意味している面がないわけでもない。
 
 すると、高齢者側からは、私達が長生きすることはよくないことじゃないかと思うイメージが、何かしら隠されているようで非常に恐い。しかし、沢内の場合、いろいろと生産活動や取り組みをして自分達が60年、70年、80年生きてきたことが、次の世代にいろんな形で役に立っているという実践がある。
 
 そういう場面を私達がどうつくるか。どんどん遠慮しないで生きていって欲しいし、更に言えば、どんどん発言していくことが大事じゃないかと思っています。 沢内の医療費10割給付、無料化がたんたんと進んだわけでなく、10割無料の必要はない、一部有料化の方がいいということが何度かありました。

 最初の10年目、20年目と、だいたい節目にあり、48年頃も一部有料化の動きを老人クラブの著名活動でくいとめたことがあります。昭和44年頃東京都で70歳以上の医療費無料化、そして確か48年に国で無料化が行われ、58年頃、正確には老人保健法が出来て一部有料化ということがありました。

 10年して老人保健法が出来て一部有料化になったわけです。その時点で沢内の老人クラブは、老人保健法施行後も医療費無料を続けてしほしいという取り組みをしました。

 代表的なのは老人の主張大会で、青年の主張と同じように3つ程テーマを決め、その1つに医療費の10割給付、無料化に思うというテーマを設定しました。

 12人中7人程がこのテーマで発表してくれました。自分達だけのためでなく、家族や地域、これからの人達のために継続していくべきだという論旨で発表する。昼間ですから会場に来た人しか聞けません。

 沢内村は有線放送が各世帯に入っていまして、夜みんないる時に再度主張のテープをかけ、全体に聞いて頂いた。また、老人クラブは首長と議会の長に対して陳情行動を起こしました。

 老人保健法が出来ても沢内は無料化すべきだ、今まで沢内だけの取り組みをしてきたのだから是非継続すべきだ、という陳情をする。そして、最終的にはその陳情書が村議会で議決を得るという形で、村として医療費無料化の意思表示をすることがありました。

 やはり高齢者の人達がどんどん発言していく。そしてまた、発言する場や条件をっくっていくことが、弘達に課せられた課題なのかなとも思います。

 沢内村の老人達は結構発言をし、そのことを通して自分達だけでなく次世代の人達をも考えながら進めていく。その動きや活動を私なりに見ますと、例えば高齢者の生きがいという問題です。
 
 私が考える生きがいは、いろんな活動をしていくことが生きがいに通じるという感じがします。高齢者の人達の旅行、ゲートボール、温泉に行くという趣味的活動は、生きがいに決して結びつくものではない。
 
 例えば、ふるさと宅急使でいろんな一地区一品運動という形の生産活動等をする。それで作ったものがお金にかえれるということは、社会的に認められることにもつながるわけです。

 小さい時の技術、ずっと60年、70年と積み重ねてきた技術が、現在の社会でも十分役立っと高齢者自身が認識した時が、生きがいにつながってくる。

 ですから、表面的に生きがい活動としていろんなメニューを並べて「はいどうぞ」ということは、生きがいには直接結びつかない。もっと言えば、やはり安心して暮らせる、安定して暮らせるという基本がきっちりそろっていれば、後は生きがいは自分達でつくっていくものではないかと思うわけです。

 安心とは、本当に自分が体の具合の悪い時に安心してお医者さんに診てもらえる体制です。

言ってみれば、医療保障ということがあるわけです。それから、安定と言えば所得保障ということで、安定した暮らしが基本にある。
 
 こっちをきっちりやってもらえば具体的な活動などは自分達自身でつくれると思うんです。

(4)高齢者自身のネットワークを広げる社会そう思ったのは、うちの方に70ぐらいのひとり暮しの婦人がいる。
 
 生まれは東京の下町で、家族も兄弟もそちらです。沢内の人と結婚して、旦那が体の具合が弱い人だったそうで、終戦前に夫の実家の沢内に疎開してきます。結局は、旦那が亡くなって東京出身のおばあさんが沢内に住みつくことになるのですが、2人の女のお子さんがあって、東京と盛岡に嫁に行きました。

 そして、1人沢内に残ったおばあさんは喘息を持っていて、風邪をひくと非常に大変です。東京にいる娘が心配して、東京には兄弟もいるし親戚もいる、私、つまり娘もいるし、是非戻って来いと話をする。
 
 老いては子に従うということで行きましたが、その結果わずか1カ月程で沢内村に戻っ
て釆ました。

 沢内は具合が悪くなると、電話1本ですぐ夜中でも往診に来てくれます。うちの病院長なんかラーメン屋と同じだと言います。ラーメンは出前の電話をすると持ってきてくれる。同じように夜中でもいっでも往診に来るということです。
 
 これがひとり暮しの老人などには、すごく安心して暮らせることなんです。東京は医療機関がいっぱいで暖かく、老人の人達にとっての環境は沢内より何倍も良いと思うわけです。

 しかしそこに住んでみると、例えば夜中に発作を起こしてもすぐ釆てくれる医者はいない。高い金を出せばあるいは釆てくれるかもしれませんが、庶民にはなかなかそういうわけにはいかない。
 
 沢内は多少寒いし雪はあるけれど安心できるということで、そのおばあさんは今も沢内に住みついているということです。

 そう考えると、老人の自殺等も病気を苦にしての自殺が非常に多いわけで、やはり医者がすぐそばにいて来てくれることと結びついている感じがする。
 
 ですから、安心という面と若干暮らしていける所得的なものこそ、きっちり体制をつくっていくことが大切で、それが基盤にあれば、生きがいは一人一人の高齢者の人が自分でつくり上げていくものじゃないかと思いました。
 
 現在は何か逆で、こっちにあまり目を向けずにおせっかいやきみたいで、例えばニュースポーツとかを並べて、はいどうぞと言う。これが生きがい活動、生きがいであるかのように言われている。
 私は、そちらは老人の人達が主体的につくり上げていくもので、そうでない基本のところさえやってくれれば、あとはどんどん活動できるんじゃないか。私達自身が高齢者の問題を考えていく時、その辺の視点を持った方がいいんじゃないかと今思っているところです。だから、高齢化社会、高齢社会は恐くないと私は思っています。

4.地域福祉・在宅福祉サービスの方向

〈1)福祉・保健・医療・文化の連携
 それから、地域福祉が最近いろんな形で言われています。社会福祉の方向として、地域でいろんな取り組みをしていかねばならない。そして、例えばひとり暮しでも、寝たきりでも、どんな障害があっても、長年住み慣れた地域や家庭、在宅で暮らしていきたい。

 これは全ての思いなのです。この願いをかなえるにはどうすればいいか。私達は、どういう条件の人でも村の中で生きていくことを考えていく。その一応の考え方として、いろんな形で地域福祉ということが言われてますが、これが意外と在宅サービスだけじゃないかという印象を、私は非常に持っわけです。

 ひとり暮しの人達に食事サービスをどう展開するか、または寝たきりの人にヘルパーさんや入浴サービスをどう展開するかということが、地域福祉だと思いがちです。けれど、私達は決してそうじゃないと思うわけです。

 ひとり暮しや寝たきりの人の問題を、その人やその人の家族だけの責任にしている場合が非常に多いんじゃないか。

 例えば、私の地域のひとり暮しのおばあさんの問題は、その人だけの問題でなくその地域みんなの問題である。寝たきりの人達の問題でもやはりそうです。そういう個別の問題を、地域全体の問題にどう変えていくかが大事になって、組織活動、福祉のコミュニティ活動に結びついてくるわけです。

 車椅子でも自由に歩ける道路、建物、地域を考えていけば、やはり環境改善の取り組みをしていかねばならないことになると思います。そうすると地域福祉というのは、在宅福祉の具体的なサービスだけじゃなく、周りの環境改善とか地域全体のコミュニティ等も、ひっくるめて考えていくことが求められてくるのではないかと思っています。

 個別じゃなく地域全体にというとらえ方が大事になってくるわけです。 そこで、沢内村としてどういうサービスを作り上げたいか。私達の一応の考え方は、福祉保健医療の連携だけでなく、豊かに生きていくという文化を基本に置かなきゃならないということです。 寝たきりの人にヘルパーを派遣すれば、入浴サービスをすればいいという、身体的な介護面だけでなく、寝たきりの人でも人間らしく生きていく面をきっちり考えていく。
 
 今の場合、サービスを必要とする人に、サービスを直接結びつけていく面だけが考えられていて、一人一人が豊かに生きていく側面は欠けているんじゃないかと思うんです。例えば、車椅子の文化が無いと言われてますが、車椅子の人達が車椅子になった途端、今までの暮らしからまるっきり違った束縛された生活になっちゃうのは事実じゃないか。

 私達は、車椅子になっても普段の今まで暮らしていた時と同じものを、そういう条件をつくっていかなきゃならないと思います。その意味で、文化、自己実現の面を基本に置かなければということで、うちの福祉活動計画の考え方は、保健と福祉と医療を結びつける文化というものを考えていきたい。

 例えば、ゴールドプランの大きな目標に、デイサービスセンターを中学校区分で1つずつという国の方針がありますが、それは、いわゆる要項にある人達だけが利用すればいいということでなく、極端に言えば、地域の誰もが利用出来るデイサービスセンターでなければならないんじゃないか。

 私達が福祉作業所をつくる時、障害者だけの城をつくるんじゃないという思いがありました。同じように、デイサービスもごく限られた人達だけが利用するのではなく、地域のいろんな人達が利用出来る形にしていくことが、やはり大事じゃないかと思います。

(2) 協同して生きるための拠点
 ですから、文化の視点が当然必要になってくる。うちの方では、核になる高齢者福祉センターという施設を一応建てたい。まだ来年度で計画されているものです。
 
 デイサービスも核になるデイサービスセンターが必要ですが、それに従来からあるいろんな建物、地域の中に身近な高齢者が集まれる場所がいっぱいあっていいと思うんです。
 
 あけぴのつる細工をやる地区の話をしましたが、そこは高齢者創作館という建物で365日のうち、休みは年末年始の2日とお盆の真ん中ぐらいで、あとは360日集まってくる。それだけ高齢者の人達が気軽に集まれる場所をいっぱい地域の中に確保していくことが、1つのデイサービスセンターをつくるより、ある意味では大事になってくるんじゃないかと思います。

 そういうことで、拠点となるデイサービスセンターを当然建てなければならないのですが、いずれこういう考え方で、沢内の場合の地域の福祉を考えていきたいと思います。


5.デンマークの社会福祉


(1) 在宅生活を可能にする条件
 それから、7月にデンマークを見てきた時に感じたことです。寝たきりの人が全然いないと聞いて行って来ました。私が行った自治体が、9月下句にデンマークの介護責任者とホームヘルパーを呼んで、岩手県の4箇所でセミナーをやりました。その時、訪問看護婦がある市の寝たきり老人の所に、その市の訪問看護婦と同行訪問しました。

 日本の場合、寝たきり老人は別に珍しいわけではないのですが、彼女は非常にショックを受け、寝たきりにしているのはなぜですか、ヘルパーに原因があるんですかとその訪問看護婦に聞いたそうです。事実、デンマークに行くと寝たきりの人がいない。

 必要な条件として次の4点から寝たきりは防げる、無くなるんじゃないかと思ったわけです。 1つはヘルパーを充足していく。私が行ったのは人口6,000人の自治体で、そこに4日間お世話になりました。ちょうど沢内村と同じような条件ですが、そこにヘルパーさんが50名いる。

 日本だと2,000人に1人ですので人口6,000人だと平均3名いればいいということですが、そこに50名なので、桁違いですね。
 
 ですから、寝かせておくから寝たきりなわけで、起こせば寝たきりにならない。その意味で、起こす手がいっぱいあることがまず必要だと感じました。

 いずれは24時間体制にということなので、うちの社会福祉協議会でもヘルパーの仕事もやっているわけです。また、沢内のヘルパーの人達といろんな話をしますが、私達の活動は朝8時半に出勤、9時過ぎに出掛けて午前一ケ所、午後−ケ所ぐらいのヘルパーの訪問パターンになっているわけです。 ところが、ひとり暮しのおじいさんなど、その時間帯はあまり必要がない場合がある。
 
 例えば、朝ご飯をつくる時や夕食をつくるのを手伝って欲しいという場合が、結構多いんじゃないかと思うんです。すると、その人に合った訪問をっくりあげて、なおかつ数多くやっていくことが大事になってくる。
 
 そういう意味でのヘルパーの充足が、大きな課題だと思います。 次に、補助器具の活用。沢内も寝たきりの人をお風呂にいれたりトイレとかいろんなことは、介護する人の力で行なっている。だから、介護する人の力がなくなれば、もう寝たきりにしちゃうことになるんじゃないかと思います。
 
 私の親父も今76才で車椅子の生活ですが、私も家内も外に出て働いていますから、うちのおばあちゃんがどうにかやっている。あの状態をみると、おばあちゃんの力がなくなればもう寝かせっきりになっちゃうんじゃないかなと思います。

 ですから、人の手に頼って、介護を全部家族に任せているのが私達の福祉の実態なんじゃないかと思っています。

 そういう中で、移動する時の技術や入浴する時の補助器具をきっちりした体制にしていくことが必要になる。

 それから、住宅改造ということを福祉の面でも考えていかねはならない。要するに、寝ていた人を起こして車椅子に乗せるまではいいのですが、その車椅子で家の中を歩けるか、トイレにすぐ行けるか、あるいは家から外に出ていけるか、そういうことになっているかと言えば決してそうではない。

 福祉の面から住宅問題・環境問題がこれからの大きな課題になってくると感じました。大きく言ってこれが出来ていれば、寝たきりをかなり減らすことが出来るんじゃないかと思うんです。

 デンマークで69歳の半身不随の人を訪ねました。半身不随ですので自分で自分のことが出来ないわけです。7時にヘルパーさんが起こして朝食のお手伝いをする。昼と夜は給食サービス、夜は9時ごろ行って寝かすという形で、あとは半身不随の人が自分で調理をしたい時はそれなりの台所があって、そういう形が出来ている。
 
 私達がこれからひとり暮しの人、寝たきりの人を家族だけで介護していくのではないと考えていく場合、この辺りがかなり参考になるかなと思いました。それから、介護をきっちり労働として見ていることがすごい。  

 私達は、どっちかと言えば、介護は家庭の責任、極端に言えば女ということがあるんじゃないか。ヘルパーさんの地位がなかなか高まっていかないのは、労働にちゃんと位置づけていないからじゃないか。

 家事や育児はただであるという認識があり、それをやっているのであまり地位が高まらないということじゃないかと思います。

 ですから、本当に介護するには専門的知識が必要で重労働だと、みんなで認識していくことが大切だという感じがしました。


(2〉 日本との違い
 その意味では、デンマークはホームヘルパーという言葉を昨年から使わず、ソーシャルヘルスヘルパーと言います。

 日本との違いとして社会福祉サービスから社会サービスへの転換で、やはり社会でという考え方が強い。
 福祉というと何となく狭くとらえがちですが、これをもう少し広めて考えていく。やはり、これは意識的にも変わってきたと思います。私達もきっちりとらえる必要がある。

 ただ、こういう社会福祉サービスの質・量は本当に素晴らしい。それを公的にやっていくことについては私達も見習っていかねばと思いますが、しかし、逆に日本の素晴らしさというのも感じました。

 それは、お互いが地域の中で支え合うことがやはり素晴らしいんじゃないか。どっちかと言えば、ボランティアという考え方が余り有りませんし、地域で支え合う考え方が非常に少ないように思いました。

 その意味では、古い言い方で日本型の福祉、と言えばちょっと変ですが、私達の持っている地域力、福祉力というものは、本当に伸ばしていかねばならない。そのネットワークづくりは、どこにも負けない日本の持っているものじゃないかと感じたわけです。

 あれこれ話して時間を10分程オーバーしてしまいましたが、後で討論があるそうですので、敢えてまとめずに時間まで話をしまして、あといろいろご質問や討論をさせて頂ければと思います。ひとまず、これで終わらせて頂きたいと思います。どうも、有難うございました。

    *****質疑応答*****

【A】金大薬学部生のAです。島根で沢内村 病院長の先生から話を伺ったのですが、福祉と医療は今どうつながっているのでしょうか。

【司会】福祉と医療という質問ですが、関連 質問はございますか。最初この問題の質疑
 応答と話し合いをしたいのですが。

【B】金沢リハビリテーション病院の看護婦のBです。今年の春に診療報酬が変わって病院の経営が非常に困難な時期にあり、全国の自治体病院がかなり一般病院から老人病院に累計されるという話も聞きますが、沢内村の実際の入院患者さんの統計や在院は、いかがですか。

【高橋】視点としてまず、この前の『プライムテン』の沢内の赤字問題論議で、越冬入院という言葉が出たわけです。要は、高齢者の人が、今は入院ほどじゃないが冬ごもりのために入院するという、マスコミがつけた言葉です。

 沢内でつけたものではない。病院の考え方は、今は大丈夫に見えるが、一冬越すことでこの人が寝たきりになるかもしれない。もし寝たきりになると本人も家族も大変だから、その前の段階で入院してもらった方がいいのではないかという判断です。
 
 これは福祉的活動と解釈してもらってもいいと思うんです。沢内病院で予防やその前の段階でいろいろ心を砕くのは、ある意味では福祉活動も進めてきている側面があり、保健医療を地域に密着した形で進めていく中で福祉活動も成されているという視点、それが保健と福祉の連携としてあります。

 具体的には、寝たきりやひとり暮しの人達への入浴や食事などのいろいろなサービス提供を担っている保健婦、ホームへルパ−、病院看護婦、デイサービスセンター職員等が月一回集まり、ケース検討を加えながらどういうサービスを連続して提供していけばいいか話し合う場をつくっています。
 
 その意味では、沢内みたいに非常に人口が少ないと結構やりやすいかなと思います。また、医者自体が地域に目を向けた医療活動をしていることが、福祉活動をやりやすくしている。

 健康管理課というセクションは、予防や検診が治療部門と同一の形でやれるので、福祉と結びつきやすいと言えるんじゃないでしょうか。 それから、診療報酬、特に村の赤字問題入院患者をいっぱいにし、検査して薬をいっぱい出せば、極端に言えば赤字は黒字になる。

 ですが、沢内村の歩みは、病気にかからないようずっとやってきた。検診の活動も健康教育も含めてやってきて赤字になるのは、ある意味で健康の証しで、結果的に病院が赤字になったという解釈も出来る。
 
 もっと言えば、病院の黒字は、村民一人一人のふところから病院にお金をいれることだから、病院自体が多少赤字になっても村民のふところは痛まないようにする。

 それが沢内の選択、それが今の村の姿なんじゃないかと思います。多少の赤字が出ても役場の一般会計から補填を、という考え方です。

 赤字の原因である診療報酬の改訂はかなり大きな要素があり、今までの診療報酬体系からも沢内で行っている活動は余り金にならない。

 その辺が病院の赤字と結びついている。自治体病院全体の70数%が赤字という実態にも、このことが大きく影響しているのではないかと思っています。

【司会】かなりシビアな医療問題が出てきました。先程のドクター自体が地域予防の観点で医療を展開するなど、私達は保健所で保健活動をやっているので非常にもどかしい。来ておられる方で今の地域医療の話にドクターの立場から、C先生。今の地域医療との連携に御意見ありましたら。医療機関と福祉の連携でドクター自体が地域に目を向けて医療活動をやっているお話もありました。

 実際、地域の保健活動をやればやるほど、収入がおぼつかないジレンマの中でお仕事されているのですが、その辺で困っておられること、保健に対する御希望、御意見を。

【C】私自身の家内の母親が身体障害者2級なんですが、ずいぶんひどくなり歩くのも大変で、食べさせたり、寝かしたり起こしたり全部人手が要って実に困っています。こういうことが日本でずいぶん行なわれていると思うと、もう少しいい方法がないかと感じています。

【司会】例えば、沢内ではこういう身障で手間のかかると言うか、すいません、お世話のかかる方に対してどういった形で?先程は定例的に保健と医療の関係者が集まって連携をつくっているお話がありましたが。

【高橋】1つはデイサービスセンターの利用。やはり障害を持つ人達を家から出す努力が大事で、沢内で一番周るのは冬に雪が多く降って一晩に60センチ程積もると、車椅子で外に出れない。
 すると、移動入浴車も道路からかなり離れた家は入れず、ホースは届かない。入浴サービスを受けられない人達は、簡易浴槽で入れる工夫もしています。

 ネックもありますが、やはり外に出すことが大事ではないでしょうか。また、脳卒中でかなりハンディを持つ高齢者もいて、脳卒中後遺症の人達の歩みの会という自分達の自助的組繊で、お互いの情報交換やリハビリも含めたことを定期的に行なう。本当に寝たきりになれば医師の定期的往診等、いろいろな形で重度の障害を持つ人達にも対応していく状態があります。

【司会】老人の医療・福祉の連掛こ施策から頑張っている、Dさん。介護支援をどういう形でやっておられるか、御紹介頂けないでしょうか。

【D】松任市、保健婦のDです。寝たきりや障害の方を地域でどう支えていくか勉強してやってきました。介護支援ですが、確かに日本は家族が介護するのが当たり前で、役所はそのお手伝いを恩着せがましくやる。
 
 ヘルパーさんも家族がもっとやらなきゃ私達はみてあげてても生きがいがないと。徹底して労働を提供し、お給料をもらって割り切って、という発想に私達が変わっていくべきではないか。
 
 介護する側に少しでも協力し、その支援に関わらないと、とてもやっていけない。いつまでも家族のお手伝いではないという考え方の学習を続けています。

 また、使えば楽になる便利な器具。昔は床ずれは2時間おきぐらいに、夜中もタイマーをかけて奥さんが一生懸命お姑さんのために体位交換をする。床ずれをつくらないのが素晴らしい介護、お嫁さん。それよりエアマットという素晴らしいものがあり、床ずれがいっペんで治ってしまいます。床ずれにいい薬があって、先生方の協力でそれに変えて頂きゃ治るんです。

 床ずれならこの薬と全然診ずに出す。ずいぶんいろんな所で本当に寝ている側を考えれば、変わっていくことがどんどんある。どうしようもないのは、あとはマンパワーです。そして、今言われた6,000人に50人のヘルパーさんがいらっしゃっれば本当に変わってきます。

 それをどう作り、今のゴールドプランにどう住民の意見としてもりこんでいくかを目指してやっていますが、なかなかしんどいです。ついでに質問させて頂きます。福祉課でなく社会福祉協議会(以下、社協)にお勤めなんですね。村に福祉担当の課は特別にないのですか。

【高橋】あります。
【D】社協は村の職員でなく民間ですよね。沢内でさえ民間の社協が必要なのですか。なぜかと言うと、例えば松任市は社協へ業務をみんな委託してしまうんです。

 福祉課があまり動かないので、ついつい委託して社協に福祉の仕事、責任を下へおろしていく発想がある。高橋さんのお仕事や考え方は、地域に広げていく、まさに村づくりが社協の活動だと。
 
 それはそうですが、ほとんどの社協はそうじゃなく、下へおろす機関として使っている気がします。社協のあり方はどうお考えですか。

【高橋】自身を試される感じで少し答えにくい面もあります。介護問題が家族任せである点には本当に私も同感で、介護は家の人がやるもんで、やれなくなったらヘルパーさんという意識だけは早く払拭したい。

 家族にはもう現実的に頼れません。沢内はひとり暮しも2人暮らしの高齢者世帯も増え、片方が倒れれば高齢者が高齢者を介護しなければならない実態がだんだん増えてくる。公的な面で支える体制づくりが必要だと思います。
 
 来年までに保健福祉計画を各市町村がつくることになっています。平成11年までにこういうビジョン、福祉にしたいと、3,300市町村がどこもみな計画づくりに着手し、実態調査をしている段階です。ただ非常に残念なのは、ある市町村はそれを業者に任せちゃう。ただ単にヘルパーやデイサービスセンターの数あわせだけとも感じられる。

 業者の側からだけの発想じゃなく、やはり地域の人達がどういう思いで暮らし、どういうニーズがあるかを、地域側からどんどん出して、地域の意見を福祉計画に反映させていく努力が必要だと思っています。

 私達の場合、ヘルパーさんの役割として毎日家庭訪問している人達の代弁者にならなきゃと言っています。ただ行ってサービスするだけじゃなく、どういう状態でヘルパーはもっと必要か、必要をヘルパーの側からもっと言ってほしいと思っています。

 すべからく、そういう地域のいろんな福祉ニーズや要求を住民の立場でまとめていくことが今一番大事で、その役割が社協じゃないかと思います。

 レベルとして、やはり住民と同じレベルで考えてアクションを起こしながら、一人一人の願いを行政に結びつけていく役割が、社協に要るのだなと思っています。
 資料の社協の活動の歩みを読んで頂くと、私達の考え方の一端がお解り頂けるのではと思います。
 
 地域福祉活動は在宅サービス活動で、そのサービスは行政でなかなかやりたくないので、社協に下請けに出す。ただ、考えようによっては下請けも住民の立場に立つ意味で納得出来る。

 しかし、きたものをただやるのは能がない感じです。社協の私の経験では、行政の施策に最初からのせられないものがある。

 沢内村では障害幼児の事業、療育事業を進める場合でした。うちとしての障害者問題のネックは2つ。

 1つは精神障害者、精神病院を退院した人達のフォローが非常に弱い。強制入院で保健所が関わるぐらいで、あまり行政の関わりがない。

 いろんな課題を持って地域で生活しているのに、病気自体は治って退院してもケア体制がよくないのでまた入院する。

 入退院の繰り返しが非常に多く、弘達の地区の課題でした。もう1つは、三歳児検診や一歳半検診でピックアップされた人の小学校入学までの間のフォローが全然無い。

 やはり小さいうちに対応することが大事なので、学校前の障害児の療育事業をやらなきゃならない。と言っても、すぐには行政として出来づらいという場合に、弘達が自主財源を見つけて曲がりなりにもやる。
 行政の中でも必要だと思っている人達を巻き込み、1つの実践をつくっていく。そして、必要だという一定の方向が出てくると、行政はやりやすくなるわけです。

 いろんな課題を引き出し、具体的な事業を結びつけて行政に橋渡しする役割が社協として非常に大きいのではないか。いわゆる地域に在る課超を具体化し、先駆的な仕事をやる役割があるのではと思います。 

 行政と社協の立場は違いますから、馴れ合いでなく適度な緊張関係を持って進めていくことが、地域の福祉を高めていくためにいい。
 
 ある時は地域のいろんな力を結集して行政に圧力をかけたり、ある時は下請けみたいな形で行政の機嫌をとったりして、全てのコントロールをしながら地域全体を良くしていくテクニックが必要じゃないかと思っています。

【E】保険医協会のEです。沢内村は子供やお年寄りがばたばた亡くなった不幸を取り返そうとしてこういう風になった。これは深沢村長さんの発想で取り組まれ、住んでおられる方が同調されたからですか。社協の歴史を見てもらえば解るとおっしゃいました。祉協はおそらく全国にあるのに、全部良くなるかというと違う。

 こういう風に沢内が良くなってきたのはなぜかが僕が一番知りたいことです。それは、これから金沢や地域を良くしていくために何かとりかかれるものはないかと思うからです。何がキーポイントだと思われるか、伺えれば幸いです。

【司会】なぜ沢内村だけが、という思いがおありになるわけですね。

【高横】これは、村の人達がそう思っているというのでなく、私の考え方ですので誤解のないようにと思います。

 私は深沢康雄1人ではないと思います。1人ならその人が亡くなれば消えていく。また、昭和32年が村長就任ですが、では以前の人達は何もやらないで、その時点から夜明けかというと、これもうそだと思います。

 ただし、この人が出現したことで潜在的な村の課題が異体化し、みんなが本当に目を向けていった。そしてなお大きなことは、彼の哲学、行政に対する取り組み、人間性が今でも生きているという事実だと思います。

 その意味から彼でなければ、あるいは今が無かったと言ってもいい。しかし、1人の人だけでということではない。例えば、支えた役場のスタッフや婦人会の人達、地区の公民館の人達みんなが、沢内村人らしく生きていくためにどうすればいいかを本当に自分達で真剣に論議し、行政、地域の人達は何をすべきかを徹底して論議していった結果ではないかと思います。

 ですから、地域のいろんな課題を上からおろすやり方でなく、やはりみんなで話し合って、行政もそこに嫌がらずに入ってみんなで作り上げていくことが大事になってくる。地域福祉・在宅福祉サービスの方向で、行政と住民が協働してつくる村づくり、住民の主体的参加による自治の確立が、私達が今も考えていかねばならないことじゃないかと思っています。

【F】金沢大学のFです。今の話ですが、沢内村に何度か伺って、特に今夏にコーリム大学という、村内だけでなく村外からも子供から高齢者までが集まってみんなで沢内を知ろう、沢内の成果をみんなで勉強しようという大学が開かれました。
 
 そこは、夜が本当の勉強の場で、皆さんとお酒飲んで地元の美味しいものを食べていろいろお話を伺い、非常に痛感したんです。実に沢内にはいろんな面で人物が多い。
 
 例えば、農業について実によく考えて研究を積み重ねている方、あるいは自然保護、あるいは渡りの生活に近い生活をされている方もいます。
 
 そもそもそういう人物が各所にいて、その人達が協力して作り上げていると痛感しました。だから、村長あるいは病院や医師主導で作り上げたのではない。

 薬草を研究している若い方に、なぜ沢内は人物が多く、特に若くてあなたのようにいろんなことを考えている人がたくさんいるのかと聞くと、やはり命の村政、命を大事にする村政を続けてきたから人が生まれていると言う。

 だから、ある意味で人材の再生産を命の行政が作り出すことになっている。その辺りが一つの鍵かな。行政、医師プラスやはり住民で、一体となって作り上げているという感想を持ちました。

【司会】そろそろ時間ですが、にわか雇われ司会者ですので特にまとめません。
 寝たきりになったらどうするか、こうなったらどう助けてもらえるかと、絆創膏を貼るような勉強、論議をするのでなく、絆創膏をはらなくてもいい生活をしていくための福祉の在り方、福祉って一体何なんだろうという自分自身の哲学を、しっかりもう一度勉強しておく必要を感じました。

 その勉強が出来る条件づくりが現在の役割ではないか。勉強の過程で発言していく力もついてくる。福祉って何なんだろうと考え直すいい機会だったのではないかと思います。有難うございました。
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