特集/在宅医療・福祉を考える

人の手を借りて、人と交わる

城北病院看護婦 白 崎 正 子
今82才の義母と暮らしています。福井で大空襲を受け、九死に一生をえてきた人です。「命は惜しくないが人の手を煩わせず死にたい」といってます。人の手は「女性の介護」であり「嫁の介護」のことでしょうね。
 この義母より25才も年上の祖母も同じ言葉を聞かせながら、私の母である「嫁の介護」により、在宅で一生を終えました。現在、在宅療養の方も介護者も同じ「おもい」を持っているようです。
 私は、ねたきりの高齢者を看護婦として訪問しています。不思議におもえますね。どうして他人の手を借りる生活を考えていらっしゃらなかったんでしょう―と。自分ひとりで死を迎えることが出来ないだろうに―、また、家制度の歴史が長く続き同じ屋根の下で高齢者と共に暮らして来て、「共に助け合って生きることに上達している」―はずであるのにの疑問です。
 これはやはり、「孫の代まで親を看ろ」「長男の嫁が親を看取るのは当然」「老人ホームに入所するのはお家の恥になる」―などなど封建的な生活の中で雁字搦めになっていた結果、より豊かで明るい高齢者との交わりが育たなかったのでしょうね。
 訪問看護の仕事を通しても、人生の意義はおおかた人との交わりにあると思っています。人との出会いの素晴らしさ、会うまでのドキドキする心と感動は、生き抜く力になっています。しかし高齢者、とりわけねたきりの方の現実は、自然のことのように人の流れが絶えているんですね。
  「人の手を煩わせたくない」と努めて願わなくとも少なくなっています。絶えている人もいます。ですから、在宅ケアはなかなか困難です。「人の手を借りる」―これまで考えてなかった事ですから当然。突然に病に倒れ、イザ入院、在宅ケアとなります。スタートからギクシャク始めます。
 70才の男性は脳梗塞。入院、退院の後、妻の介護を受けています。老夫婦ぐらしですが、妻にも協力しません。私も彼に合った対応が見いだせず、リハビリの協力がえられません。「プロなのに」と責められそうですが、現実です。でも、妻や私以外に彼が受け入れる人がいるはずですが、今の制度では無理ですね。
 在宅医療を続けるには条件はいろいろありますが、そのスタートは「介護を受ける者」「介護する者」にかかわる人間関係でしょうね。在宅ケアを上手にすすめたい場合に、「人の手を煩わせたくない」の深い想いはハンデーになりますね。
 在宅療養には多くの人々のプロの手が必要です。民生委員、ホームヘルパー、看護婦、保健婦、医師、地域の人々です。訪問看護は人との交わりにウエートがかかります。
 私も老年を迎えます。「老人している」―者が居るのではないですよね。私は人間の手を借りて、生命の最後まで多くの人と交わって暮らしたい。それは「大家族」でも「肉親」でもありません。ひとりひとり生命が全うできる新しい老年期の人間関係を創りだし始めたい―と願っています。
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