各団体および各年代からの発言
 各団体からの発言

◇全日本年金者組合石川県本部 中島省三
 「国際高齢者年」は昨年(1998年)10月1日の世界高齢者の日から始まっているのですから、もう9か月が経過しました。
 ときどき新開や雑誌で国際高齢者年について書かれた記事を見ます。ずっと前、週刊誌に総理府の広報を見たことがあります。しかし石川県にいると、国際高齢者年のことはいっこうに聞こえてきません。いったい、県や市町村は国際高齢者年にどのくらい関心をもっているのでしょうか。1991年に国連で採択された「高齢者のための国連原則‥…・人生を刻む年月に活力を加えるために」には、独立、参加、介護、自己実現、尊厳の5項目がうたわれています。自立では「働く機会、所得をもたらす機会をうること」。参加では「高齢者の福祉に影響をもたらす政策の立案・実施に積極的に参加すること」。介護では「自分が受ける介護と生活のあり方を高齢者自身が決める権利を十分に尊重すること」。特に最後の尊厳では「@高齢者は搾取と肉体的・精神的圧迫から自由であること。A年齢、性別、人種・民族、傷害の有無、その他さまざまな違いにかかわらず公平に扱われること」など、読んでみて目をみはる部分がたくさんあります。
 しかし、これらの内容について国連が各国政府にうながしているのは、高齢者がどのような状態になっても、その尊厳と人権が守られるように「政府が制度や施設、機会を整備する努力をしなさい」ということです。その点で日本の政治は、国も地方自治体も、この国連原則を誠実にすすめるという姿勢があるとは思えません。国際高齢者年はこれから10年続くわけですから、国連原則にうたわれた内容を具体化し、国や地方自治体に働きかけ、私たち高齢者の要求を実施させる活動をすすめていきたいと思います。
 高齢者の尊厳と人権が守られるということは、すべての国民の尊厳と人権が守られることだと思っています。

◇石川県社会保障推進協議会 亀山忠典
 高齢者が社会発展の主役として評価される社会の実現をめざす「国際高齢者年・日本NGO会議」が、7月10日に東京で開かれたこと、特に「介護保険」が中心議題であったことを知り、心強く思いました。再発足以来3年の経過のなかで、医療保険制度のあいつぐ改悪に対する闘いを石川県民とともに繰り広げて来ましたが、いまや運動の中心は来年4月から実施される「介護保険制度」の実施に対する活動にむけられています。
 私たちは、高齢者の人権と尊厳が国連5原則に則って、安心できる介護、ふさわしいサービスが、十分な数と内容(マン・パワーをふくむ)の施設で、国・自治体の最大限の負担によって実施されるよう努力したいと思います。そのために、広範な県民一人一人の草の根の思いと行動を国・市町村当局へぶつける運動を展開しています。
 また一方で、失業者が増大するなかで高齢者に対するリストラ攻撃、年金改悪など、高齢者は今「健康に生きる」あるいは「誇り高く、しあわせに生きる」とはどういうことなのか、国の政策にかぎりなく大きな疑問を抱かざるをえません。私の知る範囲ではデンマークやスウェーデンなどでは、高齢者福祉には「高齢者が身体の自由が衰えても、誇り高く生きる権利を保障する」という社会理念が確立されていると思われます。
 国際高齢者年にあり、私たちは国連で規定された高齢者の5原則(独立・参加・ケア・自己実現・尊厳)の理念をよく理解し、高齢者に向けられている現下の緊急の諸課遭に村し国際的連帯のもとにカを結集しようではありませんか。

◇高齢者の人権を守る市民の会 伊東晴美
 一老いを受容できる社会に
 先日目にした文章だが、ターミナルケアにおける受容とあきらめについて、次のように対比して書かれてあった。
 「受容」とは患者が自分の生命の終焉を静かに見守っている、そして、死を受け入れようとする積極性が見られる状態だという。そんな患者の態度は、看取っている者にも温かさを感じさせるし、その死後もまた、「これでよかったのだ」というさわやかさに似た心の.「澄み」を感じさせてくれるというのだ。一方、患者があきらめてしまっている場合には、単純な言い方をすれば反対の感情を看取る者に与えるわけで、その死後は、「これでよかったのだろうか」というような心の濁りを、看取った者に残すという。
 受容とあきらめは混同されがちであるが、実際にはこれだけの違いがみられるわけで、その文章ではこれを「患者と周囲の者との人間的連続性」があるか否かというような表現をしていたと思う。これはいわゆる終末医療の話ではあるが、読みながらわたくしは自分の子どもの頃の高齢者を思い由していた。
 ほぼ40年前、昭和30年前半は、その後半に日本社会が急速な高度経済成長をきっかけとして変化し始めるその直前だと思うのだが、わたくしの周りにいた高齢者は今よりはずっと存在感があったように思う。がんこ爺さんもいじわる婆さんも「凛」(りん)としていた。高齢者自身が、老いていることを誇りにしていたような気がする。その背景には老いたことを、老いてゆくことを受容できる社会があったのではないだろうか。
 翻って現代の高齢者観は、ややもすれば、「憐」(れん)である。高齢者自身も、老いることを積極的に受容するのではなく、老いることによって生じる様々なことを仕方ないとあきらめてしまっている。更に、年齢層にかかわらず、誰もが老いることは受容したくないというような社会が、今の日本ではないだろうか。日本社会は、企業中心に突っ走り出してから、国民総生産に直接寄与しない子どもや障害を持つ人も含めて、高齢者の人権を後まわしにしてきた。その事を反省し、希望の持てる高齢者観に転換するべく、またとないきっかけとなるのが「国際高齢者年」だとわたくしは受けとめている。すべての年齢のための社会をめざすには、すべての年齢の誰もが老いることを受容できる社会にならなければと思う。
 わたくし達の「高齢者の人権を守る市民の会」は、「国際高齢者年」と同じ1999年の4月に発足したが、発足会からわずか2カ月目にして開いた「旭ケ岡の家」のフイリップ・グロードさんの講演には、幸い百数十名の参加者を得た。「老年期は人生の最高のバカンス」という演題に当初とまどっていた人たちからも心からの共感が寄せられ、わたくし達もまた大きな勇気をもらったのだった。
◇北陸婦人問題研究所
北婦研としてのとりくみ
梶井幸代
 かつて、1975年上いう年は「国際婦人年」であった。この国連の提唱と、私たち一般の女性は「どこか遠くで鐘が鳴っている」ぐらいの意識で受けとめていた。それから10年続いた「国際婦人の10年」の最終年である1985年になって、漸く日本の政府も「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」を批准した。これは、この法が国連で採択されてから6年後のことで、関連する国内法として「男女雇用機会均等法」の制定がおくれたため批准できなかったのである。「機会均等法」といっても、当時のは罰則を伴なわない、平等は条文のおもてだけのものであったが、それでもさすがに国連の鐘は有難かったのである。国際婦人年以来、世界女性会議は4回開催されている。第1回メキシコ会議、第2回コペンハーゲン会議、第3回ナイロビ会議、第4回北京会議、この間に女性の意識は変革を重ねて来た。そこへこの度鳴りひびいた鐘の音は「国際高齢者年」を告げるものであった。老いは女にも男にも同様に訪れる。 本年6月5日、あの「おとしよりに太陽を」の著者フイリップ・グロード神父様を、函館からお迎えし「国際高齢者年と日本の福祉」について御講演をいただき、「すべての人々が自己決定できる社会を」というシンポを聞かせていただき、国際的知性に照らし出された日本の高齢者村策について考えさせられた。今、私達の面前に迫っているのは介護保険の現実である。自治体の役所で介護保険の認定がされる。「すべての人々が自己決定できる社会」が実現するのであろうか。
 考えてみれば、日本という国は、おかふ万能で、役所任せ、確力と財力にたよって来た社会である。日描を作るにしても、おかみに肩入れのある、財閥の支援を受けるものが幅をきかせてきた。どこからも援助をうけない、名刺も屑書きももたない女性の団体など存在価値は認められなかった。
 先に述べた世界女性会議のときも、集まってくる政府代表は男性の高官で、日本のように役職に女性のポストの少ない固では、ひとりも女性の代表がいない場合もある。女性たちは切歯抱腕、NGOの民間組織を作って、本会議の外でワークショップを開きはじめたのである。それが定着して民間の女性団体、個人も応募によって参加するようになったのである。ここで女性たちはジェンデー革命を経て、エンパワーメント体験によってネットワークを作り、男女共同参画社会を構築しはじめている。
 老人パワーはこれからである。荒野を拓くことを覚えた女性は、老人勢力の半分を占めている。いや半分を越している。老人は女性と同様、権力や肩書と無縁になる。そういう市民のネットワークが作る団体が、これからの福祉社会の創造者にならねばならない。スウェーデンの福祉社会は、オンプズマンのいる市民社会が作りあげたものであろう。
 井上英夫先生の御提唱の「国際高齢者年・石川・NGO」の一隅で、わたくしたち北婦研もお役に立ちたいと、ささやかな志を燃やしています。

 ◇金沢市民生委員児童委員協議会
                 神保外巳雄
 1999年を国際高齢者年とすることを国連で決議されたということは、恥ずかしながら知らなかった。不明を恥じねばならぬと共に、国際婦人年や国際障害者年の様に国自体もPRが不足であり、政府自体も積極的でなったのではなかろうか。感想文の寄稿を依頼されてはじめて自治体に問い合せた所、総務庁のリーフレツトのある事を知り得た程度である。
 そもそもこうした1999年を、国際高齢者年とした考え方の基本は何なのか。私なりに考えますに、定年退職者は元会社員であり、もう「用なし」であり、その他の職域の退職高齢者も社会の厄介者扱いの考え方が心の底流にあるが故に、事更高齢者年を決めてまで、その意識の払拭を計っているのではなかろうか。そして社会参加活動、世代間交流をうたっているのだろうか。私にすれば現時点では、子供、青年、壮年、老人との区別があるが、これは時の経過と共に順次老境に入り、最後は高齢者になるのであって、何人もさけられない事である。高齢者は若い時は社会を支え働き、後継者も育成し、国のために長年奉仕してきたという誇りや自負をもっており、決して社会的弱者とは思っていない。1999年のみにあらたまって高齢者のための国連原則、自立、参加、ケア、自己実現、尊厳のテーマがあるのではなく、毎年時を選ばすこの考え
方が基本であるべきことはいうまでもないことである。1992年に採択されて広く世界に人類共通の課題として発信された事は大いに意義があろう。しかし、1999年1年のみで終っては何にもならない。又こうした問題も国際的にみれば若干の温度差があるように思えてならない。
 日本は戦後の高度な、急速な復興をとげ、経済大国になり、大きな富を得た反面、大変なものを失ったのではなかろうか。世の中の悪い風潮の考え方の使いすて観が人間の世界にまで及ぶような思想は由々しき事であり、人間教育の根幹を間違えてはならぬ。民生委員として地域で活動している時に考えさせられる例にあうこともある。高齢者を社会の功労者と考えるほどの道徳性を国民の中に育てる教育こそ必要であろう。高齢者をただの思いやりだけでなく、感謝を込めたまなざしで見る事が最も大事なことである。こうした考え方の教育があれば、若者が次に高齢者になった時には必ず次の世代からも敬う心で接してもらえるであろうし、そうした輪廻の考え方が「ひとの道」であろうと私は考える。単に1999年のみの高齢者年であってはならず、
継続してこそ価値がある。

◇石川県老人クラブ連合会  末岡 尚
 全世界で人口の高齢化が進んでいることから、1999年が国際高齢者年と定められました。これは、高齢者のための国連原則を促進し、政策及び活動を具体化することを目的としております。全国老人クラブ連合会では、いち早くこの国際行動計画を組織内に広報され、その後の取り組みについて論議を重ねてきたところです。
 私たち老人クラブは「健康を進める運動」「友愛活動(平成4年から在宅福祉を支える友愛活動に発展」、また9月20日を全国統一社会奉仕の日とする「奉仕」の全国三大運動を主体的活動としております。
 全老連では、平成2年に国のゴールドプラン(高齢者保健福祉10カ年戦略)の実施と同時に「老人クラブねたきりゼロ運動」を展開し、また、21世紀に向けての「新たな老人クラブづくり」を策定、市民総参加の福祉社会づくりに取り組み、内にひらかれ、外にひらかれ、21世紀にひらかれた老人クラブを目指しております。その具体的目標として、平成6年に三大運動を柱にした発展計画「老人クラブ21世紀プラン」を策定し、翌7年から12年(20榊年)に向け実践に取り組んでおります。
 常に、会員の話し合いによる地域の実情に即した無理のない活動を踏まえ、シニアスポーツ、趣味・文化・学習などの「生活を豊かにする楽しい活動」また、友愛活動、伝承・世代交流、生産活動や社会生活への提案など、「地域を豊かにする社会活動」などを展開しており、一貫して、地域を基盤とする高齢者の自主組織として福祉活動の一翼を担うものであり、高齢者のための国連原則を具体的に進めてきたものともいえます。
 また、私たちの行動計画でもある「老人クラブ21世紀プラン」を推進するとともに、介護保険や老人医療制度等高齢者施策の充実強化への取り組みも重要と考えております。
 加えて、「世界の飢えと貧困に苦しむ多くの難民や海外に移住した同胞が高齢期を迎え生活不安に陥っているこれらの人々に日本の高齢者の温かな友愛の心を伝える」ため国際友愛拠金運動を全国老人クラブ会員に呼びかけ展開し、本県老連としても各市町村老連の協力を得て多額の友愛拠金をしてきたところです。
 私たち老人クラブは、記念大会ヤシンポジューム、記念事業などを有意義なものとし、国際高齢者年を単なる記念年・催事年・敬老年と考えるのではなく、「すべての世代のための社会をめぎして」高齢者自身の行動年とし、これを契機に国際高齢者年の本当の意義をすべての世代の人々とともに考え、行動していくことが必要と考えております。
それぞれの年代からの発言
◎谷 智絵美(10代)
 改めて国際高齢者年という年を考えたとき、私は「将来何ができるのか」ではなく、「今の私に何ができるのか」ということを問い直してみた。
 高齢者福祉に村する自分の知識はまだまだ未熟であり、学ぶべきことが多々ある中で私にできることは、同じ世代の人々に高齢者福祉の現状を伝えることだと思う。私が伝えることで、同じ世代の人々にも高齢者福祉を身近に考えてもらいたい。それはとても難しいだろうが、成果は大きいと思う。なぜなら、高齢社会を様々な世代の多くの人が考えることで、福祉は更に向上することができるからだ。
 「国際高齢者年」は、今まで高齢者福祉の活動に携わってこられた方々の一つの成果だと思う。そして、今年を高齢者福祉の向上のための新たな一歩として、社会の構成員である私たち一人ひとりが高齢社会を考えていくことが、高齢者年の一つの目的だと思う。

◎久保石 雄貴(20代)
 高齢化問題を考えるとき、自ずと高齢者に村比される人間、すなわち高齢者でない人間が意識させられます。そして、高齢者というのはあたかも国民という概念から切り取られた存在のようなイメージがあります。もちろん、よく勉強されている方は違うとは思いますが、一般的にはまだ高齢者と国民の概念が一つに重なっていないと思います。高齢者はあたかも権利の主体としては一段劣るようなイメージがあるというのが現状でしょう。
 実際、高齢者の施設を見てみれば、老後はぜひここに住みたいと思うような所はほとんどない。個室もなければ自由な行動もできないようになっているからです。しかし、不思議とこれまで、これはけしからん、という声は小さかった。それは一般的に高齢者というものが保護されるべき弱い存在としか認識されてこなかったからでしょう。
 高齢者に対する保障の甘さを底支えしているのは、まさにこうしたイメージです。このイメージからの脱却と確固とした権利主体としての高齢者の地位の確保こそが、抽象的ではありますが、20世紀末のまた21世紀の日本の課題であると思います。

◎鈴木  静(20代)
 地域調査で、いくつかの地域に行かせてもらっています。今まで行った土地を思う時、お話をうかがった方々の笑顔が真っ先に浮かびます。とりわけ高齢者の笑顔はその土地のシンボルです。海のそばに住んでいる方、山のふもとに住んでいる方、どなたもその土地に愛着と誇りを持ち、地域やご自身の生活のことを聞かせてくれます。初対面でも、久しぶりに会う孫に聞かせるように。
 お話を伺い痛感するのは、どの地域も医療・福祉をはじめとして様々な問題をかかえおり、そのどれもが切実なことです。介護保険法をはじめとする社会保障構造改革が進む近年、ますます高齢者が安心して暮らし続けることが難しくなっていると強く感じます。だからこそ、現在、高齢者が安心して暮らし続けられる地域システムを作ることが重要ですし、緊急課題だと思います。 「高齢者のための国連原則」では5つの原則をあげており、その中の1つに「参加」が位置付けられています。日本では特に、介護保険事業計画など高齢者を支える地域システムを作る過程において、高齢者本人が計画策定段階から「実質的に」参加できるようにすべきです。これは絶対に必要なことです。誰もが安心して暮らし続けることができるように、国や地域のシステムを見直し、より良いものを作り上げていくことが求められています。そのために多くの人や団体や自治体も頑張っています。
 また、調査でお会いできる笑顔を楽しみにしながら、わたしも頑張っていきます。

◎升  幸宏(30代)
 国際高齢者年といわれ、私自身の事を正直に言うと、高齢者という言葉自体、余り身近に考えられませんでした。30代に到達したばかりですから、当然かもしれません。「老後の事を考えるにはまだ、早すぎる」と漠然と感じていました。
 ただ、祖父や祖母、両親の事を考えると、高齢者問題とは介護、医療、福祉、年金の問題だと感じる事ができます。どの問題も、「生きる」という事に、直接関わってきます。高齢者になると、身体的にも弱くなり、社会的にも「物を言う(文句を言う)事にもひけめを感じる様になる」と開きました。国際高齢者年の副邁に「すべての年齢の人々の為の社会をめざして」という言葉があります。
 来世紀、我が国はかつてどこの先進国も経験したことのない超高齢社会がくる事は明らかになっています。それに伴い、健康保険財政や年金が破綻するという事はよく耳にします。
 人間とは独りぼっちでは絶対に生きていけるはずがなく、人間社会に生まれたからこそ助け合って生きていかねばなりません。自分や自分の家族が高齢者になった時、介護される立場になった時、物(文句)が言えなくなるのは、やはりおかしいと感じます。
 「ため息をついて年金や財政の心配をしていることより、『生きる』とかr人権』という事を否定されないよう一人一人がいきいきとして自分の事は自分で決められる高齢社会をめざそうという事なんだ」ということを国際高齢者年の副題は気づかせてくれました。
 これからは、「自分の『老後の間題』jを考えるというより、自分の『未来の問題』と考え、行動したい」「いろいろな問題でため息をついているより、感じた事、思った事を即行動に現したい」と思いました。

 ◎寺本 紀子(40代)
 私は、どんな高齢期を望んでいるのだろうか。まだ具体的な像は見えてこない。しかし、40歳代の私の周りには、よいモデルも、ちょっとと思うモデルも沢山あふれている。よいモデルからは、こんなことを学んでいる。そこそこの経済的安定は必要、やりたいことをどんどんやる。社会的な役割を持つ。楽しみを持つ。孤独は大切に、でも孤立は避ける。
 どんな死を迎えるのか、きっちり向き合う。卑屈にならない。大好きな人たちを頭に措きながら書き出すとこんなところだろうか。
 高齢期に入るにはあと20年もあり、そこからまた20年くらい生きるかもしれない。今まで生きた長さと同じくらい生きると思うと、今のわたしはため息が出る。毎日の生活で精一杯、目先の課題をクリアしていくのに四苦八苦の日々。そう、40歳代の私は疲れているのだ。私の周りの高齢者たちの方がずっと元気かもしれない。高齢者の皆さん、私にエネルギーを分けて下さい。

 ◎和田 洋子(50代)
 高齢者は81歳の母のことであって、58歳の私のことではないと思っていました。しかし、「国際高齢者年によせて」を書くにあたって、1991年高齢者のための国連原則を読んで、母のことではなく、私自身の問題として受けとめざるをえませんでした。
 一昨年、高齢者大会に参加するにあたって、「高齢者って何歳から?」「国民年金受給の
恥嵐から?」などと聞いたりしていました。
 今年は国連「国際高齢者年」。しかし日本は、高齢者に対して温かくない国だと思います。健康保険の一部負担の増加、年金だけでは生活できない低額、消費税5%をはじめとする生活のしにくさ、本当に高齢者にとってはとても住みにくい日本ではないでしょうか。
 来年4月からの介護保険についての中身をより良いものにして、尊厳を保ち、自分の可能性を伸ばし、自宅で健康に暮らしてゆけるようにしたいし、なりたいと思います。
◎西ケ谷 のぶ子(60代)
1984年からシニアーズ・アブロード(注)に協力している。この間多くのことを学んだ。高齢社会の問題は日米で共通点もあるが、互いに学ぶことも多い。強く心に残るのは市民一人一人の自立、協調、連帯の意識の高さだ。日本では老人を弱者と考えるが、アメリカでは価値ある社会資源と考え、今の社会を動かす重要な世代ととらえる。だから常に積極的にまた日々努力を重ねる。またそれを誇りとする。
 一つのエピソードを紹介しよう。友人夫婦は砂漠に住む。地区には学校、病院、郵便局もない。だから自分の生活、健康管理は徹底している。砂漠はカラフルで美しい。勿論その白熱ま厳しいが、大自然の中では小さな花も人間もコヨーテさえも共に助け合って生きている。彼らは年を重ねるとともに生活を簡素に、人との繋がりをより豊かにと心がけている。そしてその大地に溶け込むように生を終わりたいと考えている。私も彼らのようにケアハウスで今を精一杯生活している。(注)Seniors Abroadは1984年にアメリカ人Evelyn Zivetzによって設立されたシニアーの国際交流の非営利団体。

◎野村 幸江(70代〉
 私は今高齢期の入口に立っている。時折、思い出すことは10年余りの保母生活のことである。子供の大好きな私は1ケ月のカリキュラム、1週間、1日のカリキュラムをたて子供達と時を過ごした。いきいきとした瞳、飛び廻って遊ぶ子供ら集団の中へちょっと入れない子がいてもさして気にもとめずいろいろ話を聴いてあげ抱きしめてあげた。集団生活に馴れるまでの不安、友達ができるまでの淋しさを私なりに受け止め見守ってきた。
 ある児童心理学の先生の教えに「3才児保育ではおそい。胎教からが大事」といわれたことが今でも心からはなれない。当時、無限の夢をいだいて意見発表した子、すばらしい色彩でお絵書きしていた子らも今はいろんな立場で頑張っているであろう。私も生活年齢に負けず高齢期に向かってマイペースで進んで行きたい。

◎中初 弓一(80代)
「傘寿を迎え思うこと」
 今年は、国際高齢者年であると開く。国際というからには、日本にも高齢者年というのが有るのか、無いのか不勉強の私はまだ開いたことがない。それどころか今の日本の政治は、逆に高齢者が生きてゆくのに都合の悪い事が多く、しかも次々に改悪を決めてきている。そして、これを決める国会議員や省庁の幹部役員の多くは、高齢者か若しくは近く高齢者の部類に入る者だから始末に悪い。こういうたぐいの高齢者層はよっぼど「老後の保障を今のうちに」と思って「出世」のためなら人の事より先ず自分のためとしか考えていいのではないか、と下妻の勘繰りもしたくなる今日この頃である。が、そういう人だけでなく、日本の将来を深く考え悪政にせまりその改革をめざす高齢の議員J老人パワーを発揮してガンバり、高齢者集会等で、高齢者いじめの国政等にあらがって成果を上げている方も多い。老人を昔の姥捨て山以上に苦しめようとする悪玉の高齢者と、これに抗して、老人のおかれている立場をよりよきものにし「安心して老後を暮らせるように」と奮闘している高齢者とのはげしいつばぜり合い、即ち、ここでも階級闘争が闘われているのである。
 しかし、高齢者の中には「子供に先立たれ、病気で入院したりして死んだら誰が入院費を払ってくれるのか?」と未だ死なない先に死んだ後まで心配している老人。働いて働いて息子を育て80余歳になってまだ田畑をたがやし、都会で働く息子夫婦に、米、野菜や時には金銭を援助しながら「病院に通うにも子供に気がねで…‥‥」となげく老夫婦など、人伝えや直接見開きするにつれ、国際高齢者年を機に、高齢者を大切にすることが通年となるようガンバレばと思う事しきりである。

◎横山 千代子(90代)
 横山千代子さんは現在金沢市にある特別養護老人施設・やすらぎホームに入所中の女性である。以下は、編集者の主旨に応ずることを同意きれたが「書けない」と言われたので、医療・福祉問題研究会の世話人である菰昭三さんが質問し、その回答をまとめたのもである。
[問]横山さん、今年は「国際高齢者年」といってお年寄りを中心にして、改めて一人一人の生き方を考えようという年にしようと世界中で決められた年ですが、「国際高齢者年」ということを開いたことがありますか?
[答]私は知らんね。そんなこと、開いたこともない。
[間〕横山さん、新開やテレビで「国際高齢者年」が話になっていると思うけれど、新聞やテレビをみないのですか?
[答]私は新聞は見ないけれど、テレビはいつもかじりついている。ドラマが好きで。朝のドラマは欠かさんがや。ドラマの後のニュースもたいがい聞くがそんなむずかしい話は聞いたことがないがや。
[問]横山さんはどうしてこの特別養護老人ホームに入いられたのですか
[答]いろいろな事情があってね・・。親類の者がここへ世話してくれたんや。わたしやこれまで脇見もしないで爺ちゃんと百姓をしてきたがや。腰の曲がっているのが百姓の看板や。今までひどかったが…、今は極楽や。
[問]貴方の年金などはどうですか?
[答]おいね、それやとこいね。小遣いがのうて弱わっとるがや。4万円貰うがここのホームに2万5000円払うやろ、何も残らんがや。
[問]しかし残り1万5000円あるでしょう、それで足りませんか?
[答]足りんわいね。病院の薬代や、親類の葬式やらなんかと金がいるもんや。そやかて何にも自分で食べないがやが、自分で使いたい時に金が無いがや。もうちょっと年金があればね−。
[問]病気など時々されますか?
〔答]昔から息災やけど…。この間病気して金がいって息子に3万円出して貰ったがや。困ることのひとつや。
[問]ホームでは敬老の日や誕生会などといろいろありますが、どうですか?
[答]喜んでいるがやけど。しかしどこか遊びに連れていって欲しいがや、温泉にでも年に一度はね。
[問]私も年をとりましたが、横山さんも年ですから、死をどう思っておられますか?
[答]私はちっとも怖くない、いってもよいと思っている。そのために朝晩お勤めをしとるがや。
[問]人生の先輩として若い人へのメッセージなどどうですか?
[答]そうやね、人生いろいろあるが明るく生きることやね、こだわらずに。
[間]いま、石川県で特別養護老人ホームヘの入所待機者が800人もいるそうですが、横山
さんはこれをどう思われますか?
[答]そんなにおるまっしゃるがか。・・・話もどうにもできんしね、・‥市の責任かね。
トップページへ戻る 目次へ戻る