●特集/国民生活の変容と医療・福祉
労働現場の過労死・過労自殺の実態
服部  真

 日本の平均寿命・健康寿命は世界一であり、死亡率から見ると日本は世界一健康的な国であるといえる。それを支えていたのは、戦後
の経済成長と日本的企業社会システムを背景に低い失業率と終身雇用による生活の安定や社会保障制度の拡大であった。バブルとそれ
に続くバブル崩壊を背景に、米国型グローバリズムの席巻により高い平均寿命を支えていた日本的企業社会システムが崩壊しつつある。
一方、企業社会の弊害の最たる現われであるサービス残業による働きすぎ・働かせすぎは家庭や地域から働き手を切り離し、過労死・
過労自殺を生み出した。失業の増加と雇用の分化(裁量労働と不安定雇用への分化)を背景に雇用者の中に占める長時間労働者の割合
は再び増加傾向に転じている。
 国民の生活は、収入の減少による生活基盤の悪化か長時間労働による生活の質の悪化に二極分化しつつある。私に与えられたテーマ
は、後者の長時間労働を核とした労働現場の過労・ストレスによる身体的・精神的・社会的健康障害、特にその象徴である過労死(過
労による死亡や重篤な疾患)・過労自殺(過労による自殺)の最近の実態を報告することである。

1.日本における過労死・過労自殺の歴史過労死・過労自殺の歴史を簡単に示す。
1969年 業務上の突然死と呼ばれた最初の事例。
1970年代 夜勤・交代勤務者、運転手、新聞やテレビ、建設、営業などの分野で業務上の突然死や脳心血管疾患が多発。
1987年 「過労死」をタイトルとした最初の刊行物が出版され、労働省が脳心臓疾患の労災補償認定の統計公表を開始。
1988年 過労死110番全国ネットが一斉相談を実施し、外国紙に紹介され、過労死弁護団全国連絡会議が結成される。
1991年 全国過労死を考える会結成。
1992年 日本産業衛生学会に循環器疾患作業関連要因検討委員会が設置され、1995年に報告書を発表。
1995年 人事院、および、労働省がそれぞれ脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準を改定。
1996年 過労自殺事件が東京地裁で勝訴し、自殺過労死110番を全国で実施。
1998年 日本の自殺者が史上初めて3万人を超過し、特に、中高年男性の増加が顕著で、この年の日本人男性の平均寿命が前年より短縮。以    後自殺者は毎年3万人超えが続く。
1999年 人事院、および、労働省がそれぞれ心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針を発表。
2000年 最高裁が過労自殺や過労死の事案で相次いで原告勝訴の判決を出し、労働省が脳心臓疾患認定基準の改定作業を開始し、「事業場    における心の健康づくりのための指針」を発表。
2001年 厚生労働省、および、人事院が脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準を改定。
2002年 厚生労働省が「過重労働による健康障害防止のための総合対策」を発表。


2.過労死・過労自殺の請求・認定件数の推移
 過労死弁護団全国連絡会議の調べによる過労死・過労自殺に関する民間の請求件数と認定件数の推移を表1、表2、国家公務員の認定件数の推移を表3、地方公務員の認定件数の推移を表4に示す。民間での過労死の請求件数は1989年の777件を最高に減少していたが、1993年の380件を底に再び増加し、2002年は半期で403件と過去最高のペースである。この間の認定件数は1995年にそれ以前の約2倍に増加し、2001年の脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準改定によりさらにその2倍と増加した。
 一方、国家公務員や地方公務員の認定件数は脳心臓疾患では減少傾向、精神疾患では1999年と2000年に増加したが以後は頭打ちで、民間の対応とは大きな差がある。


3.過労死・過労自殺は多要因:危険因子+労働時間要因+心理的・身体的ストレス過労死の大部分は医学的な病名としては脳血管疾患、心筋梗塞、不整脈などの循環器疾患である。1985年日本産業衛生学会循環器疾患作業関連要因検討委員会報告(第4章一2.発症事例からみた循環器疾患の作業関連要因)は、収集された労働関連循環器疾患53例を検討し、発症要因として労働時間要因、心理社会要因、身体要因、危険因子を指摘している。労働時間要因の関与は96%と最も多く、具体的には月250時間(月80時間の時間外労働に相当)以上の長時間労働(74%)、深夜勤務(60%)、休日勤務(58%)、出張負担(32%)などであった。心理社会要因は89%に見られ、具体的には業務内容の急変、臨時業務や業務トラブル、仕事量急増、納期の繰り上げ、ノルマのしめつけなどの労働密度や仕事責任の増加(70%)、運転での過緊張(25%)などであった。身体要因は42%に見られ、具体的には寒冷作業(30%)、重筋肉労働(17%)などであった。労働時間要因に心理社会要因が重なった例が87%で、さらに身体要因も加わった例も40%であった。危険因子は高血圧46%、高コレステロール26%、糖尿病(疑い含む)11%、上記のいずれかを有するものは57%で、喫煙も加えたいずれかを有するものは83%に達した。以上をまとめると高血圧、高コレステロール、糖尿病、喫煙習慣のいずれかを有するものが長時間労働か深夜勤務や出張という労働時間要因に加えて仕事の密度や運転での緊張、寒冷作業などの心理的・身体的ストレスが加わって過労死を発症するケースが多いと言える。


4.厚生労働省の示す業務上の判断基準
 「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(H13.12.12基発1063号)は、血管病変などの基礎的病態が長い年月の中で形成され進行する自然経過に対して、業務による明らかな過重負荷が自然経過を超えて著しく増悪し発症する時に業務上と判断するとしており、過重負荷が発症に近接した時期だけではなく、長期間にわたる疲労の蓄積と労働時間、勤務形態、作業環境、精神的緊張などを総合的に評価し判断するとした。具体的には、発症前の時間外労働を重視して、発症前1ケ月間に100時間以上は強い関連あり、発症前2、ないし、6ケ月の平均が80時間以上も強い関連あり、45時間以上は関連性が徐々に強まるとした。一方、休日は疲労を回復させるし、長時間労働、不規則な勤務、拘束時間、出張、交替性勤務・深夜勤務、作業環境(温度環境、騒音、時差)、精神的緊張などは疲労を悪化させるのでこれらを検討して総合的に判断するとしている。
 上記の基準の根拠となった「厚生労働省の脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」(H13.11.16)は、業務上とする根拠として特に長時間労働と睡眠不足の影響に注目している。長時間労働が脳・心臓疾患に関わることを示す研究報告として、10時間以
上労働で血圧上昇(中西1999)、11時間以上の拘束で脳心臓疾患増加(内山1992)、11時間以上の労働で心筋梗塞増加(志渡1995)、11時間以上労働で心筋梗塞増加(sokejima1998)、週60時間以上労働で高血圧増加(上畑1994)、週52時間以上の労働で冠攣縮増加(服部2000)などがある。ここから1日2時間を越える時間外労働(月に約45時間の時間外労働)は脳・心臓疾患に関わる可能性があるとしている。
 また、睡眠不足が脳・心臓疾患に関わることを示す研究報告として、1時間以上の睡眠減少が健康に影響(田辺1993)、6時間以下で全死亡増加(Berkman)、6時間未満で虚血性心疾患増加(Partinen)、6時間未満で心筋梗塞増加(志渡1995)、5時間以下で脳・心事故増加(倉沢1993)、4時間以下で冠動脈性心疾患増加(Klipke1979)などがある。一方、NHKの国民生活時間調査によると、1日5時間の時間外労働をしている者の睡眠は平均5時間であり、1日4時間の時間外労
働では睡眠は平均6時間になることが示されている。この両者をあわせて考えると、1日4時間を越える時間外労働(月に80時間を越える時間外労働)は睡眠が6時間未満になることが推測され、脳・心臓疾患に関わる可能性が高いとしている。
 一方、過労自殺については、労働省の「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の
判断指針について」(Hll.9.14基発第544号)が職場における心理的負荷評価表などに基づ
いて職場の心理的負荷を弱・中・強に分類し、業務上外を判断する方法を示している。具体
的には、平均的な心理的負荷の強度(事故や災害の体験、仕事の失敗、過重な責任の発生
等、仕事の量・質の変化、身分の変化等、役割・地位等の変化、対人関係のトラブル、対
人関係の変化)を判断し、それに心理的負荷の強度を修正する視点と出来事に伴う変化等
を検討する視点(仕事の量の変化、仕事の質・責任の変化・仕事の内容・責任の変化の程度、経験、適応能力との関係等、仕事の裁量性の欠如・他律的な労働、強制性、職場の物的・人的環境の変化等、会社の講じた支援の具体的内容・実施時期等)を加味して総合評価を決める方法である。

5.過労死と時間外労働、自殺と失業率の推移の近時
「国民生活審議会総合企画部会雇用・人材・情報化委員会報告」の資料(図1)によると、週60時間以上の男性雇用者が週35時間以上の従業員の中に占める割合は1980年代の後半にピークを迎え、以後減少していたが、1990年後半から再び増加に転じている。これらは上記の過労死の請求件数の推移と同様の傾向を示している。
 また、自殺率の推移は図2のように完全失業率の推移と極めて近似している。


6.一般労働者の中での過労とストレス
 過労死・過労自殺の要因とされる過労やストレスと危険因子は一般の労働者の中にますます広範に広がり続けている。厚生労働省「労働衛生のしおり」などによると、事業所健康診断の有所見者の割合は平成2年の23・6%から平成13年の46.2%と10年間で約2倍に増加している。特に動脈硬化と関係が強い血中資質の異常は平成9年の22.0%から平成13年の28.2%に急増している。また、仕事や職場生活でストレス・不安や悩みを感じる労働者も昭和57年の51%から平成9年は63%に増加している。何らかの自覚症状を持つ労働者は84%、そのうち頸肩腕のこりが52%、目の疲れが44%、腰痛が40%と多い。平成4年から平成9年の5年間で、普段の仕事で身体がとても疲れる者は9.5%から11.8%に、やや疲れる者も55.2%から60.2%に増加し、神経がとても疲れる者は14.6%から17・3%に、やや疲れる者も55.5%から57.1%に増加し、労働者の大多数が心身の慢性疲労状態といっても良い。

7.職場での過労やストレスの社会的影響職場での過労やストレスは労働者の健康に影平するのみならず、家庭や社会に更に広範で深刻な悪影響を与えていると思われるが、その点に注目した研究は少ない。ここでは私達が行った質問紙調査の結果を報告する。医療介護の7事業場と物流販売の8事業場に質問紙を配布し1275人中709人から回答を得た(回収率56%)。このうち20未満の子と同居の255人(男68人、女187人)を労働時間別に分け、子供に問題「あり」(85人)と「なし」(170人)を比較した。子供の問題は進路学力24%、疾病15%、不登校6%などであった。長時間労働、仕事負担の質や量、技能活用度(低い)、ストレス反応、家族・友人からの支援度(低い)が子供の間邁と関連していた。以下に労働時間と子供の問題の関連を示す
(図3)。


8.過労死や過労自殺を防ぐための厚生労働省の対策
 こうした状況を前に厚生労働省も労働者の健康状態を改善し、過労死・過労自殺などの原因である過労や心理的ストレスを軽減するためにいくつかの対策を打ち出している。
 まず、「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」(H12.8.9基発第522号)で事業所に中長期的視点に立って心の健康づくり計画を策定するよう求めた。これは労働者が自ら行うストレスへの気づきと対処(セルフケア)、管理監督者が行う職場環境等の改善と相談への対応(ラインによるケア)、事業場内産業保健スタッフ等によるケア、事業場外資源によるケアの4つのケアによって継続的かつ計画的にメンタルヘルスケアが行われるようすることが重要であるとし、職場環境等を評価し、管理監督者と協力して改善を図るよう努める、労働者のストレスや心の健康問題を把握し、保健指導、健康相談を行うこと、適切な事業場外資源を紹介し、職場復帰及び職場適応を指導及び支援することを求めている。
 次いで、「過重労働による健康障害防止のための総合対策」(H14.2.12基発212001号)で事業主に月45時間を越える時間外労働をさせた労働者の情報(作業環境、労働時間、深夜業の回数と時間数、過去の健康診断の結果等)を産業医等に提供し、事業場の健康管理についての助言指導を受けること、更に、月100時間を越える、又は2、6ケ月の時間外労働が月平均80時間をこえる時間外労働をさせた労働者に産業医等の面接による保健指導を受けさせることを求めた。
 更に、「健康診断結果に基づき事業者が講ずべき措置に関する指針」(H14・2.25改正)で、事業主は健康診断個人票の医師等の意見欄に通常勤務、就業制限、要休業のいずれかの就業区分とその内容(労働時間短縮、出張制限、時間外労働制限、鯛個数減少、昼間勤務への変更、労働負荷制限、労働場所の変更など)を記入するよう求めること、および、健康診断の結果必要な労働者に医師または保健師による保健指導を受けさせるよう努めなければならないと定めた。
 これらの指針や対策は厚生労働省が事業主に労働者の過重労働や心理的負荷を軽減するよう求めたもので実行されれば効果が期待できる。特に、過重労働の総合対策が出されてから監督署が事業主に対して所定外労働時間を正確に把捉し、サービス残業にならないよう割増貸金の支払いを求める働きかけを強めており、労働者の告発ともあいまって一定の効果を上げてきている。

9・今後の課蓮
上記の施策が現実に多くの事業場で実施されるようになるには、行政の努力に加えて労働者の要求運動や告発が不可欠である。連合や全労連などの労働組合もサービス残業の削減を中心的なスローガンに掲げて活動しているが、その組織率は年々低下し、役員の高齢化も進行している。労働組合には企業内の正規雇用労働者組合から脱皮し、パート労働者、派遣労働者、更にはフリーターや外国人労働者なども含んだ組織への改革を期待するとともに、一人一人の労働者が労働者の権利として過重労働や心理的ストレスの削減を求めて行動できるよう支援するネットワークが必要であると思う。
 厚生労働省は時間外労働を削減するための施策を打ち出す一方で、裁量労働制を拡大し、雇用主の解雇確を認めるなど過重労働や心理的ストレスの増加を一層促進する政策も進めている。個々の課題に対してそれに直接関わる者だけが関心を持ち反対するという従来型の運動ではなく、人間らしく働き生活するための協同のネットワークが津々浦々で企業や社会のあり様をチェックし、情報を公開し、改善を求めるという取り組みが求められている。
 (はっとり まこと/石川勤労者医療協会城北病院医師)
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