特集「民活」型医療・福祉を考える

<諸外国の経験から「民活」を考える(3〉>
 イギリスの国民保健サービスの危機と医師像
富山医科薬科大学医学部公衆衛生学教室 寺 西 秀 豊

 1.はじめに

 イギリスの保健医療制度は,1946年制定された国民保健サービス法(NationalHealthService Act)に基づいて,予防からリハビリテーションを含む包括的な医療サービスを提供している。
 この国民保健サービスは,病院の国営化病院従事者の公務員化開業医と政府との契約など,医療供給体制が社会化され,国民すべてに無料の医療・保健サービスを保障しようというものであり,イギリス社会保障の柱をなしている。しかし,現在,この国民保健サービスの中身が大きく後退させられようとしている。サッチャー政権による各種の無料サービスの有料化及び営利化民間資本(private sector)の導入等の活発化により,イギリスの誇る国民保健サービスは現在危機に直面している。
 私は,たまたま,イギリスのロンドンに留学する機会があり,イギリスの保健医療の一部をかいま見ることが出来た。留学は9カ月問だったので,必ずしも総合的に理解できたわけではないが,私が経験したことや感じたことの一部を述べてみたいと思う。何らかの参考にでもなれば,幸いである。

2.イギリスで公衆衛生を学ぷ

 私が留学したロンドン大学地域医学教室は日本の公衆衛生学教室のように,医学における社会的側面や疫学的分野を担当しているのだが,研究スタッフの数からみると,日本の講座の数倍はあると思われた。私は,研究だけでなく講義も聞きたいと思い,疫学や統計学の卒後教育過程を受講した。
 講義の行われるロンドンスクールに数週間通い,学生達と顔見知りになるに従い,そこにどんな人達が勉強に来ているのか,少しずつ分かってきた。多くの学生は,医学部を卒業し,公衆衛生を専門として志していた。そうした学生は,30才前後で,私より10才はど若く見えた。しかし,中には,臨床医が含まれていることに気がついた。臨沫医でありながら,公衆衛生の分野に興味を持っている人や,医師会等の専門委員で,疫学的な仕事をしている人などが含まれていた。そうした人達は,私と同じ世代か,少し年上のように思われた。イギリスでは,こうした卒後教育の受講者には,奨学金が出されており,多くの学生は,恵まれた立場で勉強しているようであった。

3.ドクターPRCの診療所

 たまたま,日本から留学していたF先生とともに,ドクターPRCという医師の職場を訪問する機会があった。ドクターは,臨床医
なのだが,公衆衛生の研究に興味を持ち,ロンドン大学に勉強に釆ていたのである。彼の診療所は,ロンドンから少し離れたストークという町にあった。我々日本人2人がストークの駅に着くと,彼は,歓迎の意味をこめて近くの古いパブヘつれて行ってくれた。そこは,いなかのむかしながらのパブで,天井が低く,梁がくすんだ黒い木材で作られており,古き良きイギリスの文化をかいま見る思いがした。そこで,ビールを飲みながらドクターと話をしたことで,イギリスの医療に対して理解を深めることが出来た。
 彼のつとめている診療所は,Surgery(日本語では外科と訳すことが多い)と呼ばれている。Surgeryをうっかり,外科の意味で使ったりすると,話がわからなくなってしまうので注意が必要である。こうしたSurgeryは,イギリスの政府機関DHSSによって,地域を単位に設置されている。医師が,Surgeryの実際の管理者なのだが,公務員ではない。医師は,地域の住民の健康管理や医療サービスを提供しているが,報酬は,登録患者数にもとずいて,政府より受け取る仕組みになっている。しかし,看護婦等の医療スタッフのおおくは公務員である。そのため,医療保健サービスは無料であるのに,健康保険制度等は不必要になっている。
 私は,ドクターが,こうした国民保健サービスにたいして誇りを持っているのを感じた。
4.生き続けるイギリスの伝統

 しばらくして,彼の診療所を訪問した。卒直に言って,診療所の建物などは,それほどりっぱなものではなかった。入院施設も無いので,日本の市町村立の保健センターと開業医院の中間ぐらいの規模に見えた。この診療所には3名程度の医師によって「グループプラクティス(集団医療)」と呼ばれる,包括的な医療保健サービスが提供されているということであった。日本と遠い,保健と医療が分離されていないので,公的サービスの中身として,一般的治療とともに慢性疾患の訪問看護,母子保健,予防接種,家族計画なども含まれていた。こうした保健と医療の協力関係には,すばらしいものがあると思われた。
 住民の登録システムやカルテの管理の仕方には,イギリス独特のものであって,ロイド・ジョージ時代に考案されたというカードなども使用されていると聞かされ,驚いた。診療機器は,比較的簡単なものしか見当たらず,今も,聴診器とムンテラを中心とした診療技術が受けっがれているようであった。しかし,近代化が遅れていると単純に言うわけにはゆかなかった。ある診察室には,モニターテレビカメラが設置されていたし,別の部屋にはコンピューターの端東が置かれていた。しかし,それらは,医療に直接使用されているのではなく,若い医師の教育用であると聞かされ驚かされた。伝統的なコンサルティング(特に問診の仕方が重視されていた)の技術を教えるのに,プライバシーを重視する立場より,モニターカメラを使用しているとのことであった。また,コンピューターも主に臨床疫学的研究用に使用されているとのことであった。私は,同じ,ME機器の使用法でも,イギリスと日本で大きく異なっているのを感じた。日本では,MEの導入は,事務作業の合理化等,経済的メリットが強調されすぎているのではないだろうか。


5.国民保健サービスの危機と民主主義

 「攻勢にさらされる国民保健サービス」(NHS serviceis now under attack)。診療所においてある医師会のパンフレットにこんな言葉が書かれている。国民保健サービスは,国民の健康権,国の公的責任をはっきり認めた上で,疫病の予防からリハビリテー
ションにいたる包括的保健サービスを提供するという,輝かしいイギリス社会保障制度の柱であったはずである。それが,何故,危機に立っているのだろう。言うまでもなく,イギリスの経済成長や国際的地位は戦後40年の問に大きく低下したことも影響しているのだろう。また,国民保健サービス体制も,様々の矛盾をかかえて来たことも見逃せない。例
えば,病院で入院治療を受けるためには,患者は数カ月前より長い順番待ちを強いられており,大きな社会問題となっていた。医療機関の配置にも地域格差が生じており,死亡率などにみられる健康状態に,地域差や社会階層差も認められており,「すべての人々に健
康を!(Health for all)」という観点より問題視されていた。そうした,サービスの弱点につけこんで,サッチャー政権は,米国流の私的医療(privatesector)を導入し,公的保健サービスを骨ぬきにしようとしているのである。
 しかし,こうした動きに対して,医師会を始め,多くの組織が反対の意志を表明している。その反対運動は,広範で,ねばり強く,政府や企業の攻勢は,必ずしも成功しているわけではないというのが現状であった。
 私は,こうした保健医療をめぐる動きの中に,イギリス人の持っている良い意味での保守性のようなものを感じていた。日本では,私が留学するはんの数日前に,国鉄が民営化されてしまっていた。もし,日本に,イギリスのような保健医療システムがあったと仮定しても,はたして,長期にわたり,イギリスのように維持しつづけられるのだろうか。そんな不安感を禁じ得なかった。
 イギリスには,日本と比較して,より民主主義的伝統が広範な人々に生きていた。国民保健サービスが赤字になっても,多少古くさくなっても,様々な問題点が指摘されているとしても,脈々と維持され続けている理由として,論議を重視し,十分納得しないかぎり,行動に移さないという,議会制民主主義を守る国民性があった。
 国民本位の無料の保健サービスが政府の手により切り捨てられようとしている時に,そうした動きに抗して,ある医療従事者が使っていた「我々は臨床的自由(Clinicalfreedom)を守る」という言葉の重要な意義を強く感じさせられた。
   

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