特集/脳死・臓器移植を考える
日本国憲法の“個人の尊厳”と「生命の科学と倫理」
    一脳死・臓器移植問題を考える−
金沢大学教養部 青 野   透
 金沢大学教養部では1989年以来毎年、一般教育料目として『生命の科学と倫理』という科目を開講している。以下は、そこでの講義ノートに手を加えて成ったものである。内容については、各回の講義後に提出を求めた受講生の感想・批判、そして討論会での意見交換が大いに役だった。さらに、学外から講師としておいでいただいた、大谷実(刑法・刑事学)森岡正博(倫理学・生命学)梅田哲彦(生物学)斉藤伸子(文学・キリスト教思想)の諸先生からはたいへん貴重な示唆を頂いた。また、講師としておいでいただいた北陸大学の河島進(薬剤学)三浦泉(医薬法制)両先生が中心となったホスピス懇和会にメンバーとして加えていただき、現代医療のかかえる問題について様々な意見を聞く機会を得た。拙稿をお読みいただく方に何らか質するとこ
ろがあるとすれば、すべて学生諸君とこれら先生方のおかげである。

1.法学の問題として


 〈病院に救急患者が運ばれてきた。交通事故で東部を強打し意識不明の重態である。駆けつけた家族に医師はいわゆる脳死状態だと告げた。これを聞いた家族は、本人は臓器提供を希望していたから誰かに心臓の移植をしてくださいと鮨んだ。だが医師は、この病院ではそれはかないませんし他の病院でも無理でしょうと答えた。〉
 人は誰でも自分の生き方を自分で決める自由をもっている。このことを否定する人はいない。しかし、右の場合はどうだろうか。心臓移植は患者からみれば、生前の自己決定の結果に他ならない。これもまた一つの生き方、死に方である。家族にとっても本人の意思を生かすことがせめてもの慰めとなるかもしれない。他方、臓器の提供を待ち望んでいる人とその家族にとってはその希望はさらに切実である。だが、これまでわが国では、法がそれを認めていないものとして扱ってきた。医師には他に答えるすべはなかったというしかない。
 人間は生きていくために集団を形成し、その秩序維持のために、法が生まれる。その結果、人は法に従うことによって生き方の枠組みを保障されると同時に、法によって方向づけられた生き方を余儀なくされる。それだけに人は、法について考えることを絶えることなく行ってきたのであり、「脳死・臓器移植」問題は、法学の立場からみると、法に常につきまとう矛盾の今日的な現れの側面をもっているのである。「脳死・臓器移植」が含む様々の問題について、法学の領域からはすでに刑法や民法を専門とする学者を中心に議論がなされてきた。とくに「現在の法律で禁止され、責任を問われるのは何か(大谷実『いのちの法律学』)ということをきちんと踏まえておくことが議論の整理のうえで肝要である。先にも示したように、脳死状態からの臓器移植がこれまで行われてこなかった理由の−一つは、法がそれを許していないと・−一一般に理解されてきたからである。今年1月に答申を出した「臨時脳死及び臓器移植調査会」も、委員15名のうち3名は法律家であった。これは、答申を受けてその後に、現行法の改正、つまり「角膜及び腎臓移植法」に心臓、肝臓などを加えた拡大法、あるいは、新たな臓器移植法の制定が予想されたからである。
 これらのことから、法律家が現行法の解釈をめぐって一一定の解説をする、あるいは、あるべき法について提案するということが、「脳死・臓器移植」問題のみならず生命倫理をめぐる論議い一般において求められていることは容易に察しがっく。今後「移植」実施段階に入れば、立法論を含めてますます細かな実定法上の論議が行われることになろう。
 しかし、法学者がこの問題に寄与すべきことはこれだけにとどまらない。というのは、「脳死・臓器移植」問題の本質は、脳死になった人とそれを取り巻く人の、人と人との関わり方の問題であるといわれる(森岡正博『脳死の人』)からである。医学中心の脳死論や実定法学中心の立法論がそのまま「脳死・臓器移植」問題の解決につながるものでない以上、この捉え方は決定的な重要さをもつと思われる。まさに、「脳死・臓器移植」問題は、一般に理解されているようにすぐれて生命倫理の問題なのである。
 ここで確認しなくてならないのは、脳死状態にあっても人は人であることに変わりはないということである。あくまでも人と人との関係が続く。ただ生前の意思の問題は別にして、「脳死の人」の側からの応答はないのであって、「脳死・臓器移植」の問題は、家族や医師や臓器の受け取り手がどのように「脳死の人」に接するか、という・一方的な人間関係のなかでの問いとして捉えられる。
 このように考えると、冒頭に例示したような場合の「脳死の人」への関わり方を考えるにあたって、法学という学問が何らかの寄与をなしうるとすれば、必然的に、憲法に規定されている「個人の尊厳」の理念の提示が不可欠になる。「個人の尊厳」こそ憲法が人々に求める人間関係の理念に他ならないのであり、憲法前文は「日本国民は人間相巨の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」と規定しているのである。一般に医療において、何をしてよいか、何をしてならないか、ということは医師個人もしくは医学会の判断に托されている。その専門家としての判断を社会が尊重しているわけであるが、すべてがそういうわけではない。生死に直接関わる場合には、医療行為に一定の許容範朗を設け、その上で禁止行為を行った者には法的な責任を問うという体制がとられる。だから、「脳死は人の死か」という問題が医学⊥二の問題であるのと同時に法学上の問題となるのは、「個人の尊厳」ということが法が前提とし要請する最も重要な理念である以上、当然のこととなる。
 もちろん、「人の生命の終わりはいっか」という問題は、宗教や哲学や倫理学などからも議論されうる。しかし、宗教や哲学は、人の生命の終わりに1E確に・本の線を引くといった問題にはとんど関知しないであろうし、倫理学は人間の生死に関して、最終的判断は各人の良心に委ねるところに踏みとどまるであろう。これに対し、法学は社会生活における秩序の維持を目的に、社会と個人、そして個人相互問の利害の対立を調和的に解決する方策を探る。そして、現代では、「個人の尊厳」=基本的人権の尊竜を根幹とした普遍的な理念にもとづき、そのような解決をもたらす基準を明示し、これによって平等な取扱いを保障しようとしているのである。法学はこの点で生命倫理に関わる諸問題で期待されるところが大きい。「脳死・臓器移植」の問題も、日本国憲法が基本とする理念の地平上で議論されることになる。

2.「個人の尊厳」の現代性


 日本国憲法13条「すべて国民は、個人として専垂される」。この条文は一一般に、24条の「個人の尊厳」と同義として考えられ、ドイツ憲法1条の「人間の尊厳は不可侵である」とも趣旨を同じくするものとされる。この理念は憲法の基本原理として位置づけられ、さらに民法や教育基本法などに示されているように、すべての法律に対して解釈の基準としての機能を果たしている。
 それでは、「個人の専厳」とはいったい何か。概して「等厳」という言葉は、明確な定義がなされないままに、これは「専厳」に反する行為である、といった形で言及されることが多い。生命倫理をめぐる論議川一般においても、医療サイドの独走を引き留めようとする場合にその根拠として引き合いに出されることもある。この理念は批判的機能をもった価値理念であることが特色であり、論議打ち切りのためだけの無内容な使い方に堕すことは警戒しなければならない。
 だが、本来「個人の尊厳」という理念は、生命倫理の諸問題に対して、十分実質的な内容をもって応えるものと考えることができるのである。
 もちろん、生命倫理の問題は医療の最先端技術開発の中から生じた倫理問題であって、指摘するまでもなく、非常に現代的な性格をもつ。したがって、「個人の尊厳」を規定した日本国憲法制定当時にこのような事態が想定されようはずはなかった。「脳死・臓器移植」問題と「専厳」の規定が結びつくなどとは誰も考えなかったことである。
 けれども、「個人の尊厳」という理念は、憲法自体がいうように「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(97条)であって、人類史の様々の場面において試練にさらされながら、勝ち取られてきた価値理念である「個人の尊厳」の理念はまったくの抽象理念などではない。各時代において豊富な内実を与えられ、特にそれが侵される危険性が高まってきた現代において自覚的に実定法に具体化される形で主張されたものである。「個人の尊厳」という文言が実定法上で明瞭に現れるようになったのは、第二次世界大戦の終了した噴からである。1945年の国連憲章は「われらの「一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の専厳及び価値に関する信念を改めて確認」するという・一文で始まる。そして同年のユネスコ憲章、48年の世界人権宣言(「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳を承認」)といった国際社会での実定法化と並行して、西独や日本の各国憲法でも明確に規定されていった。このことから理解されるように、この理念は実定法上、すぐれて第二次世界大戦の産物ともいえる。
 世界の人々は、「人間の専厳」がいかに簡学に踏みにじられるかを、大戦中、目の当たりにした。その典型がヒロシマ・ナガサキの原爆投下であり、当代の科学技術の粋を集めた殺人技術によって引き起こされた惨禍であった。このことは、とくに技術の進歩がそのまま文明の進歩を意味すると考えていた人々に対して強い衛撃となり、人類は「専厳」の危機を思い知らされたのである。
 非武装の数十万の市民が一瞬のうちに黒こげの死体となる。そもそも戦争は、人が人の死に対して無感動になることを要求する。傍らでの戦友の死を悼んでいる暇はないし、銃弾の先の敵兵の生命や、ましてや敵兵の家族のことを想い煩うことは不可能である。
 だがひとたび戦場を離れると、人は原爆投下後の写真を正視できず、アウシエビッツの悲惨を描いた著作「夜と斉」に涙する。ヒューマニズムの原点は、人の死に対する共感にこそあるといえる。「人間の専厳」という理念は、こうした現実を背景に実定法のなかに取り入れられたものである。
 ただし、各国の憲法レベルでの実定法化となると、個々の国で事情は異なる。ドイツではナチス政権下で行われた虐殺・人権抑圧を契機に、国家権力に対抗する「人間の専厳」を問題とした。これに対して日本では主として「家制度」に対する反省を契機にして実定法化され、実際に「尊厳」という文言は憲法のなかでは家庭生活に関する24条で規定され、またそれに併せて民法の条文で基本理念として新たに規定されたという違いがある。けれども、あくまでもこれらは世界の思想潮流を背景にしたものであり、他の国々でも憲法が改正されたり新たに制定される場合に、同様な思想に基づいて「個人の専厳」が強調される例が相次いだのである。
 国際社会においても、その後、例えば1967年に国連で採択された女子差別撤廃条約はその前文で「尊厳の平等」が国際社会の根本原理であることをうたい、「障害者は、その人間の尊厳の尊重を受ける固有の権利を有している」(障害者の権利宣言、75年)など、諸種の条約・富言で確認され続けている。
 ちなみに、思想史上、「人間の専厳」という考え方自体は決して新しいものではない。「われわれは自然によって万人に普遍的な性格を賦与されている。それはわれわれのすべてが理性を共有し、動物に対する優位を共有するところから由来する。これによって人間のあらゆる道徳的高貴さと正適さが生まれ、これからわれわれの義務を確立する合理的手段が見いだされる」と古代ローマの哲学者キケロ(前106−43)は述べており(泉井久之助訳『義務について』)、彼は「人間の専厳」という言葉を頻繁に用いて、いわゆるヒューマニズムという考えを明確に唱えていた。その後「人間の専厳」という考えは、キリスト教の精神に支えられ、近代初頭のルネサンスにおいて新たな基礎づけが与えられ、西欧の伝統的な考えとして連綿とした系譜をもってきた。
 けれども、二二度にわたる世界大戦は「この現代において人間の尊厳がいかに脅威のもと にさらされているか」を人々の問に実感させた。従来のようにこれを理念の問題・道徳の領域にとどめておくことは許されず、法律によって明確にし強固にすることが要請されたわけである。
 戦場にいくまでは人人殺せなかった市民が、そして子どもたちには優しい父親が、戦場ではまさに鬼と化す。味方と敵とを分けさせ、敵の尊厳(生命)を奪うように命じ、それによって自己の専厳(人間性)の放棄を迫るのが戦時体制の国家であった。このような国家の有りようそのものが問われたがゆえに、憲法において特に国家権力に対して「個人の専厳」を守ることが義務づけられたのである。 戦争は人の死に対して無感動になることを人々に強制し、そこには人と人とのあるべき関係は成立しようはずはない。だが平和の裡にあっても、人間をモノ扱いにする傾向は、技術偏重の現代では日常的に避けられないものとなっており、とくに医療の現場でこのことが指摘されて久しい。そのような傾向を背景にして今日の生命倫理(=人と人の関係としての医療従事者と患者との在り方)の諸問題が生まれてきたのである。 人類は科学の進歩によって優れた技術を手にした。しかしそれを操る人々の良心にのみ期待していたのでは、予期しない結果を引き起こす。ことは良心の問題から、強制をともなった法の課題として意識されるようになったのである。 こうして、「脳死・臓器移植」問題がいかに現代的であっても、というよりそれが現的であるがゆえに、「現代」という時代に人間性の危機を告げる概念として実定法化され
た「個人の尊厳」という理念と、深く結びっくことになるのである。
 3.「死」の社会性


 死の必然性を意識しそれを文化のなかに組み入れているという点で、人類は他のあらゆる生きものと異なっている三すべての人類文化は、死についての対処法、死を一つの問題と見た場合に解決法と考えれるようなものを提示しているといわれる。死についての神話による説明、死後の世界の信仰などは、この解決を観念や空想の領域で示そうとするものである。そして、宗教はそれぞれ、人はなぜ死ぬのか、死んだらどこへいくのか、について答えようとしてきた。いずれにせよ、死を個人が完全に無=物質と化したことであるとみなす文化は存在しないといわれる。死体がそこここに散らばっていてもなんら反応を示さないとすれば、それは人間の皮をかぶったロボットにすぎない。戦争は人間を非人問化するまぎれもなく最大の契機であった。
 そして、人の死というのは、たんに−つの生命がこの地上から消えたということではなく、とりもなおさず人間社会の中での死、それまで様々の人間関係の中で生活し続けてきた人の死を意味する。しかも、ある人が死んだということは、本人には決めることはできない。たとえば、「ご臨終です」と医師が家族に告げて初めて、その人は死んだと確認される。あくまでも人がいっ死んだかは、他人が決める。その社会で「死」の判断の権威を委ねられた人が行ってはじめて、その人の死が認められることになる。「心臓移植」では他の人との関係はさらに密接となる。臓器提供を生前希望していても、移植可能な期間内に適合する患者がいなければ不可能である。また移植を受ける側は、見方によっては、ある人が死んだことで自分が助かることになる。厳密にいえば、誰かが死なないことには自分は助からない。自分の生も死もまさに、他人との連係のなかにある。
「脳死・臓器移植」問題は、こうして、人の死がそして生がどうしても社会のなかでのものでしかないという事実を、あらためてわれわれに突きっけることになる。これは臓器移植が人間どうしの移植である以上、当然のことである。
 さて、同じ人間の集摺といっても、時代・文化が違えば死の判定方法は異なり得る。したがって、「脳死・臓器移植」問題も結果としては、現代日本という社会の文化のなかで「脳死」を「人の死」とみなすべきかどうかということに早きる。実際に、「脳死」の定義をめぐり、同時に「人の死」について、様々に論議されてきたわけである。心臓移植が行われるための前提として、社会で「脳死」を人の死と認めるという作業が先行しなければならない。だからこそ、「脳死・臓器移植」という並び方で問題が設定されるのである。

4.心臓移植の歴史

「脳死・臓器移植」問題がなぜ「人間の尊厳」の理念と結びっくことになるのか、両者の異体的な関連を以Fに検討する。
 私が専門とする法学を含め社会科学という学問は、自然科学とは異なり、理論の正しさを確かめるために実験をするということは原則としてできない。実験の代わりに歴史的事実を調べるということになる。ここでも、心臓移植の歴史を振り返ることが必要になる。ある事柄の本質は何かを探る場合に、その最初にまで遡ることによって解答が明らかにされることが多い。結論を先に示せば、「脳死・臓器移植」問題の本質は、最初の心臓移植においても、また続く発展史においても、さらに日本最初の心臓移植においてみることができる。共通して指摘できることは、脳死状態の人に対する人権の配慮に欠け、・同時に移植された患者に対しても人権の配慮に欠けていたといわざるをえないのである。
〈1)南アフリカ共和国
1967年12月に南アフリカで初めて人間の心臓を用いる移植が行われた。なぜ、他の国でなくて南アフリカ共和鴎だったのか。翌年に22カ国で102例も心臓移植が行われたことがその答を与えてくれる。というのは、心臓移植手術そのものは、すでにその時点で多くの国で可能なものであったと考えられるからである。他の国では技術以外の理由でそれまで手術が行われなかったことになる。
 結果として南アフリカ共和国が世界最初となったのは、この国が世界じゅうの非難を浴びながらも、アパルトへイトを国の政策としてとっていたことを抜さに考えることはできない。例えば、アメリカでは動物実験等を繰り返し、技術的にはかなり早くからその水準に達していた。ところが、国内の人権擁護論者たちの反発を恐れてアメリカの医師たちは手術に踏みきれなかった。人体実験ではないかとの批判が怖かったのである。この間の事情は吉村昭『消えた鼓動 心臓移植を追って』に詳しい。
 ところが南アフリカ共和国は異なっていた。一般に人権や平等の問題は、その国で営まれている社会生活における全般的な問題を示している。南アフリカ共和国でいえば、肌の色による差別を公然と行いながら、他の弱者への人権侵害が行われていないと考えることは困難である。どこの国でも患者は弱者であり手術室での患者がその典型である。密室に運びこまれ、肺酔で意識もない。なにも見ることも聞くことも出来ない完全に無抵抗な存在になっている。脳死状態の患者も同様であり、すべては他の人の決定に委ねられている。しかも回復不可能であるから、手術後の患者のように、訴訟を提起するなどということもありえない。「脳死」問題とは、これはど弱い立場におかれた脳死の人に対してどれはどの配慮を行うかの問題であり、結果として、それぞれの社会のありようが見えてくる。つまり、南アフリカ共和国が弱者一般の人権を無視していた国であったからこそ、国内世論などを気にすることなく世界最初の心臓移植に踏み切れたと考えられるのである。しかも、『消えた鼓動』が指摘するように、必要な動物実験も満足に行わずにいきなり手術を試みたとの疑いが濃い。68年に手術に踏み切った22カ国の医師たちは、世界のどこかで「例日があればと実験や準備をし、南アフリカで行われると1年とたたないうちに、堰を切ったように心臓移植を行った。おそらくそれまでは、前提となる「脳死」を人の死とみなすこと、または、心臓移植をすること自体に靖躇せざるをえなかったと考えざるをえない。第一一例臼に対して、国内の人々が、世界がどのような反応を示すか、それをはとんどの国の医師たちは気にしたのではないか。この気がかりこそが、患者を救おうとか、世界で第・例日という医学史上の栄誉を担うといったことを、抑えるだけの圧力となっていたといえよう。
 現代世界の人権におけるエアーポケットともいえる、南アフリカではその姥力がなかった。人種による差別が認められる社会では人権一一般が軽んぜられるのは当然であり、現に生きている人たちの人権が認められない社会で死にゆく人の命が粗末にされても決して不思議ではない。そんな南アフリカだからこそ、心臓移植の第一例は行えた。 結局「心臓移植」という医療は、南アフリカという人権の尊重を否定する、人権保障についての世界の最も後進国で産声をあげたということになる。そういう汚点を背負って生まれた医療なのである。

(2〉 アメリカ
 世界のその後の動きをみてみよう。68年に22カ国で102例が行われたことは先に示したとおりあるが、ところが、手術数は69年48例、70年16例、71年には14例まで下がった。しかもこれらの例は、はとんどがアメリカであった。なぜ、アメリカを除くはとんどの国で移植手術が行われなくなり、あるいは減少したのか。
 これは決して「脳死」問題からではなかった。12月に第・−一例が行われ、翌年すぐに22カ国で移植手術があったということは、その22ヵ国の手術を手がけた人が、それぞれの国の国民のコンセンサスを得た後にやったとは思えないし、またそんな時間もなかった。また、倫理的な問題で社会的な批判を受けてやめてしまった国は日本だけだと言われているのである。
 手術数が極端に減ったのは、手術自体は技術的に成功しても、よい免疫抑制剤がなかったので、患者が次々に拒絶反応で死んでしまったためである。事実、やがて新たな免疫抑制剤が開発され、さらに拒絶反応を早く発見する技術も開発されると、アメリカ以外の団でも再開され心臓移植は軌道に乗る。84年にサイクロスポリンという画期的な免疫抑制剤が開発され、85年以降手術の数が急増し、生存率も高くなっていった。
 この事実は何を物語っているか。移植手術の正否があくまでも手術による延命がどれはど実現したかということで判断されるとすると、少なくとも、初期の患者はわれ先にと手術をした医師たちによる犠牲者であったといわざるを得ない。その重要さが今は当たり前のように強調されるインフォームド・コンセントも、その由来のつは、人体実験における患者の同意とりつけの場での考え方であって、そのきっかけは、まさに初期の心臓移植手術が開発途上の技術とみなされ、すべて人体実験としての手続きをとることが要求されたからである(米本昌平)。事前に実験の目的や危険性などが十分に説明され、患者が自発的に同意することが必要条件となった。70年代のアメリカは、心臓移植手術をきっかけにこの思想を医者・患者関係の基本に置こうとしたのである。
 それでは、術後の結果が思わしくなく、諸南が次々と心臓移植をしなくなるなかで、アメリカだけが、69年以降もはそぼそとながら続けたのはなぜなのか。その見逃せない要因の−つとして、定期的な資源としての供給源があったという事実がある。すなわち、心臓提供に最も適した若者の交通事故死が多かったという事実である。アメリカでは交通事故死者数が、65年以降5万人以上という年が続いていた。69年には5万5千人を超え、人ulO万人あたり28人〜30人という非常に高い数字になっていた。臓器提供者のおおよそ3分の1は交通事故での死者である。ここには、モータリゼーションの進展がもたらした文明の負の先進性という背景がある。
 アメリカでは、ドナーとなることを承諾する意志表示が、ドナーカードとして自動車免許証と一体となっている。常時身につけておけば、家族が間に合わなくても移植手術にかかれる。臓器移植が日常医療として大規模に行われる体制は、多数の自動車事故死という先進国型の社会的危険を前提にしていることを意味している。
 そのアメリカでは最近、心臓移植のドナーの減少が見られる0その原尚には、違法運転についての取締の強化、バイクヘルメットの着用、シートベルトの着用が挙げられている。同時に、銃に対する規制強化も原因として指摘されている。銃を自由に持つことができる先進国で、脳死による臓器移植が推進されてきたのである。車と銃、アメリカ社会を象徴するこれらが適正に規制されれば、多くの若者たちの人権を「脳死の人」となる前に守ることも不可能ではないはずである。
 このように歴史を振り返ると、心臓移植という先端医療が実は、たいへんな人権侵害と文明の危機をその基礎としたことに気づく。私達は臓器移植というと、先端医療、先進技術というイメージを抱く。それは間違いない。そうした技術の進歩が絶対条件になる。しかし同時に、その先進性とは、交通事故や拳銃発砲事件の多発という、絶対に望ましくない先進国性とも結びついてきた。きわめて悲劇的に一一生を終える若者が数多くいるという、現代社会がかかえる病理との関連を無視して、「脳死・臓器移植」問題を語ることは許されないのである。


〈3〉 日 本
 歴史の点検作業として、最後に日本の「心臓移植」を振り返っておく。「脳死・臓器移植」問題は、きわめて日本的な問題といわれる。その理由の・つは、日本人の適体に関する観念の特殊性ということに求められ、このことは否定できない。だが、それと並んで、一一例だけ行われた心臓移植手術が疑惑につつまれ、不明朗な性格を帯びたものであったことも、日本の「脳死・臓器移植」問題を特に複雑にしてきたのである。心臓移植はどうしても必要な医療だといわれる。諸外国が移植医療を認めてきたのもそれが最大の理由であり、移植を推進しようとする医師たちは特にそのことを強調する。それはど必要な医療であれば、日本ではなぜ行われなかったのか。提供者がいなかったというのも事実であろう。移植が現実化していない日本では提供希望者がまれであるということは認められる。
 だが、本当の理由は医師たちが告発を恐れたというところにあったのではないか。各医療機関の倫理委員会は、倫理よりも、いかにして法律に触れないか、告発を受けずにすむかということに神経をとがらせているようにも思える。
 告発というのは、犯罪の被害者でない者が、捜査機関(警察著・検察庁)に犯罪が行わたことを申告し、犯人の訴追を求めることをいう。もちろん、告発があっても、実際に検察庁が起訴するかどうかはわからない。68年の和尚移植の場合、心臓提供者が生存しているうちに心臓を摘出したのではないか、あるいは実験的に移植手術をしたのではないかといった理由で、殺人罪で告発された。札幌地方検察庁も刑事事件として捜査に乗り出すという事態になったが、さまぎまな疑惑が指摘されながら、検察庁は結局、この事件を証拠不十分を理由に不起訴処分にした。犯罪ではないとされたのである。それでも、やはり医師たちは、和田心臓移植のように世間から疑念をもたれることを恐れてきたのである。
 臓器提供者と移植を受ける患者の両方の人権を最大限に等重したものであったとは言い難い手術によって、医療全般に対する不信が増幅され、結果として日本におけるその後の心臓移植への道は完全に閉ざされてしまったのである。


5.専門の枠を超えて


 次に、市民一人一人が「脳死・臓器移植」問題を考えていく場合に留意すべき点を、般教育の責任部局としての教養部で、批判的市民形成の−−【一環として「法学」を教えている立場から指摘しておきたい。


(1〉 市民の視点
 まず、専門家の見解を非専門家は受容せざるをえないというやり方を絶対に避けねばならない。とかくこうした議論では、専門家の枠のなかで考え行動することを結果として強制されてしまうことが多い。当たり前のことだが、私たちみんなが医療の専門家になる必要は全くない。
 そもそも専門家である医師自身が医療を行うさいにも、違う方法がたくさん存在する。同様に、専門家的でない考え方もあって、つまり別の考え方があって、それが良いということもありうるということを、逆に専門家たちに認めさせなければならない。インフォームド・コンセントということが、決して医師という専門家から患者という非専門家へと一方的に流れる情報を意味するものであってはならないのと同じである。
 すでに専門主義だけでは限界があるということは分かっている。心臓外科の専門医の立場だけからすれば、心臓移植は望ましいといえるのだろう。眼前の患者を救う方法がそれ以外になく、免疫抑制の薬も開発され拒否反応をおさえることができるならば、他の医療行為と同じに考えてよい。だが、はたしてそれだけでよいのだろうか、と専門家自身が問わねばならないのである。
 かっての医療の現場ではしてならないこととなすべきこととの境界は明解であったかもしれない。しかし今日の技術の進歩は、受け持つ患者の命を−−・刻でも延ばすならどんな診療をしてもよいというわけにはいかなくなっている。研究や診療の一一一一つ−一つの取り組みごとに倫理的な判断が問われかねない。科学技術の進歩とはこういう時代の到来を意味する。
 高度料学技術や医学の問題は、たんに科学者・技術者、医師としての立場だけでなく、人間としてのそれに依ることなしには解決されない側面をもつ。とくに医学の分野では、専門主義では片づかない問題が山積している。これまで専門主義だけでやってきた以上、当然のことで、その解決策を考えるノウハウを、専門主義それ自体はもっていない。
 心臓移植が行われる場合でも、何か心臓移植を正当化しもっともらしくするものが前提とされる。技術として可能だからという理由だけでは敢えて行うことは躊躇される。前提は、どうしても生命を救いたい、この人を生きさせようという医師の使命感であろうが、その場合に必要になるのが、人間の尊厳に合致したかたちで行わねばならないという条件なのである。他者の「人間の専厳」を侵害しないかたちで必要な臓器を取り出し、また、それを提供された人がたんに寿命が延長されたというだけではなくて、「専厳」にふさわしい人生がその後送れるということがどうしても要請される。こうして、「人間の専厳」という観念が登場してくる。 移植手術を成功させるためにはさらに、患者そして家族も治療計画に加わり困難なセルフケアを主体的にやっていかなければならず、そのために時間をかけて学んでいくべき内容が多いといわれる。医療は患者たちのそうした必死の学習を支えるという、過去には医療従事者が磨いてこなかった能力とともに、それを可能にする体制を持っていなければなない。「尊厳」ある生を支えるためには、患者本人にも、それを取り巻く家族や医療スタッフにも未知の努力が要求されるのである。
 こうして、心臓移植は「人間の専厳」に関わるという点で、現代医療の他の諸課題、例えばホスピス、ガン告知、尊厳死と全く同じ地平で論じることができるのである。医療技術が革新的であればあるはど、患者の側の適応上の問題も大きく、同時にケアの体制も高度にならねばならない。従来のともすればテクニカルな側面だけを突出させがちであった「脳死・心臓移植」問題の方向を、問題をトータルに捉え、さまざまなケアを桔び付けていく医療問題として転換させる必要がある。
 臓器移植をいかに上手に行うかという技術の問題ではなくて、<何のために行うのか、「人間の専厳」を守りながらどう行うのか>が問われなければならない。専門家による、専門家のための医療技術の発展は困る。専門家が市民に提示すべきことは、例えば、臓移植について、この技術が導入・普及するのに価するものかどうか、市民が事前に評価し判断するためのデータである。心臓移植を受けた患者がどのくらい健康を回復することができるのか、再び心臓病になることはないのか、2つめ、3つめの心臓移植が必要となった例はどのくらいあるのか。このような情報の提供を受けた上で、市民が議論できること、而民が議論すべきことの中心は、脳死の人を死んでいるとみなすことでどのような影響が社会にあるのか、そして「尊厳」ある生とはどのようなものか、に集中するはずである。
 市民は「脳死」の問題を、決してそれだけで考えているわけではない。日常の医療の延長線上で考えている。もし心臓移植が再開されるなら、それをきっかけにして、指摘される「患者本位の開かれた医療」が実現されることを期待しているのである。


(2)法学者の視点
 法学者は、一般に立場交換可能な人間関係を前提にして考える。規則を作る場合、ある立場に立って有利な場合、逆の立場に立った場合はどうなるかを考える。これは、現在の自分の立場に立ってしかものを考えようとしないのが人間の常であることを考えると、非常に重要である。 脳死を人の死と認めるべきかという問題は、各人の自由を尊重しようといっても、私たちは絶対に脳死の人の意思を聞くことはできないのであるから、当事者の過去ではなくてその時点での考えを確認することはできない。だからこそ、脳死の人たちの利益を損なわないようにするために、人権を侵害しないように彼らの立場になって考えるということを、徹底して行う必要がある。
 移植医の立場、臓器をもらう人の立場、患家族の立場はこれを代表して述べる人はいくらでもいる。しかしながら、自分の主張に明確な利益のある人々の話だけを中心にこの間題を考えてはならない。
 日本国憲法に規定されているような人権は、概して多数者のものではない。例えば、表現の自由にしても、その社会の多くの人が抱いている見解が封じこめられることは、あまり心配しなくていい。侵害される可能性が大きくそれだけに守られるべきは、少数者の人権である。同様に、脳死者の利益は、彼らがもの言えぬ存在であるだけに、細大もらさず考慮にいれなければならない。
 次に、法学は権力が乱用されないように規制する学問であるから、法学者は、権力が乱用されないように細かい手続きを定めておこうとする。これに対して、ひとは普通、細かい手続きを避けたがる。
 目的さえ良ければ手続きなどどうでもよいではないかという考えが強く出てくることもある。「脳死・臓器移植」に関して言えば、脳死を人の死とすれば臓器をもらって長生きできる人がいるではないか、−一人の人の命を救うという目的は絶対に良い目的だから、そのためなら手段は適当でよい、という考え方もある。確かに人の命を救うということだけを目的すれば、否定できないだろう。だが、他に医療の目的はないのか。脳死と断定された人のもっ人権を守るということは目的に入れてはならないのか。
 また、なにが正しく、かつそれだけを追求することが許される目的であるのかということを、いったい誰が判断するのかということも問題になる。現代社会の特徴は価値観が多様であるということにあり、とりもなおさず各人の目的意識が異なっていることにある。このような社会では山−−一一律の解決は困難である。
 さらに、「脳死・臓器移植」の問題で生命の尊重を言う人が、では交通事故をなくすめに一切のマイカーをなくそうといった議論になるとすぐに認めるということにはならないだろう。こんな議論が展開されてはこまる。目的がよければ、手段はかまわないというわけにはいかないのである。
 法学をやっている者は、起こりうるあらゆる場合を想定し、どのような場合にも不都合なことが生じないようにしておこうと考える。これに対して人は多くの場合、現在起こっていることをどう解決すればよいかということしか考えない。そのため、ある事件の解決にはよかった
ことが、条件が少し異なったりすると困難を生じ、首足一一貫を欠き、不公平になることもある。
 かりに、脳死を人の死と認めるとしてどういう問題が生じるか。臓器移植は認めても、「脳死の人」の身体を血液製造一工場とすることは認めないとすると、どんな根拠でと問わねばならないだろう。森岡正博『脳死の人』が指摘しているように、脳死を人の死と認めることが、心臓移植を認めること以外にもつながることに留意しなくてはならない。

6.正しい医療へ

「脳死・臓器移植」問題といわれるが、あるべき「心臓移植」の前にたちはだかっている壁は多い。脳死を人の死と認めることへの社会的合意だけではない。倫理委員会が公開にされること、そして治療内容が透明になることも必要である。医療はどんな市民にとってもわかりやすいものでなければならない。なぜ「脳死」を人の死と認めなければならないのか、「心臓移植」をすればどんな人がどんな人生を送るのに役立っのか、あまり考えなくてもわかる医療であることが望ましい。わかりやすい医療こそ、正しい医療、善い医療と呼びうる。
 残念ながら、定義にまつわる論議の専門性にも災いされて、市民にとって、移植医療はわかりやすい医療とはなっていない。遠ざけられた死、わかりにくくさせられた死、われわれの社会を分かりにくくさせているものの象徴として、「脳死」問題の分かりにくさがあるともいえる。
 移植実施段階に入れば、提供された臓器を公平公正に分配する、分かりやすい公的なシステムも要求される。脳死を社会が認めないから移植医療が進まないという意見がある。しかし、脳死とは無関係の角膜提供をとってみても、日本は欧米に比べてきわめて少ない。臓器提供を自発的にしたくなるような公正なシステムを社会全体で作りだしていくことが必要である。
「脳死・臓器移植」問題は、ある状態の人間を「生きている」とするか、「死んでいる」と名付けるか、というたんなる名称変更の問題では決してない。生命倫理の諸問題は、社会全体が「生」や「死」をどう捉えるかを問うている。狭い意味での医療問題から、人間観、生活をささえる価値観やさらに地球全体の問題にまで考察の対象を広げる必要がある。今の日本は、現世的な価値観、目の前の利害だけで動いているとも批判されている。いま自分が生きている社会、いや社会とはいえない、はんの小さな人間関係以外のことが考えにくくなっている。医療を文化や社会構造と切り離して考えることは無意味である。「脳死・臓器移植」の問題も、それが人と人との関係の問題に他ならないということを確認することによって、現代日本社会への反省とも相まって、大きな意義をもつ可能性をもっている。
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