−<特集>患者の権利について考える
精神障害者を取り巻く地域の動き
          くろゆり作業所指導員 中 田 なみ子
 患者の権利ということですが、私は、共同作業所の中でも、小松市にあります精神障害者を対象とした「くろゆり作業所」というところで指導員をしておりますので、私がお話しするのは、精神障害者と呼ばれる人たちの今おかれれている現状といったほうが正しいかもしれません。私は、自らは精神障害者ではないので、精神障害者のおかれている立場はこうで、権利はこうだ、と言えるほどのものがないんですが、現状を皆さんに知ってもらうだけでもいいのではないかということで、このシンポジウムに来ました。

1.くろゆり作業所の概略
 まずおおざっぱに、くろゆり作業所の概略と平成6年の3月までの1年間に、どういう人達が作業所に出入りしたかということを、簡単にまとめてみました。
 この作業所は、小松保健所管内の1市4町(小松市、根上町、寺井町、辰口町、川北町)の精神障害者をかかえる家族会が運営しています。病を克服しながら、入院中あるいは退院してきて地域の中で暮らしている障害者をかかえている家族の会が運営主体となって、国・県・市町村から少しずつ補助金をいただきながら、最初は手弁当で始めた小さな作業所です。開所して6年、平成6年で7年目にはいりましたが、私は平成2年の9月からそこで指導員をしています。
 平成5年あたりから、指導員のほうでもかなり、もっと地域の中で精神障害者の現状や作業所のことを知ってもらえればいいのではないかということで、「作業所通信」も発行し始めました。色々な動きの中で、家族も関係者も非常に多くのエネルギーを使ってきました。平成6年4月には第2作業所も開所します。小規模作業所を運営していくためには、本当に家族の力だけでは限界があることを感じ始めていました。
 《くろゆり作業所を支える会の活動》
 家族と関係者の間だけでは、地域に暮らす精神障害者をフォローできないし、そうすべきではないと思いました。限界を感じた時、どのようにこの思いを展開していったらいいのかと考える中で、「くろゆり作業所を支える会」という名前で、一般の人たちにわずかずつでも精神障害者のことを知ってもらおうと思い、また、わずかずつでも皆さんが持っておられるカの一部を使ってほしい、使わせてほしいということで、年会費3000円で会員をどんどん募って歩いたのです。最初は知人や保健所や市役所の関係者から始まったのですが、次第にその知り合いや色々なところへ広がっていきました。現段階では、約半年で個人会員は129人、会社などの団体会員(会費2万円)は11団体集っていただいています。やっと今、これだけの体制ができてきました。
 そして次には、黒豆のお菓子などを作って販売しようと計画しています。しかし、販路がなかなか見つかりません。素人ですから、菓子問屋もなかなか受け入れてくれません。スーパーにとびこんでいっても、商品をおいてくれるわけではありません。ですから、この129人が最大かつ最高の販路となるのです。これらの方々と、これらの方々につながる全然作業所と関わりのない隣のおばちゃん、私の柿の家族といった人たちが、どんどん買ってくださるということが起こってきます。すると、今度は作業所では自分達でつくった色々なものが売れるんだという確信がわいてくる。だから、色々なこともまた企画していけると思うのです。

2.稚神杜育の原田
 次に掲載したのは適所者の方の文章です。
 これは、私が朝9時から「おはよう」で始まって、夕方4時に「ごくろうさん」で終わる、毎日の精神障害者の人たちとのつきあいの中からでてきたものです。「こういうシンポジウムにでにやいかんのやけど私は一体何しゃべっていいかわからん」と昼休みに言ったところ、「そりゃ中田さんも大変だねえ」と皆が同情してくれて、その中のひとりが「僕の体験でよかったらまとめてきてあげようか」と言って書いてくれたものです。この彼のことを代弁しながら、これはもう本当に、今の地域の精神障害者がおかれている状況そのものだと思うので、これをもとにちょっとお話ししたいと思います。
 彼は、作業所に来て5か月になります。彼が精神を病んだのは大学時代で、県外の公立の大学で、剣道に青春を賭けていた頃でした。「剣道にうちこみすぎて、もう、身体も心も疲れちゃったんだよね」と彼が言うように、大学時代に発病しました。その後、小さな会社に勤めましたが、そこで勤めきることができず、家にいたり、というようなことで、今は両親と3人暮らしをしています。現在、30代後半になっている男性です。
<精神の病について>−一つの試み
黒ゆり作業所5ヶ月の体験ヨリ
Y・K
その要因
1.社会的疎外
 精袖病患者への無理解
2.家庭的要因一変情の欠落
 この2点になりそうです。
「社会的疎外感」は日本も欧米並みの精神病愚者への理解が出だしたのでこれはかろうじて克服クリアーできる
「家庭からの疎外」
 −これが一番厳しい。これを克服するのは「友情」の他ありえない。
つまり血縁関係より友情関係へ・・・…

「友は道のすべてである」とここにつどう誰しもが悩みをもち苦悩をもっている
ありとあらゆる愛情閑係が友情の鎗につつまれる時 ひとは得がたき依り所を得るのであります。


  友よ
 苦しみを分かちあおう
  一人の道よりも
  二人の 道を
  三人の 道よりも
  百人の道を
  ここにつどい集まる
  すべての友に対して
  新しいこの世界において
  喜びを分かちあおう
  太陽が空を照らすように
  月や星々が夜空に
  輝くように
  我々も不変の友情を
  もとう
  不変のやすらぎを
  分かちあおう
最後に
友よ 我々の人生に 光あれ!
 《社会的疎外感》
 彼は、何が精神病を起こす原因になっているかということについて、一つは、社会的な疎外感、もう一つは、病者が暮らしていく時にもっとも感じること、この二つであると書いています。つまり、一つは社会的な疎外感で、もう一つは家庭の要因だということです。やはり、一つの社会的疎外感というのは、精神病という病名がついて一度入院してしまうと、一番先に起こってくることは、親戚とか、近所とか、それからそれまで友達づきあいをしていた人たちとの、ある意味では決別です。精神病を長く患っている人たちは、ほとんど昔の友人関係がもう切れてしまっている。つきあってもらえない、もう全然相手にしてもらえない、というような状況が本当にあります。「社会的疎外感は日本も欧米並の精神病患者への理解が出だしたのでこれはかろうじて克服クリアーできる」という彼の考えは少し甘いと私は思っています。社会的疎外感の問題もまだまだ解決していないのです。
 《病院生活と患者の権利一座敷牢》
 それから、作業所に来ている皆さんに、「これから患者の権利の話をするんでね、私は患者になったことがないんで、病院の中で、みんながいちばん頭にくる医療者の、医療状況とか、病院の対応で何がいちばん自分達の権利を阻害していると感じるか」ということを、お茶の時間にお茶飲みながら聞いたのです。その中で20年近く入院していた一人の男性患者は、「あそこは、あの時代劇に出てくる座敷牢と一緒だ」と語ってくれました。牢名主みたいな力を持っている患者さんがいて、入院してきた時にその人にいかに媚びるか、それからいかにその人につけ届けをするかでその後の入院生活がほとんど決まる。そういう状況に新入患者が置かれていることを医療者が知りながら、全く知らないふりをしている。そこでは規律がなんとなく守られている
ことで、医療者はそのことをよしとしている部分があるということを言っていました。
 《よかったこと》
 次に、「何がいちばん病院の中で、よかったと思った?」と尋ねると、県内のいろいろな病院をわたり歩いた経験のある男性が、某県立の精神科の単科病院の名前をだして次のような話をしてくれました。彼がその病院で、具合いが悪く、元気がでなくなり、自分のベッドで寝ていた時に、「誰それさん、お薬ですよ」と、初めて自分の薬をベッドサイドまで持ってきてくれたという内容です。私も以前に10年ぐらい医療関係にいましたからそんなことは、普通の内科や外科では当たり前だという話をすると、「いや楕袖科じゃ、そりゃほんと、僕、長い経験でそれが初めての経験だった」ということです。「どんなに自分の頭がふらふらしたり熱があったとしても放送とかで、大きな食堂などに呼ばれて、看護婦さんに『はい、お薬』と言われてずらっと並ばされて、薬をもらう。それで自分で飲む分にはまだいいんだけど、もっとひどいところでは薬の封を全部切ってあって、順番に『はい口開けて』と言われて、口の中に薬を入れられて隣でコップをもらって水を飲む。はいそれで終わり。それが日に三度続く。もうあれは、病人を扱うような態度ではない。僕は寝てた時に看護婦さんがお薬だよって言って持ってきてくれた。あれがほんと一番うれし
かった」と言っていました。
 だから、精神病院の中での患者と医療者の関係というのは普通の病院とは全然ちがうのだなということを、あらためて私はその話の中で、体験した人達の話の中で知ったような気がしています。
 《家族からの疎外》
 家庭からの疎外、これが一番厳しいと彼は書いておりますが、これは私も作業所に勤めていて感じます。家族との関係がうまくいっそいれば、本当にあの病気は克服できていくと思います。長い治療生活の中で、どうしても家族のみんなは、他の障害者と違って精神障害者の障害が目に見えないのです。手が動かないとか歩けないとか、そういうものと違い、見た目には本当に元気でピンピンしてるものだから、家でゴロゴロゴしてると、つい、何か言いたくなることがでてくるのです。それから15なり20歳まで普通に学校に通ったり、勤めていたりしていたので、その時代のことがどうしても頭にあって、これが今、本当のこの子の状態じゃない、この子はあんなに元気で通ってたんだ、という思いがどうしてもあるものですから、それを求めるのです。それでやっと作業所に通えるようになったのに、「そんな作業所なんか行っとらんでちゃんと就職しまっし」と母親が言うとか、たまに父親とコミニユケーションをとろうと思って、一緒に晩酌しようかと言ったら、「普通に稼いでもおらんやつが、酒なんか飲んでうまいかいや」と言われて、なんだか父親の横にもう座る気がしなくなったとか、そのような家族の中での葛藤があります。そういう中で彼は、「もう自分たちが回復していくには、同胞との友情関係しかない。それをこの5か月、作業所の中に通ってきて、自分は感じた」と言うのです。

3.二つのハンディキャップと社会的リハビリの必要性
 やはり、精神障害者の人たちには、社会的なリハビリというか、二つのバンデイキャップがあります。精神病という病気そのものの持つハンディキャップ、それに関して治療段階にうける副作用、薬の副作用なんかによる障害と、それともうひとつ大きいのは、10年なり20年なりを社会から疎外されて生きてきているという、生活者としてのハンディキャップがあるのです。本当に多感な青春時代を、病院の中で、そういう非人間的な扱いを受け、受け身の生き方をしてきて大人になってきているので、それから20年経って「はい退院しなさい」と言われて退院してきても、それだけでは生きていけないのです。簡単にいうと、電車の切符の買い方がわからない。ひどい話ですけれど、食堂に入った時、メニューをみても病院の給食にでてくるようなものは頭に浮かぶけれど、それ以外のものはまったくどういう食べ物なのか頭に浮かばないというようなことがあるのです。先の文章を書いてくれた彼とこの間、喫茶店に入った時のことです。そうしたら彼が、「喫茶店に入るのは10年ぶりだなあ」とか育ってるのです。
 やはり社会経験がものすごく少ない。そのことで社会の中で、「あれ、あの人ちょっと変なんじやない」と思われるような言動がどうしても起こってくる。そのことも克服していかなくていはいけないハンディキャップだと私も思いますし、それを克服するのは、もう、医療者ではどうにもならない。やはり同じ生活者として暮らしている身近な人たちの中から獲得していく、一緒になって獲得していく以外にないということを今、考えています。

4.精神障害者作業所と医療機関の協力を
 最後ですが、今日は医療者や医療機関の方がいらっしやるかと思うのです。最近読んだ本に書いてあったのですが、小規模作業所が全図でものすごく増えてきています。精神障害者の作業所で800か所もあるといわれてます。年間20%ぐらいづつ増えているそうですが、今の医療槻閑はまだまだこういう小規模な施設を紹介はするけれども、その施設に対して協力をしようという姿勢が極めて少ないという意見が書いてありました。私もこれは本当にこの通りだと思っていますので、関係の医療横閑の方がいらしたら考えていただき たいと思います。
シンポジュウム参加者の感想
○私は半年ほど精神病院にアルバイトという形ですが勤凱ていましたので、中田さんのお話
には、少ない経験ではありましたが、大きく共感できる事柄が盛り込まれており、その現那の
状況改善のためには、これからどのような事を克服していけばよいかということを改めて考えさ
せられました。また他の先生方のお詰も、いろいろな分野からの多角的なお話で、この間題を考
ぇるにあたっての視野が広がりました0(T・K)
○精神障害者の方と関わる中で常に心がけなければいけないこと一相手に肘る其の理解こそ
柳の保護につながるのだと思います。なかなかロで言うほど簡単なことではないでしようが、
心して取り組みたいと思います。(K・T)
トップページへ戻る 目次へ戻る