−<特集>患者の権利について考える
患者の権利について考える一息者の立場から
             患者会・ユトリング 森   久 子
 学問して、考えて、おぼえて話すのではなく、がんと知らされて心身共に痛さ、苦しさを通過して今日あることを申し上げるだけで何だか責任がないように思えるが何卒お許し下さい。
 私は4つのがん(子宮がん、乳がん、直腸がん、肺がん)をのり超えて今日生かされている。その間には、生きられるのか、働けるようになるのか、元気な皆さんの仲間入りすることが出来るようになれるのか等、さまざまの不安が浮かび上がって来ました。但しこの件について医師との語り合う場はありませんでした。私においてはこれ皆自分にかかっている荷物と受けとめて、平常心を保つことに心掛けていた。但し、病室に外来にと、入退院、通院しているうちに多くの患者の友が出来た。その方々と話し合えば不安と愚痴ばかりが多くて感謝なんか程遠い。言い変えれば、一種の精神病患者のように思える。それでは精神科に受診となれば更に心の病は重くなるようにも思える。又、何でも良いから治してほしいばかりではあるが、不信、不安を問い正したら返答がこわい。又、失礼になるのではないかと我のはからいを入れて我慢している点が多く見られた。
 私は「がん告知」を以前から主張して来ました。平成4年4回目の肺がんの時は主治医にお願いしました。いよいよ家族に「00時に来てください」と云われた時「私をはづしてこっそり話し合わないで、私も同席しはっきりと現在の状態をお聞かせ下さい」とお願い致しました。それで症例検討室にて過去に撮った多くのフィルムをずらりと並べ、右肺を指し「病巣はこれです」とはっきり教えて下さいました。その時は全く生死を越えた話し合いに思われました。もう自分のカにては何一つ出来ない、総べておまかせ、「よろしくお願いします」と私の口から申すことの出来たことを幸せに思いました。先生には「こんな患者ばかりならいいがね」と言われた。その時肉体を治療する以前の御苦労を強く感じ表面だけ見ている私が恥かしく思いました。
 4つのがんにおかされたが治していただいたこと、今日元気で生活出来ることを深く感謝しております。但し元気とは言って一つ手術するごとに何等かの形で置土産(故障)はあるが、生かされている悦びの方は限りなく大きくなるばかりです。病気が私に感謝の心を育てて下さいました。
 昨年(平成5年)の春、厚生省老人保健福祉局老人保健課から突然私に電話があり、医事評論家の水野肇先生が私の4つのがんをのり越えて生きている珍品を記事にしたいから4つのことを簡単に書いてほしいとの要請がありびっくりしながら一筆簡単なものを厚生省に提出しました。又更に主治医のコメントを頂くとのこと、私も勝手なことは書けないのです。
 驚いたことに何と雑誌r文芸春秋」7月号に、4つのがんを克服して今日生きる者、金沢に住む森久子と掲載されているのでびっくりしました。
 厚生省が国内のがん患者を調べたが4つのがんに罷り治って元気にしているということは非常に珍しいケースであるそうな。それで現在は早期であれば治る時代であるとの証明に私を引き出されたと思います。
 現在世の中には色々な条件によって不安、不満のまま病気と立向かっておられる人に多く摸することが出来た。そして私の過去のがん体験からお話しする横会を数多くいただきました。相談会やはげましの会という公的、私的の会合にまいりましたが、その中から1−2例として、
 Aさん、集団検診の結果、更に精密検診を勧められ、もう「がん」ときめこんで「がん=死」という気持になってしまい、ただこわいこわいばかりになってしまい、どうしようも出来なくなり、自分の無智なることを知らされた。
 Bさん、病気の本名(がん)を隠し続けておられる。本人は良くなることと信じている。但し病は逆に悪い方にどんどんと進んでいる。この人は私と直腸がんが同時期、肺がんも同時期、主治医も同じ、更に病室も同じでした。ところが私が退院が近くなる頃から目に見えて悪い方向に進行している。本人はこんなはずではなかったと先生(主治医)を恨み始めた。それから間もなく他界された姿を見せていただきました。
 今世の中にがんが一番おそろしい病のように思われ、又、取り上げられているが早期発見であれば治る時代に来ており、心の置所が一番大切としみじみ感じ複雑な思いです。
 さて患者は命がほしいばかりで医師におすがりするが、いざとなると患者の要求も開いシンポジュウム参加者の感想てほしいとなる。その要求は勝手なのか無理なのか何だかわからなくなる。
それでその例をいくつか取り上げてみると
1.告知の間産
1.検査の要求
1.病状の相談
1.延命治療について
1.安楽死の要求
まだまだあるだろうが私の頭に浮かんだもの、以上これらは患者の権利として要求できる問題と思うが、医療従事者側から言えば法律にもとづく難しい事かとも思える。特に延命治療を止めていただく間麓、安楽死の件等は、患者側のはっきりとした念音、例えば同意書のようなものが必要となるのか等、平素から常識的な教育が欲しいと思います。
 人間、今日は元気でも必ず迎えねばならない死の問題を後に廻して生きる話ばかりを前に持出している。私の表面は一人前に見えても体内はメチヤクチヤでいつも死の隣にて生
活していると思っている。だから残された人生は有効に、そして人生の別れはきれいにと願っている。最後は御縁あってお世話になった方々には心からありがとうと御礼を申し上げたい。それには無駄な延命治療を止め安楽死を望みます。
○インフォームドコンセントや病名告知などは、今の時代では行われて当然のことです。しかし、誰にでも100%インフォームドコンセントや告知があてはまるかといえばそうではありません。最近になって、流行のようにインフォームドコンセントや告知が騒がれていますが、もう少し慎重に言動することも大切だと思います。あくまでも「選ぶ権利」というものであるから…。
(T・W)

○現状をかえるためには、患者の権利をつくる会等に参加する等の一人一人の積庫的行動が重要となるということが印象深く残っています。また森さんの言葉には何か人生の教えを解いていただいたようですばらしいものでした。(T・K)
_<特集>患者の権利について考える
く会場からの発言〉
(司会)フロアの方から追加して、少し積極的に、御発言なり意見をお出し頂きたいと思います。

◎「障害者」の権利の立場から◎
(高)私は障害者の立場から一言いいたい。障害者の権利っていうか、井上きんのいい方でいうと障害を持っている人ですが(障害者という言い方自体はちょっと差別じゃないかっていう語は有るのですけども)、そういう立場から言うと、さっき精神障害者の患者会の作業所の人が喋っておられたように、障害者の人権というのはまだまだ日本では低いんですね。
 具体的にどう低いかっていうと、障害者は地域で住む権利がまず無い。どうしてその話をするかというと、年金問題でいつも開港になっているのですけど、年金が無くって地域で暮らすほどの生活費が確保出来ない。自分が暮らすのに必要な人手が確保出来ない。ならどうしたら良いかというと、親がもっと年寄りになっても息子の面倒を見続けるか、あるいは養護施設というところにずっと預けるか。
 その社会的な意味というと、施設というものはいろいろ有る。授産施設もあるし、作業をするための施設もあるし、社会復帰するための施設もあります。名前はいっぱいありますけれども、結局どの施設からも出てこれません、一回入ったら。で、入ったら出てこれない施設に人権はあるかっていうと、ここがまたひどくて人権が無い。
 例えば、女の人やったらやっぱりおしゃれするために、いろいろ自分の髪を自分で決めたいだろうと思うのですよ。ところが、施設の入所者には髪の長さを決める権利が無い。それで、施設の中の要項の中に書いてあることは、団体生活だから皆のことを考えて行動して下さい。それしか書いてありません。別に髪伸ばしちゃいけませんとは、絶対書いてありません。でも、指導員の手というか施設の職員の手が足りないから、結局髪なんか伸ばしてるとにらまれる。これで僕の友達が悩んでましてねえ。どうして施設には髪を伸ばす権利がないんかって言われますけども、これどうしてあげようもないのですよ。
 あとは飯食う時間も全然制限きれてます、団体生活ですので、その団体の規約に反しないようにという訳で。これがものすごく障害者の生活に規制を感じさせています。
 精神病院の話はもっとひどいと思う、実際は。僕が10年前に見た映画ですけど、古い話ですけど、「カッコーの巣の上で」っていう映画が有るんです。この映画を見て精神病者の実態を嫌と言うほど知らされました。
 それともう一つ本では、この間僕が読んだ、大熊由紀子さんの旦那が書いた「ルポ精神病棟」これを読んでみて下さい。精神障害者の実態というのがもう絶対解ります。大熊さんは、自分がアル中だといって、病院に入って体験して書いた命がけのレポートですので、本当に心して読まねばなりません。
 そういうのとあんまり変わらないんですよ、身体障害者の問題も。
 もう一つ言っときますけども、僕は生活保護も受けてます。生活保護を受けるとですね、行ける病院が指定きれている。その指定医療機関に行かなければならない。勝手に病院を選ぶ権利がまず生活保護を受けている人には、ありません。
 その生活保護にプラス精袖障害者であるとか、身体障害者であるということがあります。
 非常に今の社会冷たいなあという、僕は喋っている間にだんだん気が引けてますけど、そんなこと僕は言いたくないんですけど、そういう実態が有るということを皆さんに今日は喋っておかなければ、僕は来ている意味が無いなあと思って、ついつい先走って発言をしました。

◎権利救済制度一オンブズマン等◎
(上出)患者の権利、障害を持っておいでる方、社会的な弱者と言われる方の権利を主張していくためには、その相手となる病院ですとか、医者ですとか、そういう個人に限られてる場合でしたらまだあれなんですけども、もっと大きな組織一例えば病院をとりまとめている厚生省ですとか、行政とか−を相手にするのは、公害訴訟ですとか、そういうまとまった団体で訴訟を起こす場合はまだしも、一個人としてそれを訴えていくには余りにも相手が大きすぎる。それから、組織の中が複雑すぎて、一個人としては良くわからない。
 正直言ってどこに問題を持ちかけていいかもわからないっていうのが現実ではないかと思うんです。最近ちょっと目にしたあれでは、欧米の方ではそれを、一個人の力の限界を助けるために、その人に代わって行政なりに問題提起をしていくっていう、そういうオンプズマンって言うんですか。そういうものが有るそうです。聞くところによると日本ではまだ1〜2カ所だけ試しにやられているだけだという風に聞いてますけども。
 日本におけるこれからの、オンプズマン制度等がどういう風に発展していくのか。どんどん、そういうものが出来ていかなければ、個人として大きな組織に対して、訴訟っていうのは、人権を訴えかけるっていうことは、なかなか難しいんじゃないかと思います。
 先生方に、どういう将来性があるのかお聞きしたいと思います。

◎権利運動の展望◎
(青島)時間の関係で省略した所もありますので、最後の方の考えておられる疑問というのは、もっともだと思います。私は富山でイタイイタイ病の裁判をやってた法律事務所に入りまして、後始末というか、やってるんですが、公害っていうのは所詮は一定地域の狭い団体の人達なんです、被害者というのは。
 そういう意味で言うと、この患者の権利の問題、老人福祉の問題、それから障害者の問題っていうのは、もっともっと広い人達が基盤にいるわけです。
 そういう意味で言うと相手が行政や病院っていう大きな組織であっても、公害よりももっと本当は広まりやすい。普遍性があって誰にだって共通している。いつかは老人になるし、いつかは病院に入るかも知れない。場合によっては障害を持つ場合もあるという点では、広まりやすい条件は本来あるんですけれども、それが余りに普遍化しすぎてて、なかなかまとまりにくいという点があると思うのです。
 やっぱり自分の閉塞として一人一人患者の権利法をつくる会を、例えば金沢につくって、月あるいは年に何回集まりをもって、どうやって実現していくか、いろいろ政治に働きかける宣伝行動など、いろいろとあると思うのです。そういう具体的な動きをしていく。
 現に例えば保険医の先生方が何百万人かの署名を集めて、医療制度の改善を求めていったとか、宮山でもガン検静の無料化というのを何十万著名で実現していったとかあります。非常に現実化しにくいようでいて、実は本来は非常にやりやすい問題のはずだと思うんです。問題は一人一人が取り組んでいくことが大切なんじゃないかと、私は考えています。

◎オンブズマン制度◎
(青島)患者の権利法をつくる会の発行したパンフレット 『与えられる医療から参加する
医療へ一息者の権利法を私たちの手で』(11月)の中に「患者の権利審査会」という項があります。これは「地方自治体は、郡又は市の段階および都道府県の段階において、それぞれの患者の権利審査会を設置しなければならない」と規定しています。これが正に、医療の分野でのオンプズマンをつくれ、という要求です。現段階では、民間の市民オンプズマンというのは結構、大阪や仙台の方でありますけれども、これは市長の交際費なんかやってるとこですが、これは民間団体ですね。
 ところが、川崎市は自治体がオンプズマンを置いておりまして、これは行政の内側ですから、内側からどんどん、外から苦情が持ち込まれたら、あの部局にも聞いて、この部局にも聞いてということで実効をあげている措置がやられているみたいです。そういう点で、行政の中にこういうものをつくらせるのが非常に大切だと思います。
 そういう意味で、市民オンプズマンもどんどん活発化させていく。
 それから、そういう制度を求やる要求もやっていくという、いろんな取り組みが必要なんだと思います。
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