−〈特集〉患者の権利について考える
 特集「患者の権利について考える」は、1994年4月10日に開催した医療・福祉閉塞研究
会シンポジュウムの報告と質疑の記録です。また、小川政亮先生や「わのめ会」のみな
さんに特別寄稿をお願いしました。
    健康榛と「患者の権利」
                 金沢大学法学部 井 上 英 夫
 はじめに
 法学者の立場から、今日の患者の権利シンポジウムの問題を整理するということで、発言させていただきます。このテーマでシンポジウムを開くということで、何度か私達医療・福祉間是研究会の中でも議論をしてきましたし、今日報告をされる皆さんとも議論してきました。
 その際、感じたのは患者の権利といった時に、皆さんが持っているイメージが多様である。今日参加の皆さんもそうでしょうけども、自分の体験、あるいは自分の勉強している領域や、あるいは人から開いた話や、そういうことから考えてらっしゃると思うのですね。だから、それは往々にして例えば医師の立場だったり、それこそ患者の立場だったり、弁護士の立場だったりしていくわけですが、しかしそういういろいろなイメージがあるところで一度それを交通整理をしておく必要があるのじゃないか。患者の権利といった時にどういう中身なのか一応整理した上で議論する。内容についてある程度共通の場と言いましょうか、共通の考え方が無いとお互いに議論し
ていても、すれ違いになってしまう。
 そういうことで、間是の整理ということで少し発言させていただきます。
 なお、私の立場としては、全国保険医団体連合会(保団連)という、主として開業医を中心にした組織の雑誌にかいたものがあります(「健康権運動の第一歩一法学者からみた“患者の権利宣言,,」月刊保田連、85年3月号)。もう10年も前に書いたものですから、この間、患者の権利運動は非常に進んでいる。その運動の進んだ成果を取り入れてお話ししなければならないのですが、基本的な立場はここで書いたことと、それほど変わっていないと考えていますので、参照していただければと思います。

1.「患者の権利」を広い視野で餓論する事の意味
 さて、まず最初に患者の権利ということで、先ほど言いました多様なイメージがある。しかし、一度そういう多様なイメージというものをお互いに交わし合いながら幅広い議論をしてみる必要があるのではないか。それぞれ相手の立場に立って考えてみるということにもなるでしょう。医師は患者の立場を考えてみる。患者は逆に医師の立場を考えてみたり、あるいは制度というもの、そこで働く行政の職員、いわゆる官僚、こういう人の立場を考えてみるというようなことも必要ではないか。そういうことの中で、非常に幅広い議論をしていく必要があるだろう。
 @健康権保障の流れのなかで
 しかし、その議論も大きな、いわば歴史の流れの中で私達は議論をする必要があるだろう。それが、健康権保障の観点です。健康を享受する権利が基本的人権として、今日保障されるべきだという考え方、これが世界的に広まっている。こういう時代に私達はいるわけです。
 したがって、患者の権利ということが問題にされるということは、そういう大きな基本的人権保障の流れ、あるいは健康確保障というものの流れ・発展の中で考えていく必要があるだろう。
 最近の議論の特徴をまず申し上げておけば、このように大きな人権保障の流れの中で議論
され、患者の権利が問題となっている。つまり権利ということですね。倫理の問題や道徳の問題という、そういうレベルではなくなっている訳です。
 その上、あとで報告して頂きますように、患者の権利法をつくる会というのが、「法律」をつくるということを中心の課題として運動を進めている。そういう時代になってきているということです。ですから、医師相互の倫理的な義務=職業倫理を追求するというのではなく、むしろ法律の関係、権利と義務の関係として論じられるような、そういう時代になっているというのが大きな特徴ではないでしょうか。
 A患者の権利の多面性
 それから、患者の権利といった時にその内容が非常に多様になってきている。
 たとえば、医療を受ける権利といっても、医療自体の中身が非常に広がっているわけでしょう。いわゆる健康増進からリハビリまでといわれるような、昔のように治療を受けるということだけではなくて、病気になるのを予防したり健康を増進したりすることも含まれる。さらにはリハビリというような、社会復帰あるいは人間復帰・人間回復と言われるような、そういうことまで課題になっている。
 さらに広げれば、現在の医療がいわゆる福祉の領域にまで、拡大されて考えられなければならない。今日お話がある精神障害の人達の問題は、医療と福祉の接点、というよりもその両面から考えていかなければ解決できない。つまりその人達の権利は保障されないということになるわけです。
 B権利救済について
 今や宣言ではなくて法律=権利の間選になってきているということですが、さらにいいますと権利が侵害された時にどういう救済をするか、そのことが具体的に問われるということになります。つまり、宣言というのは、実際に権利が侵害されても、それを患者が救済を訴えるということが出来ない。
 それに対して、最近では、病院内に患者を救済するための例えば委貞会をつくる、あるいは公的な機関としてそういう委員会をつくる(オンプズマン制度等)。さらには、裁判に訴えるということも含めて司法的な救済手段を具体的に保障するということが論じられるようになってきました。
 このような意味での、現代的な患者の権利を議論しなければならないということが、今問題になっているということです。

2.「患者の権利」運動の動向
 次に、患者の権利運動の動向を見てみましょう。先ほどいいましたように、健康確保障という大きな流れの中にある。私は健康権保障の具体化が患者の権利運動であると考えているわけです。
 @国際的動向
 国連を中心にする国際的な活動を見てみますと、国連総会が1948年に世界人権宣言を発します。これにより戦後の世界は、人間の尊厳に由来する基本的人権の保障を自らの課題としたわけですが、その中で健康潅が萌芽的なかたちで基本的人権の一つとして挙げられているわけです(第25条一詳しくは、拙稀「健康権と医療保障」講座日本の保健・医療第2巻「現代日本の医療保障」労働旬報社、91年参照)。同じ年に出されたWHO憲章ではより明確に健康の享受が人間の基本的権利であることを唱っています。
 また、これより早く1946年に制定された日本国憲法にも、こうした人権保障そして健康権保障の流れを受け、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(第25条第1項)と規定したのです。
 66年には、この世界人権宣言を具体化しより実効あるものとするために国際人権現約が採択きれます。健康権は「経済的、社会的及び文化的権利に関する規約」、いわゆるA規約の12条に規定されます。この規約は、79年には日本も批准しています。
 さらに、国際的な場で健康潅が展開され、活動の成果として結実したのが資料にあります、1978年のプライマリーヘルスケアに関するアルマ・アタ宣言です。いずれも出来る限り最高の健康水準を享受することが、国民さらには人々の基本的人権であるということをうたっているわけです。
 A各国の動向
 こういう流れの中で、各国でこの健康権の具体化として考えてもいいと思いますが、例えば病院についてはアメリカの病院協会が1972年に「患者の権利章典」を出しますし、さらに80年には医師会が「倫理規則」を出す。そして81年に世界医師会が「リスボン宣言」を発する、等々の動きが見られる。
 大体70年代にアメリカでは、患者の権利保障という観点が進んでくるわけですね。それが80年代に入りますと、具体的に立法化されるということです。ここでも具体的に法律で、例えばインフォームド・コンセントの権利、あるいはカルテの開示権、カルテを見る権利ですね、こういうものが法律として保障されてくる。
 したがって、患者の権利運動の各国の動向をみると、70年代さらには80年代に入って、大きな運動になってきたといっていいでしょう。
 B日本の動向
 日本はどうかということですが、91年10月結成された「患者の権利法をつくる会」で二つの本を出していて参考になります。第一に、「患者の権利法をつくる」(明石書店、92年)、これが日本の状況については詳しいわけです。もうひとつ、『あなたが医療の主人公』(大月書店、92年)ですが、患者の権利の国際的な比較をしています。
 日本の場合でいえば、健康権については、憲法が早くから規定していたのですが、人権として明確に意識されたのは高度経済成長末期、公害、労災、交通災害など健康破壊が進んだ70年代初頭のことでした。そして患者の権利について具体的な動きが出てきたのは、80年代に入ってだといっていいでしょう。83年には日本医師会が、「患者の権利と斉任」という勤務医師のマニュアルを出します。84年には′「患者の権利宣言案」が発表される。これが現在の患者の権利法につながるわけですが、こういうものが出されますし、87年には精神衛生法が改正されて精神保健法になり、精神障害者の権利というものが大きくクローズアップされました。
 89年には、先ほどち上つといいました保団連の「開業医宣言」が医師の立場から出されます。安藤さんのご報告にありますように、医師の立場から発表されたものですが、その後の90年の日本医師会の「説明と同意」という文書などに比べてもはるかに患者の立場にたっています。
 そうした状況で、評価はいろいろあるものの日本医師会もインフォームド・コンセントについて正面から取りあげざるをえなくなったわけです。それから、91年になって生協の医療部会、医療生協と言われますが、これが「患者の権利章典」を発するということになります。
 さらに、91年には「患者の複利法をつくる会」が結成され、「患者の権利法要項案」というものを出します。それが改訂を経て、「患者の諸権利を定める法律要綱案」となっています(『与えられる医療から参加する医療へ一息者の権利法を私たちの手で』93年11月、なお池永満r患者の権利一九州大学出版会、94年参照)。
 こういう流れの中で、日本で患者の権利が問題にされてきたわけですが、この特徴を申し上げておきますと、一つは釦年代に入って、いわゆる医療の「再編成」という大きな医療政策の変更の中で患者の権利が問題となってきた。医療を受ける権利とりわけ高齢者が医療を受ける権利、こういうものが侵害される。例えば健康保険でいえば、10割給付だったものが9割に引き下げられるというようなこともあります。
 また、医療供給体制の「再編」ということで、国立病院が統廃合され、一般病院が水準の低い老人病院にされる(現地調査北海道実行委員会『今、人間らしく生きる権利を』北海道民医連発行、94年1月参照)。高齢者は老人医療ということで差別的な低水準医療しか受けられず、退院を迫られる等々(拙稀「健康樺と高齢者の医療保障」日本社会保障法学会誌9号、94年参照)。
 そういう流れの中で患者の権利が揺らいでいる。権利侵害は一層激しくなっている。同時にそれは、医師や医療機関、とりわけ医療機関の経営に大きな影響を与えてくる。全体としての医療費の抑制政策、さらには医療の市場化、あるいは営利化といわれる、そういう流れの中で、医療に従事する人それから患者、両面にわたってその権利が侵害される状況になってきているということです(拙稿「健康確保障と看護婦人材確保法」労働旬報社『労働法律旬法』93年6月上旬号、井上英夫・矢野正子編著r提言 魅力ある看護のために」労働旬報社、94年参照)。
 二番目は、何といっても医療技術あるいは医療そのものの大きな変化ということでしょう。例えば、いわゆる先端医療と言われるような臓器移植の開演、さらには脳死の問題、あるいは遺伝子繰作による新たな分野が登場し、他方尊厳死やホスピスが切望される。いずれにしても医療の根源を問う事態が起きているわけです。
 三番目は、もちろん、患者や住民の意識が変化してきた。健康への関心が高まった。もう一つは、ある意味でいえば権利意識が高まっているといってもいいかも知れません。
 四番目ですが、これが日本的な大きな特徴といえるかも知れません。いわゆる外庄、国際的な圧力によるものである。典型的なのが精神障害の人達の権利の間邁です。宇都宮病院の事件を契機にして、国際的な批判が日本の精神医療に対して非常に大きくなった。その中で、先ほどいいましたような精神保健法が登場してくることになるわけです。
 以上のような流れの中で、現在「患者の権利」がいろんな面から議論をされてきている。

3.「患者の権利」の構造
 その中で、患者の権利とは何かその構造を考えておく必要があるだろうと思います。保険医療の構造という囲を作ってみたわけですが、これは国民健康保険を念頭においているわけです。現在の日本の医療は何と言っても医療保険、これが中心になっている。医療保険による医療が給付されているわけですが、その関係だけ見ても、実に複雑です。
 @誰に対する権利か
 権利が問題になるのは、多くの方は患者と医療機関、医師、この関係だと考えていらっしゃるかも知れませんが、実はそれだけでは無い。
 患者の立場からみても、医療機関に対してあるいは医師に対して権利主張するというのが一つ。例えばインフォームド・コンセントというのは、とりあえずそこで問題になる。
カルテを見せろと言うのもそうでしょう。生命維持装置をはずすかどうかという問題も、第一次的にはそこが間遭になります。
 さらには保険料等を払って医療の給付を受けるという国民皆保険の仕組みは基本的には国が決める。そして保険者、これは国民健康保険の場合は基本的には市町村になります。あるいは国が直接運営をするいわゆる政管健保、政府管掌の健康保険がありますが、そういうものの場合は国が直接相手方になるということになります。ですから、一口に権利と言っても複合的な、重層的な構造をとるということになります。
 次に、医療機関が、医療機関の権利を主張するという場合もありうるわけです。今の医療施策の流れで言いますと、この医療機関がいかにその医療機関の立場を主張していくかということが、結局は患者や住民の健康を守るということにつながっていく、そういうことが非常に問題になっているわけです。だから医療機関が保険者を相手にするという場合もありますし、診療報酬支払機関(社会保険静療報酬支払基金、国保連合会)を相手にするという場合もあるし(診療報酬審査事件)、国や自治体を相手にしなければならないこともあるということです(例えば、富山県では、93年10月に県保険課の指導を受けた医師が自殺するという指導・監査事件が起きている)。
 患者の権利といった時に、こういう風に相手方が誰になるのかということは、非常に大きな問題である。だから、権利という場合は誰の誰に対するどのような権利なのかということを、かなり厳密に考えなければならないだろうということです。
 保険医療における対抗関係を整理しておけば次のようになります。

 イ、国一息者・住民=国民
 ロ、患者・住民一自治体
 ハ、患者・住民一保険者(国、健保組合、
  自治体、国保組合)
 ニ、患者・住民一医療機関
 ホ、医療機関一保険者
 へ、医療横閑一支払横閑
 ト、医療機関一国、自治体


 しかし、実は医療保険を初めとして医療制度全体を決めたり、運営しているのは国や市町村=自治体ですね。たとえば、患者が医療を受けるという場合、医療機関をどこに配置するのか、どこに医療棟閑をつくるのかという問題になれば、これは個々の医療機関が決めるわけではない。大きな国や自治体の政策の流れの中で決められる。そうすると患者が病院にかかりたい、あるいは診療所をつくって欲しいという時には、国や自治体にいうしかないということですから、患者と国、自治体の関係こそ問題になるわけです。
 A「患者」とは一誰の権利か
 もう一つ、患者の権利と言う時に患者とは何なのか、「患者」の権利でいいのかどうかということも考えなければならない。一般的には患者の権利、患者の権利といっています。「患者」でない、例えば健康な人はどうなのか(健康とはどのような状態かも問題となりますが)。障害をもった人は患者じゃないのか、ということになります。さらには、広く住民とか国民が権利を主張できないのかということにもなるわけです。
 ちなみに、患者とは何か。「広辞苑」によれば、「病気にかかって医師の治療を受けている人」という定義になります。これでいいますと、医師との関係でなりたつのが患者の権利ということになる訳です。それよりもっと広くなければならない。最初に申し上げました医療という考え方自体が、非常に幅広いものになっている。健康の増進・回復も含めているとなると、医師との関係だけでは問題が解決しない。そういう意味で、ひじょうに「患者の権利」という時でも幅広い人々を捉えぎるを得ない。例えば、「障害者」といわれる人達、鍵カッコをつけましたが障害を持つ人達はどうなのか。国際的な「障害者」の考え方で言いますと、病人(日本で言う病人です)は、あるいは患者といってもいいですが、これは「障害者」(ハンディキャップト)の範疇に入るわけです。日本では病人は法律上は「障害者」として扱いません。そういう意味で広く障害を持った人達も「患者の権利」が保障されなければならない。
 患者の権利法の要綱案前文等を見ていただくと非常に幅広く規定しています。医療における基本権を唱っていますが、「すべて人は」という書き出しで始まっている。「すべて人は」ですから、「患者」に限定している訳ではない。病気を持たない人もここに入る。さらに、日本の国民だけを考えている訳ではない。外国人、つまり地球に常時生存するすべての人の基本的権利をうたっているわけです。
 ただそれが、患者の権利各別という具体的な権利の問題になりますと、ここでは主語は「患者は」ということになっています。人としての基本的権利を、現に病院にかかったり、家で療養したりしているそういう患者さんについて具体化してみるとどうなるかということです。
 そういう意味では、人としての権利と、具体的に患者になった時の権利と、これをある意味できちんと分けて考えなければならない。その時に、権利を訴える相手先はどうなるのかということ、これもまた考えなければならないということになります。
 B「権利」とは
 患者の複利法要綱案では、参加権をはじめとする五つの基本権、患者の権利各則として自己決定権以下11の権利をあげています(詳しくは青島報告をご覧下さい)。また患者の権利擁護システムを提起していることも重要です。
 こうして提起されている諸権利も均一ではありません。その権利の内容、種類、性格等が問題となります。
 a権利の内容 内容として「医療」に対する権利なのですが、保健や福祉の権利との関係、連携はどうなるのか。同じ医療でも在宅と施設の場合で内容が異なるのか、異ならないのか等問題となります。また、先に述べたように健康確や医療を受ける権利を考えれば、患者になった人の権利だけではなくて、患者になる権利が保障されなければならない。医者にかかれない、かかりにくい人々、無医地区や過疎地域の医療そして医療費等間麓は多いわけです(医療・福祉間麓研究会「珠洲市狼煙地区医療・福祉実態調査報告」医療・福祉開港研究3号(90年),4号(91年)、5号(92年)、6号(93年)、拙塙「過疎化と高齢者の人権保障」同時代社『ゆたかなくらし』91年10月号参照)。
 b権利の強弱 同じ権利でもその強弱にはレベルの違いがあります。国の場合は、人権(憲法上の権利)一法律上の権利一通達の順で、権利としては弱くなりますが、逆にそれだけ具体化はされる。自治体は、固レベルの権利を保障するための義務の履行をしなければなりませんが、憲法一法律に反しない限り、条例一要綱の定めにより独自の施策も展開できるわけです。
 c権利の性格 権利の性格としては国や自治体からの干渉や介入を排除する自由権か、医療や社会保障・社会福祉の所得やサービスの給付を国や自治体に請求することのできる給付請求権なのか、あるいは保険料等の減額、免除に対する権利=免除権なのか等々が問題となります。
 また、民間の医療横開や医師を相手にするときは民事上の権利を主張するわけですが、国や自治体相手の時は行政法上の権利(一般に行政訴訟の形をとります)と民事上の権利が行使できます(国家賠償訴訟等)。
 d参加権、手続き的権利の保障 医療の提供にあたっては、生命や健康という人間の基本的価値にかかわるだけに、その手続きは民主的かつ人間の尊厳を尊重したものでなければならないでしょう(手続き的権利の保障)。とくに、最近は医療政策の計画、立案、策定、決定、実施の全過程さらには医療行為そのものへの参加が強調されています(参加権の保障)。
 e救済手段 権利として保障されることの最大の意味は、権利が侵害されたときあるいは保障されないで放置されているときのために最終的には裁判所による救済手段が用意されているということです。審査請求等の不服審査手続きから訴訟の提起まで、自らの権利を実現するために権利主張をする事自体が権利として保障されています(争訟権の保障)。

4.「患者の権利」運動の展望
 こうした多様な内容をもつ「患者の権利」について、@人間の尊厳と自己決定権、A医療への参加と協同、B健康権・医療保障における国、自治体の役割、C患者の権利と企業等なお検討が必要でしょう。
 しかし、「患者の権利」運動を展望的に語るなら、いろいろ重要な点はありますが、不十分ながら現在保障されているいろいろな権利を具体的に行使する。これが最も大事ではないかと考えています。医師との関係でいえば、ひと言医師に薬の中身を聞くとか、治療の中身を開くことが第一歩だろうと思います。そういう意味では、自ら主体的に参加していく。医療をどう創り上げるかについて自ら参加をしていくということであるし、とくに争訟榛を行使していく。そういう努力を続けていくことが、この「患者の権利」が保障される契機になるだろうと思います。
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