医療・福祉問題研究会会報no.72
2005.8.9
第77回研究例会のご案内
日時: 8月20日(土)15時〜17時30分
会場: 石川県立生涯学習センター21号室
報告: 「デンマークにおける障害のある人の自立保障〜教育機関からの挑戦」

報告者: オーレ・ラウス氏(エグモンド・フォルケホイスコーレ校長 )
    ミケル・ペーダーソン氏(同校教員)
    片岡豊 氏(同校教員、通訳)


第76回研究例会報告
「生活保護の現状と課題」
城北病院 MSW 川合 優

2005年6月4日、「生活保護の現状と課題」について、静岡大学の布川日佐史先生の話を伺った。布川先生は2003年8月から2004年12月まで生活保護の在り方に関する専門委員会の委員を務められており、その中での検討内容を中心に、生活保護の近年の動向も含め今回話された。
 生活保護受給世帯は近年増加傾向にあり、2003年度一ヶ月平均で、94.1万世帯、134.4万人で世帯比率は2.0%である。しかし、ある推計によれば、生活保護の条件をクリアし、生活保護の対象となりうる低所得貧困世帯は、全世帯のうちの7.7%存在するという。これはまさに「資産の活用」「稼働能力の活用」「私的扶養の優先」の厳格化等、生活保護の運用の歪みであると布川先生は述べた。
 今回の生活保護制度の見直しの背景に保護財政支出の抑制があり、保護財政支出の抑制のためには早いうちに保護を利用できるようにして、早く生活再建できるようにすることがポイントであり、「利用しやすく自立しやすい制度へ」がキーワードとなった。見直しの内容としては、@生活扶助基準の見直し(多人数世帯の基準額抑制、年齢区分の見直し等)、A保護の要件の見直し(母子加算の見直し、高校就学費用の給付等)B自立支援プログラムの導入である。
その中でも特に、稼動能力の活用に関連して、就労していない人からの申請時に適用される「自立支援プログラム」の導入に布川先生は深く関わられた。自立支援プログラムにおいて、就労自立・経済的自立ではなく社会福祉法でいう自立が定義されたことは大きな転換であると述べた。専門委員会では林訴訟をもとに、稼働能力の客観的評価の指針として、この自立支援プログラムを策定した。自立支援プログラムは稼働能力がある方が生活保護を利用できるようにすることが目的であるが、一方で、この自立支援プログラムが入り口部分での「ワークテスト」の役割を果たしてしまう危険性があることも提起された。
 布川先生の報告の後、現場からの報告ということで、松原病院の小泉さんと城北病院の伍賀さんから生活保護申請の現状の報告を受けた。その中で明らかになったことは、自立支援プログ

ラムが始まってから、「これまで以上に申請を受理してもらえない」、「急迫した状況であるにもかかわらず、稼動年齢というだけで申請受理を拒まれた」等、現場では自立支援プログラムが「ワークテスト」の役割を担ってしまっているということである。その他の参加者の中からも生活保護申請不受理に関わる事例がいくつかあげられた。
 今回、布川先生の話を聞いたことで、「自立支援プログラム」ができた背景やその意図が理解できてよかったと思う。しかし自治体では、その意図とは全く逆の捉え方で、水際作戦の一つの手段として利用されていることも再度確認できた。今後、この自立支援プログラムが適正に運用されるかどうかは我々現場の人間がいかにこの制度うまく利用するか、よいモデルとなるような事例を作れるかにかかっていると感じた。



会記念企画 講演会報告
「ほんとうに豊かな社会とは?」
城北病院 筒井司郎

 今回の総会記念講演会は、石川県社会保障推進協議会との共催ということや、講師が知名度の高い暉峻淑子先生ということもあり、会場には300人近い人がつめかけ、会場外にも人があふれるという盛況でした。
 講演の明細な内容については、「医療・福祉研究」に掲載されると思いますので、ここではエッセンス的な紹介に留めて報告します。
 先生が講演の中で、実際に「疑問」という言葉を使われたわけではありませんが、講演の内容は現代社会への「疑問の指摘」ということにできると思います。
 まず、第1に「お金」中心社会への疑問。私たちに対して「お金さえあれば幸せですか」という問いかけがあれば、恐らく誰もが「否」と答えると思われますが、実際の生活では、余りにも「お金」の有る無しにふりまわされていないだろうか。まさに「お金中心主義」というべき状態にドップリと浸かってしまい、思いとは裏腹に「お金さえあれば幸せ」という行動をとらされているのではないか。この点だけを見ても、現在の社会は十分におかしい。
 
第2は、「家族・地域が大切にされない社会」への疑問。人類の歴史の中で、勝手は「内の労働」(家事労働)と「外の労働(狩猟などから、貨幣社会でいえは賃金労働)の違いは、はっきりしなかった。しかし、資本主義が発展する中で、「内の労働」は「外の労働」に比べて低く見られる様になってきてしまった。
しかし、育児・介護ということも含めて「内の労働」無くして人類の生存はありえない。そしてそれは人間どうしを結ぶきずなの様なものであったが、現代の資本主義社会、とりわけ日本ではズタズタにされてしまっている。このことが遠からず人間の生存を脅かすことになる。

 第3番目には、先の二つの疑問を日本社会に当てはめる様な形で、日本人の豊かさへの客観的な認識への疑問。どんなに収入があっても、家族や地域とのつながりを断たれたり縮小されたりして「豊か」とはいえないということはよくいわれるが、それでは、私たちの経済生活、つまり消費生活は本当に豊かなのか。賃金を見ても、購買力で比較すると、日本人の収入は欧州の約半分で、中国の都市住民に比べても極端に「豊か」といえる様な状況ではない。また、失業者が欧米に比べて少ない、といっても統計方法の違いからくる「数字の欺瞞」でしかない。商品の「洪水」の中で生活はしていても、経済的にも、決して豊かとはいえないのが現実なのではないだろうか。この点に関しては、政府内で検討されている、消費税増税をはじめとする、国民負担大幅増計画への注意についてもかたられました。

 第4番目は、競争が自己目的化した社会への疑問。中山成彬文部科学大臣が、競争に勝つことの重要性を説くことに対して発せられた、一女子高生から、「何のために勝たなければならないのですか」という質問に、中山氏がまともに答えることができなかったことや、オリックスの宮内氏の「エンピツ」理論を例にあげながら、現代社会では、多くの人々が、競争の向こうに何があるのかをまともに考えることなく、あるいは考える余裕を奪われながら競争に邁進させられていることの「危険性」を指摘されました。
 
第5番目は、戦争に代表される、生命を「差別」する社会への疑問。戦争は相手の生命への蔑視、つまり殺しても良い生命がある、という認識のもとに行われるものであって、断じて許されない。この点については、首相の靖国神社参拝の問題点や憲法第9条の問題など、現在、多くの人々の関心を集めている問題について、戦争を体験した立場からご自身の見解も述べられ全体の講演をまとめられました。

決して十分な時間とはいえませんでしたが、現代社会が抱える様々な問題、特に一部のマスコミに扇動される様な形で、社会状況が、政治的にも、経済的にも危機を迎えている中で、まさに本質にズバリ切り込んだ講演だったと思います。
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