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第89回研究例会報告
「731部隊の訪中調査報告―莇先生と日本の戦争責任について考える」
城北病院 河野 晃
2007年12月22日に、第89回研究例会が「731部隊の訪中調査報告―莇先生と日本の戦争責任について考える」と題して行われた。莇昭三さん(15年戦争と日本の医学医療研究会名誉幹事長)は2002年から2007年にかけて北京、上海、チチハル、ハルピン、平房、大連、瀋陽、長春など中国を6回訪問され、それらの膨大な調査結果に基づいて、15年戦争中の中国での人体実験、毒ガス実験等の「医学犯罪」について報告された。
関東軍731部隊本部は、ハルピンの近郊平房に、捕虜(マルタ)収容監獄、各種実験施設、実験用動物舎、神社などがあり、鉄道引込み線や飛行場を持つ巨大な施設であった。憲兵隊に捕らえられた捕虜(マルタ)を使って、ペスト菌、チフス菌、炭疽菌などの感染試験、凍傷実験、輸液実験、脱水、飢餓など極限状態での人体の反応、病理研究、手術練習など、非人道的な所業が行われた。犠牲となったマルタは3000人を越えたといわれ、生還者は一人もいなかった。
731部隊のみならず、1855部隊(北京)、1644部隊(南京)、8604部隊(広東)、9420部隊(シンガポール)など各地に、細菌兵器、毒ガス兵器、手術練習を行う、医師、技術者を中心とする部隊があり組織的な活動をしていた。
こうした731部隊等での「医学犯罪」は、個人的な思いつきで行われたのではない。当時の陸軍参謀本部、陸軍省医務局等の公認のもとで、膨大な資金を投じて実施された国をあげての犯罪であった。石井四郎軍医中将などの軍医はもとより、「陸軍技師」という身分での研究者が存在し、部隊各分野の研究責任者となっていた。彼等は京都帝国大学医学部、東京帝国大学部医学部、慶応義塾大学医学部、金沢医科大学(現金沢大学医学部)等の細菌学教室や病理学教室出身の名だたる研究者であった。部隊幹部の中には、戦後は戦犯に問われる事もなく、大学教授やミドリ十字などの会社幹部になったものも多い。
これは戦後、石井四郎等が米軍と取引し、人体実験などの研究成果を米軍に引き渡して免責された経緯があるからである。「戦時中の医学犯罪」を不問にしてきた日本の「医学会」と、ナチスに協力したことを反省するベルリン医師会との違いである。731部隊を免責するとアメリカが確約した時点で、「アメリカ軍が調査しているので731部隊問題は解決済み」であるので、「関係した医師、医学者の倫理上に問題はなかった」と問題がすり替えられ、さらに「戦時中の医学犯罪」が一括して不問にされ、何が問題であったか、そこから何を教訓とするか、を今日まで明確にされてこなかったのである。731部隊の「医学犯罪」は、戦前は「天皇の命令」で、戦後は「アメリカの施策」で免罪され、日本の医学界が自らの判断で反省することはなかったといえよう。
最後に、莇さんは731部隊にかかわった人々を裁く権限はないが、その歴史を記憶し、後世に伝えていく義務がある。過去の歴史的事実とどう向き合うか、そしてそこから未来に希望をどう伝えるかが重要であると述べられた。
なお、1945年8月12日、敗戦を察知するや、731部隊は施設を爆破し、マルタを殺害・焼却して、石炭殻と混ぜて粉砕して松花江に投棄して証拠隠滅をはかり逃亡した。小数の幹部は飛行機で、他の隊員や家族は特別列車をしたてての真っ先の隠密逃避行であった。追いすがる邦人避難民を振り捨てて、平壌、京城、釜山港を経て門司にたどり着いたのは、同年8月下旬のことであった。
日本の加害の事実を知り、被害を受けたアジア諸国民と歴史・記憶を共有することにより、はじめてアジアにおける真の友好関係を構築することができると思った。

(第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会編『戦争と医の倫理』かもがわ出版、2007年。莇昭三『戦争と医療』かもがわ出版、2000年。郡司陽子編『〔真相〕石井細菌部隊』徳間書店、1982年などを参照した)

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